憧れ




ここは普通科棟にある生徒会室。何人かの生徒会役員が忙しそうに書類を繰っている。
「忙しいところにごめんね」
「あ、柚木先輩!」
キャー!と黄色い声が書記の女子生徒からあがる。柚木梓馬はにっこりと優しい笑みを浮かべて答えた。
「生徒会長に話があるんだ。すまないけれど、ちょっと席を外してくれないかな?」
その時、席を立ったのは一番奥に座っていた普通科の制服を着た女子生徒だった。
「あら、柚木センパイ。どうなさったんですか?」
細いシルバーのフレームの奥、彼女の瞳は生気に溢れ輝いている。
「ああ、少し面白いモノを見つけたのでね・・・?」
梓馬がチラリと見せたカラーのA4用紙を見て、彼女ああと小さく声をもらすと、皆に向かって言った。
「じゃあ、今日はもう終わりにしましょうか。
 明日もよろしくね」
生徒会長である彼女の言葉を合図に、他の生徒会役員達はバタバタと後片付けをして帰りはじめた。
夕陽に照らされてオレンジ色に染まった生徒会室は、いつしかふたりの姿だけになっていた。
「で、何なの?」
先ほどとは違ってざっくばらんな口調だったが、梓馬がそれを咎める様子はない。
「これはどういうことなのか教えて欲しいと思ってね、?」
「つまんないなぁ・・・もうバレちゃったか」
いたずらっぽく笑うを、梓馬は睨んだ。
「お前な・・・」
「やだぁ、コワ〜イ!」
わざとらしいの振舞いに、梓馬はたまらずため息をついた。
「・・・どうしてお前が生徒会長に選ばれたのか、不思議でたまらないね」
「あら、もちろん人望があるからに決まってるじゃない」
そうキッパリと言い切るは、普通科の2年生で、星奏学院高等部の生徒会長である。成績はトップクラス、しかも、はリーダー的素養に優れていた。生徒達からも信頼されており、今期の生徒会は生徒達に人気があった。
梓馬は腕組みし、呆れたように言った。
「さっさと俺の質問に答えろ」
「――チャリティーコンサート、出てくれるでしょ?」


梓馬がに見せたのは、年明けに開かれるチャリティーコンサートのパンフレットの原稿だった。梓馬がこれを知ったのは、火原がこの原稿を持っていたからである。
「柚木も出るんだね、チャリティーコンサート!
 おれさ、コンクール終わっちゃってから退屈でたまらなかったんだよね。
 でも、またみんなでコンサートが開けるなんてさ、すっごく楽しみじゃない?」
「チャリティーコンサート・・・?何の話だい、火原?」
「あれっ?!柚木、知らないの?
 おっかしいなぁ、ちゃんにもらったパンフには柚木の名前もあるのに」
「ちょっと見せてくれないか」
「ん?ああ、いいよ。まだ訂正が入る予定って言ってたけど」
カラープリントされたそれはが作ったのだろう。日程は年が明けて初めての日曜日、会場は市民ホールらしかった。コンサートの目的はチャリティーで、チケットの代金を寄付するというものだった。
出演者の欄を見てみると、自分も含めた学内コンクールの参加者全員の名前と、王崎やその他星奏学院大学の学生の名や、学院出身の演奏家の名前がずらりと並んでいた。
「・・・・・・」
「どしたの、柚木?」
「いや、なんでもないよ。火原、これ、ちょっと借りてもいいかな?」
「別に構わないよ。あ、でも、最後はおれに返してね」
「ああ、わかってる」
火原からパンフレットを受け取ると、梓馬は足早に生徒会室に向かった。
――そして、最初の場面に戻る。


「もともと、チャリティーコンサートは王崎先輩の提案よ。
 で、高等部生徒会もそれに協力することにしたの」
「――それで、どうして俺の名前が出演者の欄にあるんだ?」
にっこりと営業用スマイルを浮かべてみせるを梓馬は睨みつけた。
「あら?だって、コンクール参加者のみなさんは快く引き受けてくれたわ。
 もちろん、柚木センパイだって、チャリティーに協力してくれるわよね」
「・・・・・・」
「チャリティーコンサートなら、おばあさまだって反対なさらないでしょ?」
「っ!?」
柚木センパイ、と呼んではいるが、と梓馬は実は従兄妹なのだ。
「お前・・・何考えてる?」
梓馬はきつい視線でを睨んだが、はにっこりと微笑んでみせた。
「・・・邪魔なのよ」
「なんだと・・・?」
「わたしが家元を継ぐ可能性なんて、ゼロに近いわ。
 それに、わたしには華道の才能なんてないし」
他人事のように笑いながら言うに、梓馬は眉をひそめた。
の両親も当然のことながら、華道の師匠である。その二人の血を引いているだったが、哀しいことに華道の才能はなかった。の両親は本人のやりたいことをやればいいという意見だったが、当のが一時期かなり悩んでいたことを梓馬は知っていた。
「でもね、わたしは宗家が欲しいのよ。
 おばあさまに、わたしは役に立つ人間だと思われたいの」
「それにはチャリティーコンサートを成功させたい、と?」
一門を栄えさせていくには、花を活ける才能だけでは駄目だ。
ヒト・モノ・カネ――それらを動かしていく必要がある。はそちらの方面で、祖母に売り込もうというのだ。
祖母が梓馬に望む役割、それがまさにそうだった。
「で、お前の野望に俺は邪魔だと?」
「そういうこと。あなたには宗家から離れてほしいのよね」
「・・・・・・」
「じゃ、柚木センパイ?わたし、まだ仕事が残ってるの。
 そろそろ、帰ってくれる?」
「お前な・・・」
「ほら、早く!とっとと帰ってちょうだい!」
「お、おい・・・っ」
無理やり梓馬の背を押して生徒会室から追い出すと、はドアをバタンと閉めた。
「・・・バカなんだから」
その小さな呟きは梓馬には聞こえなかっただろう。


梓馬の演奏するフルートを初めて聴いたのはいつだったろうか・・・?

子供の頃、母が入院し、短い期間だったけれど、は本家に預けられたことがあった。父にはもちろん仕事があるし、知らない大人たちばかりの屋敷で、幼いは寂しくて泣いてばかりいた。
その上、ひとつ年上の従兄の梓馬は意地悪で、は泣かされてばかりいた。
「また泣いてるのか?バカだな、泣きすぎて目が溶けるぞ?」
「・・・うるさいなぁ、ほっといて」
泣き顔を見られたのが悔しくて、は目をゴシゴシとこすった。いつもならここでもう一言なにか言ってくる梓馬なのに、何も言ってこないので、は泣きはらした顔をあげた。
うわぁ・・・なんてキレイな音・・・。
梓馬がピアノを辞めて、フルートを始めたのは知っていた。けれど、その音色を聞くのは初めてだった。
華やかで優しい音――梓馬が自分をなぐさめてくれようとしていたのが、には直感的にわかった。それは素直でない梓馬なりの優しさの表現だったのだと思う。

それから時は過ぎて、梓馬は星奏学院高等部音楽科に入学し、は普通科に入学した。3年生になった梓馬が大学は音楽以外の学部へ進むと聞いて、は驚いた。いや、正確に言うならば、腹が立ったのだ。
コンクールで見た梓馬はとても楽しげで、そして幸せそうに見えた。
――梓馬は音楽を愛してる。
誰の目にも明らかなのに、それを諦めようとしている梓馬、梓馬の将来を決めようとする祖母にも、は腹が立って仕方がなかった。
王崎がチャリティーコンサートの企画を持ち込んできたとき、パッとそのアイデアが浮かんだのだ。
それ以来、はありとあらゆるコネを使って、チャリティーコンサートの企画を成功させようと頑張ってきたのだ。そして今日、ようやく念願の彼からのメールが届いたのだ。
「パンフレットは書きなおしね・・・」
そう呟きながらも、の声はどこか弾んでいた。


ふぅ・・・今日は気が乗らないな。
学内コンクールは終わったし、そろそろ受験の準備をしなければならないのだが、梓馬は練習室を借り、ひとりフルートを奏でていた。だが、さっきのの言葉が気になって、演奏に集中できなかった。
宗家が欲しいなどと、は本気で言っているのだろうか・・・?
従妹ということもあっての性格はよく知っているつもりだったが、よくわからなくなってしまったと、梓馬はため息をついた。一つ年下の従妹は、良くも悪くも梓馬の心に波紋を投げかける。
そのせいだろうか、火原から預かってきたパンフレットの原稿を生徒会室に置いてきてしまった。
自分らしくもないと苦笑を浮かべながら、梓馬は生徒会室へともう一度向かった。


・・・?いないのか?」
外はすっかり暗くなっており、生徒会室には明かりが灯っていたが、の姿はなかった。だが、デスクの上には雑多な資料が広げられたままで、少し席を外しているだけのように思われた。
火原から預かったパンフレットの原稿を探そうとした梓馬だったのだが、ふと一枚の資料に目を留めた。
「これは・・・?」
初老の男性の写真とプロフィール――それは梓馬もよく知る星奏学院出身のフルート奏者だった。世界的にも高名な演奏家で、現在は主に海外を拠点に活動しているはずだった。
ホームページから印刷したものなのだろう、他にも学院出身の演奏家たちのプロフィールの資料が積まれていた。その間に1枚だけ、Eメールをプリントしたものがあった。
送信前にチェックするためにプリントしたのだろうか、ところどころに赤ペンで誤字が訂正してある。送信者は『星奏学院高等部生徒会』となっている。
盗み読むつもりはなかったが、内容が目に入ってしまう。内容はというと、プライベートでの帰国にも関わらずコンサートに参加してくれることへの謝辞と、もうひとつ・・・。
「・・・・・・」
「あーあ、もしかして見ちゃった?」
「っ?!」
手に缶コーヒーを持ったが、いつの間にか戻ってきていたのだ。
「どういう意味だ、これは・・・?」
「書いているままの意味だけど」
は細い指先で紙の端をつまむと、するりと梓馬の手から抜き取った。
「『当日はあなたが驚くようなフルート奏者がいるかもしれません。
  楽しみにしておいてください』
 意味がわからない、なんて言わないでよ?」
先ほどの資料の彼は演奏家としても高名だったが、また指導者としても名を馳せていた。優れた演奏家が優れた指導者になるとは限らないが、彼の場合は特別だったようだ。実際、彼の門下生は世界へと羽ばたき、活躍している。
「出演を承諾してもらうの、すっごく大変だったんだからね!
 今回だって、プライベートな帰国だからって断られたのを
 何回もお願いして、やっと出てもらえることになったんだから」
「・・・俺に彼の目に留まるような演奏をしろ、と・・・?」
ふふっとは柔らかな笑みを浮かべた。
「お前、どうしてこんなことまで・・・?」
がチャンスをくれたのだ、と梓馬は思った。もう諦めていた自分に。
「――好きだから」
「っ!?」
「子供の頃、梓馬がわたしのためにフルートを吹いてくれたことがあったでしょう?
 もう覚えていないかもしれないけど・・・。
 あのときから、わたしは梓馬のフルートのファンなのよ。
 それなのに、音楽を諦めるなんて言うから。
 ・・・どうしたの、梓馬?」
口元を押さえて黙ったままの梓馬を不思議に思って顔を覗き込んでみると、その頬はなぜだか赤かった。
「どうしたの、梓馬?なんで顔が赤い・・・」
「っ!お、お前がヘンな言い方するからだろう」
珍しく焦った様子で答える梓馬にきょとんとしていただったが、ようやく合点がいったらしい。
「もしかして、わたしに告白されたと思った?」
「・・・」
はクスクスと楽しげな笑い声を立て始めた。一方の梓馬は眉をしかめている。
「いいわよ、告白してあげる」
「なっ?!」
「ただし、わたしの作ってあげたチャンスを無駄にしなければね?」
・・・」
「せっかくのチャンスをふいにするような『バカは嫌い』よ」
「・・・ああ、俺もバカは嫌いだよ」
ふたりは、どこか共犯者めいた笑みを浮かべた。



――あなたの紡ぎだす音はわたしをしあわせにしてくれる。
だから、おねがい。
いつまでもその煌めく音を奏でつづけていて。




【あとがき】
ネオロマ企画投稿作品。
しばらく書けずにいてリハビリ創作です(^^;)
黒柚木サマVS黒ヒロインで書きたかったのですが・・・(汗)

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2007年6月16日