運命と偶然。
「ヤアッ!」
「脇が甘いぞっ!」
ガッ!と木刀の打ち合う音が響く。
「く・・・っ!」
「力だけでは私に勝てぬぞ」
「はいっ!」
ここは鎌倉の梶原邸の道場である。外はしんしんと雪が降っていた。
望美は道場の冷たい床に正座していたのだが、そんなことも気にならないほど、眼前の試合を夢中になって見ていた。
試合というよりは鍛錬に近いものなのだが、打ち合う二人の姿には鬼気迫るものがあり、目を離すことができない。
望美の目の前で打ち合っているのは、リズヴァーンと源軍の武将であるだった。
は源軍では唯一の女性の武将だったが、九郎の信頼も篤く、またそれによく応えていたので重用されていた。
「それで終わりか」
「まだまだっ!」
リズヴァーンに打ち込まれ、じりじりと押され気味のだったが、それでもなんとか押し返そうと必死に攻め入っていく。
自分とは違うの闘い方を見て、望美は学ぶものが多いと思った。力では到底リズヴァーンに敵わないのだが、その差を技と身の軽さで埋めようとする・・・。十本に一本取れるかどうかというところだが、身の軽さを活かした闘い方は見ているだけでも勉強になる。
「っ!」
ぐっと木刀を押されて、がよろめいた。リズヴァーンは少し眉をしかめただけだったが、見ている望美はハラハラして正視していられない。
いつもより太刀筋のキレが悪いような気がするのは気のせいだろうか。
「あっ?!」
ぐらりと上体が揺れたかと思うと、は床に片膝をついた。
「大丈夫か?」
「・・・は・・・い・・・・・・」
荒い息をつきながら木刀を杖代わりには立ち上がろうとするが、その身体は大きく傾いた。
「?!」
倒れかかるの身体を抱きとめたリズヴァーンは、常にはないその熱さに驚いた。
「無茶をする」
「リズヴァーン殿・・・ひとりで起き上がれますゆえ」
「無理だな」
の言葉をあっさりと無視すると、リズヴァーンは望美に向かってこう言った。
「望美、弁慶に病人をひとり連れて行くと伝えてきてくれ」
「は、はいっ!」
弾かれたように返事をして道場を飛び出していった望美を見送ると、リズヴァーンはを抱き上げた。
「リズヴァーン殿?!」
「暴れるな」
「しかし・・・」
「弁慶のもとへ連れて行くだけだ。お前はひとりでは歩けまい」
「・・・・・・」
「私に抱えられていては、何か不都合があるのか?」
間近で見るその青い瞳が悪戯っぽい輝きを帯びている気がするのはの考えすぎか。
「いえ・・・」
確かに熱のせいでふらついて、ひとりで弁慶のところへ歩いていくのは難しかった。かと言って、こうしてリズヴァーンに抱きかかえられて弁慶のもとへ行くのも問題がある。
――と弁慶は恋人同士だった。
戦の最中であるし、軍師である弁慶と武将であるが恋仲であるというのを皆に知られるのはよくないと考え、は弁慶に恋人であることを隠すように頼んでいた。しかし、一方の弁慶はそれが気に入らないらしく、ことあるごとに独占欲を露わにしようとする。
こんな姿を見られたらどうなることやら・・・。
熱のせいで頭がハッキリしないが、あまりよろしくない状況であることはわかる。
は深いため息をついた。
「・・・!?」
リズヴァーンはを抱きかかえたまま、弁慶の私室を訪れた。
弁慶は薬の調合でもしていたのだろうか、部屋には乾燥した薬草の束がうずたかく積まれている。望美が連絡したためか、囲炉裏の傍に床が延べてあった。
「ここに降ろしてもよいか?」
「あ・・・はい、お願いします、リズ先生」
リズヴァーンは、をそっと布団の上に降ろした。
「申し訳ございませぬ、リズヴァーン殿」
「構わぬ。だが、体調を管理するのも務めのうちだぞ、」
「・・・はい」
は申し訳なさそうにリズヴァーンを見た。数日前から体調が優れないとは思っていたのだが、いつも通りに過ごして、その結果熱を出してしまったのだ。
「しばらく休め」
リズヴァーンはそっと手を伸ばすと、の乱れた髪を直した。
「リ、リズヴァーン殿っ?!」
「どうした?」
リズヴァーンの瞳は楽しげに煌いていて、は思わずくちびるを噛んだ。どう考えても、リズヴァーンはこの状況を楽しんでいるに違いない。は、弁慶の視線が突き刺さるような気がした。
「弁慶、後は頼んだぞ」
「わかりました」
リズヴァーンと望美が部屋を出て行ってしまうと、弁慶はの傍らに腰を下ろした。
「ったく・・・体調が悪いなら、僕に言ってくれればよかったのに」
「すまぬ・・・」
「で、どうして、リズ先生に抱きかかえられているわけです?」
「・・・・・・」
弁慶の機嫌は悪そうだ、とは思った。それでも弁慶はてきぱきとの診察を行っていく。
「かなり熱がありますね。気分は?」
「少しふらふらするが、別に悪くはない。リズヴァーン殿と道場で鍛錬をしていたのだが、
途中で立っていられなくなった」
「君はもう少し、自分の身体に頓着してほしいものですね」
弁慶は呆れたように深いため息をついた。弁慶は立ち上がると、薬棚を開けて引き出しから薬を取り出した。
「さ、これを飲んでください。熱が下がりますよ」
「すまぬ」
弁慶が差し出した粉薬を水とともに呑み込んだのだが、は思いっきり渋い顔をした。
「なんだ、これは・・・」
「すみません、苦かったですか?」
しかめ面のを、弁慶はくすくすと笑った。
「苦いのは苦いが・・・なんともいえない妙な味だ」
後味が悪いのか、は水をガブガブと飲んだ。しかし、それでも口の中の奇妙な味はなかなか消えてくれない。
「口を開けてください」
「ん?」
が言われた通りに口をあけると、弁慶はなにやら丸いものを放り込んだ。
「飴ですよ。口直しになるでしょう」
飴の甘さが口の中の苦味を消してくれるようだった。はふぅと大きく息を吐くと横になった。さすがに熱がこたえているのだろう。
「しばらくすれば熱は下がると思います」
「なんだか・・・眠くなってきた」
「ええ、さっきの薬に眠くなる成分が入っていますから。眠れそうなら、眠ったほうがラクですよ」
「ああ、そうさせてもらおう」
しばらくすると、の寝息が聞こえてきた。熱が高いせいか、すこし息苦しそうだ。
「・・・君というひとは」
弁慶は小さなため息をつくと、の熱で紅潮した頬にそっと触れた。
「他人のことばかり気にかけて、自分のことは後回しにするから・・・」
の体調が悪いことに気づかなかった自分にも腹が立つ。誰よりも自分がのそばに居るはずなのに、だ。
リズヴァーンに抱きかかえられているを見たとき、一瞬恐怖と不安で背筋が凍りついた。
――君を失いたくない。
弁慶が思ったのは、ただそれだけだった。
幾度となく戦場でが傷つく姿を見てきた。血の気を失った白い顔と、気を失ってだらりと投げ出された身体・・・。
それを見るたびに、なにもかも忘れて駆け寄ってしまいそうになる。無論、はそんなことは望まないだろうし、軍師としての弁慶の立場もある。だから、実際にそうしたことはなかったが・・・。
「・・・静かだな」
ぽつりと呟くの声が聞こえた。眠っていると思っていたのに、目を覚ましたようだ。
「ええ、皆、どこかへ出掛けてしまったようですから。それより、気分はどうですか?」
「さっきよりは楽になった」
の額に手を触れると、まだ熱を持っていた。弁慶は冷たい水で濡らした手ぬぐいをの額の上に置いた。
「冷たくていい気持ち・・・」
「まだ熱があるようですね。2、3日は大人しくしておいてください」
弁慶がの頬に触れると、はゆっくりと目を閉じた。
「夢を見ていたんだ」
「夢?」
「ああ・・・初めて戦場に出たときの夢だ」
「・・・・・・」
の父は男子に恵まれず、ようやく生まれたを男として育てたそうだ。さらに数年後男子に恵まれたが、まだ戦場に立てるほどの年齢ではないため、が軍を率いている。
もし、生まれる順番が逆だったとしたら、は戦場に立つことなどなかっただろう。誰かの妻となって、夫や子供を戦場に送り出し、その身を案じていたかもしれない。
「いろんなものを無くしてきた気がするな・・・けれど・・・」
「・・・?」
「お前に逢えた。それに皆にも」
普通の女性としての幸せからは、自分は程遠い場所にいると思う。けれど、はそれを不幸だとは思わなかった。
「・・・」
「だから、そう悪くもない・・・」
戦場でがどれほど傷ついてきたのか、弁慶は嫌というほど知っている。
それは身体の傷であったり、心の傷であったり・・・。が普通の女性として生きていたなら、決して経験することのなかったであろう痛み。
「ええ、そうですね・・・」
弁慶は穏やかな笑みを口元に浮かべて答えた。
振りかえれば、たくさんのものを奪われてきた気がする。自ら捨ててしまったものもある。
それはほんのすこし寂しいことだけれど。
――君がとなりにいてくれるのなら、僕は今のままの僕でいい。
「さ、もう少し眠ってください」
「ああ」
「僕がつきっきりで看病してあげますからね」
「・・・・・・」
思わず複雑な表情になってしまったを、弁慶はクスリと笑った。
「病人に手を出したりはしませんよ、さすがの僕も」
「弁慶っ!?」
「だから、早く治してくださいね」
弁慶はにっこりと微笑み、の黒髪をひとすじ手に取ると、そっとくちづけた。
君と出逢えたこの偶然を、運命と名づけたい気がするのは僕だけですか・・・?
【あとがき】
ネオロマ企画投稿作品。
またしても設定使いまわし・・・(笑)
弁慶さんのお誕生日にアップした創作でした。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2007年6月16日