Butterfly 第3話




「今日もよろしくね、さん」
「奥方さま、こちらこそよろしくお願いします」
いつもの大名の奥方の身辺警護だった。
大名の奥方の城下の散策につきあうだけなのだから、特別上忍であるが担当するほどの任務ではない。
しかし、にとっては数少ない、楽しいともいえる任務であった。の母が生きていたなら、奥方と似た年頃だったろう。
子供のいない奥方の方でもを気に入ってくれたようで、中忍の頃から指名されて任務を受けてきた。
裕福そうな金持ちの夫人とその侍女といった姿に身をやつし、他愛もない話をしながら城下を歩く。
――ふと気づくと、人通りが途絶えていた。
シュッ!
「・・・ッ!?」
突如襲い掛かってきた手裏剣をクナイで弾き飛ばし、その腕でクナイを投げる。
「ぐはっ!」
くぐもった悲鳴が聞こえたかと思うと、ドサリと音がして、少し離れた木立の間に曲者が倒れていた。
は周囲の気配を探りながら、奥方を庇いつつ後退する。
「どうしてこんな・・・!?」
真っ青になって今にも倒れそうな奥方がしがみついてきて、は身動きがとれない。
「奥方さま、手を離してください!他にも曲者がいるかも・・・」
「そーだぜ、お嬢ちゃんよ!」
「!」
まずい・・・もう一人!隙を作らせるために、味方を見殺しにしたっていうの?!
キラリ、と白刃が煌めく。間に合わない・・・!
咄嗟に奥方をかばい、迫りくる衝撃に備える。何があっても、依頼人を傷つけるわけにはいかないのだ。
だが――予想した衝撃は来ず、は恐る恐る目を開けた。
「カ、カカシお兄ちゃん?!」
そこには見慣れた木の葉のベストに、見間違うことのない銀色の髪。
「油断大敵だぞ、!」
スッとその身体が沈んだかと思うと、あっという間に暗殺者を捕らえ、地面に引き倒した。
「・・・ケガは?」
「大丈夫です」
今にも気を失いそうな奥方を助けおこし、はくちびるを噛み締めた。
完全に自分の失態だった。簡単な任務だと、舐めてかかっていたのかもしれない。
「大名の側室が依頼した暗殺者だ。世継問題でもめていたらしい。諜報部から連絡が入ったのが
 遅くて、オマエにまで伝わってなかったらしいな」
「・・・はい。ですが、今回はわたしのミスです。あやうく依頼人を・・・」
カカシと目を合わせる勇気がなくて、うつむいていたは、地面に黒いシミが広がっているのに気づいた。
「はたけ上忍、ケガを・・・?!」
「大したキズじゃない」
しかし、その胸元はザックリと斬られており、血があふれ出ている。
「早く手当てを・・・!」
「もうすぐ仲間がくる。オマエは奥方を屋敷まで送り届けろ」
「ですが・・・!」
「自分の任務を忘れるな」
「・・・はい」
はキュッとくちびるを噛み締めた。忍である自分にとって、最優先事項は『任務の遂行』。
自分の甘さ加減に呆れてしまう。おそらく、カカシもそう思っているだろう・・・。
は気を取り直し、奥方を助け起こした。


奥方を屋敷に送り届けると、すでに別のチームが到着しており、奥方の身辺警護にあたるとのことだった。
奥方には世継ぎの子供はいなかったが、その公平な人柄は城下の者たちから好かれており、政治的な影響力も大きかった。わが子を次の大名にと望んだ側室が、邪魔な奥方を暗殺しようとしたらしい。側室とその子供は身柄を拘束され、監禁中とのことだった。
は奥方を仲間に頼み、そのまますぐに木の葉病院へ駆けつけたのだ。
たまたま顔見知りの看護士が居て、『ナイショね』と言いつつ、こっそりとカカシの病室へと案内してくれたのだ。
眠っているカカシは、もともと色の白い方だが、今は白さを通り越して、少し青ざめて見える。傷は大して深くなかったようだが、出血が多かったらしい。
看護士が出て行くと、はベッドサイドの椅子に腰掛けた。
眠るカカシを見つめていると、じわりと涙が溢れ出してきた。いつもいつも、自分はカカシに守ってもらうことしかできないのだ。
決してその隣に並ぶことはできぬのだと、今さらながらに思い知らされる。
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「泣き顔は子供のころと一緒だな・・・」
「気がついたの?!」
ふと気づくと、カカシがこちらを見つめていた。すこし視線がぼんやりしているのは麻酔のせいか。
「オマエがそばにいて、ずっと笑っていてくれたら・・・って思ってたのに。結局、泣かせてるのはオレか・・・」
「違・・・っ!わたしが悪いんです!」
「・・・泣きすぎると、目が溶けるぞ」
クスリと彼は笑うと、その手で涙をぬぐってくれた。
「なんか・・・眠いや」
「まだ麻酔が効いてるんです。少し眠ってください」
「うん。目が覚めるまで、ココに居てくれる?」
「はい・・・。ずっとそばに居ます」
ありがと、と小さな声でつぶやくと、カカシはそっと目を閉じた。はその穏やかな寝顔を見ながら思った。
どうしてこのヒトを忘れられるなんて思ったのだろう・・・?諦められるなんて思ったのだろう・・・?
子供のころはずっとそばにいて、ずっと一緒にいられると思っていた。少し成長してからはなんだか互いに面映くなって、会話を交わすことが少なくなってしまったけれど。それでも、にとって、カカシは想いの対象で、同時に忍としても憧れの存在だった。
彼に追いつこうと、辛い修行を繰返し、ようやく特別上忍にまでたどり着いたのだ。しかし、カカシは一歩も二歩も先をゆき、永遠に追いつけないような気がして・・・。
そして、自分には祖母の決めた婚約者がいた。名前も顔も、年齢さえも知らない相手に、自分はもうすぐ嫁がねばならない。
の一族の女当主としての責任は、幼い頃からイヤというほど教え込まれてきた。だからこそ、カカシへの想いも封印しようと思った。
けれど・・・心は思い通りにはならなかった。
里内で遠くから彼を見かけただけでも、その日一日は幸せな気分でいられた。挨拶程度の言葉を交わしただけでも表面上は冷静さを保っていたが、内心では舞い上がっている自分がいた。
自分はこの想いを抱えたまま、の当主として生きていくのだろう・・・。けれど今だけは――カカシのそばにあることを許して欲しかった。
は、眠るカカシの左手をそっと取ると、自分の頬に押し当てた。
幼い頃は当たり前のように自分に差し出されていた手、伸ばした自分の手を優しく握ってくれた手・・・。
あの頃の自分はなんと贅沢だったのだろう。そして、今の自分にはこの手を望むことは許されないのだ。
ならば今だけは・・・今だけは、この手を取ることを許して欲しかった。
は、そっとカカシの手にくちづけ、自分も目を閉じた。




【あとがき】
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2004年7月21日