邂 逅
雨が降っていた。
冷たい雨粒が自分の穢れを流してくれるような気がして、カカシは慰霊碑の前に立ち尽くしていた。
今宵、彼は面を被り、暗部としての任務をこなしてきた・・・つまりは『暗殺』
「バカだな、オレ」
このところ下忍の子供たちとDランクの任務ばかりこなしていて、血生臭い任務は久しぶりだった。
だから、錯覚してしまっていた。
自分も光の中にいるのだ、光の中で生きていけるのだ、と。
この手もこの身体も、とうに血に濡れているというのに。
忍として生きる――それを選んだ時点で覚悟していたことなのに。
水滴はカカシの身体の表面を滑り、地へ還っていく。手を伸ばして慰霊碑にそっと触れてみる。
指先から滴り落ちる水は、朱の色をしていた。
「オレはいつそっちへ逝くんだろうね・・・?」
面の下で小さく呟いた。死に急いでるわけじゃない。まだまだやりたい事だってある。
けれど・・・こんな夜は、死が甘美なものに思えて仕方がないのだ。
どれくらい時間が経ったのだろう。カカシのとりとめのない思考を中断させたのは、若い女の気配だった。
咄嗟に身を隠そうかと思ったが、暗部姿の自分を見て逃げ出すのが関の山だ。
姿を消すのも面倒だと思ったカカシは、そのまま慰霊碑の前に立っていた。
「あら」
やがて赤い傘を差した若い女性がやってきた。
慰霊碑のまん前までやってきて、ようやくカカシの存在に気づいたようだ。
だが、暗部姿のカカシを見ても、女は逃げ出すどころか、怖がる様子も見せなかった。
「お邪魔しちゃったかしら?ごめんなさい、誰もいないと思っていたものだから」
その女性はにこやかに答えた。こんな雨の深夜に、面を被った怪しい男を目の前にして。
微かに笑みを浮かべた口元が優しげな雰囲気を漂わせていた。
「何をしにきた?」
深夜、血塗れの仮面の男とふたっりきりだというのに、少しも怯えた様子が見えない。
彼女はクルクルと赤い傘を回した。
「何って、お花を供えにきただけよ」
と、胸に抱えた白いユリの花束を見せた。
大輪のユリの花は雨にうたれたのか白い花びらに水滴を浮かべ、甘い香りを漂わせていた。
「こんな時間に、か?」
「フツーの人ならまだ眠ってる時間ね。今夜は夜勤で、いまは仮眠時間なの。
でも中途半端に寝ちゃうと、かえって起きるのが辛くなるから」
木の葉病院の医者なの、と彼女は言った。
よく見ると、白いコートかと思ったのはしわくちゃの白衣で、ポケットからは聴診器がのぞいている。
木の葉病院に新しい医師がきたのだと、しばらく前に噂を聞いたような気がする。
「お花を供えてもいい?」
「・・・ああ」
カカシは彼女から視線を外さぬまま、後ずさった。
彼女はゆっくりと歩を進め、慰霊碑に花を供えると、目を瞑り手をあわせた。
どれくらいそうしていただろうか、彼女は立ち上がった。
「ごめんなさい、あなたの邪魔をしてしまったみたい」
「いや・・・。君はオレが怖くないのか?」
この里の人間で、暗部を恐れぬ者はいないだろう。
火影直属の部隊―その顔も素性もつまびらかにはされず、動物を模した面を被り、
その名のとおり暗殺を主とする任務を行う。
今夜のカカシは『戌』の面を被っていた。
「どうして?あなたが暗部だから?」
「・・・ああ」
「あなたは私を傷つけようと思ってる?」
「いや」
「・・・なら、怖くはないでしょう?」
彼女はにっこりと微笑んだ。
彼女のほがらかな雰囲気に流されそうになるが、深夜に暗部と出会って平然としていられる女・・・。
彼女は何者なのだろう?
「あたしの兄も忍者だったのよ。あなたと同じ、暗部にいたこともあったと思うわ。
家族には隠そうとしていたけれどね」
過去形でしか話せない兄――彼女の兄が、おそらくここに眠っているのだろう。
彼女は慰霊碑をじっと見つめたまま、言った。
「ある日突然、家に火影さまがやってきたわ。あたしたち家族は『ああ、その日がきてしまった』と思った」
彼女の予想通り、彼女の兄は暗部に属していたのだろう。そして、その任務の最中に命を落とした・・・。
「兄は『里の英雄』になっちゃったわ。そんなものにならなくても良かったのに・・・」
うつむいた彼女の表情を見ることはできなかった。泣いているのかもしれない、とカカシは思った。
自分が死んだら、誰が泣いてくれるのだろう。こんな風に、誰かに思い出してもらえるのだろうか。
不謹慎だと自分でも思ったが、彼女の兄が羨ましいような気が、ほんの少しだけ、した。
うつむいていた彼女が、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「あなた、ケガしてる?」
「いや、返り血を浴びただけだ」
「そうかしら?その手甲の下、骨が折れてるかもしれないわ。止血も失敗しているみたいだし」
カカシの右手からは血がポタリポタリと滴っていた。
咄嗟に手甲で敵の刃を受け止めたのだ。手甲の金属部分は無残に割れてしまっている。
「次はちゃんと避けることね。手が何本あっても足りないわよ」
「・・・そうするよ」
「痛む?」
彼女が自分の顔を覗き込んでいる。
そんなに見つめても面の下の表情はわからないのに、とカカシは面の下でクスリと笑みをもらした。
「それほどでもない」
「報告は終わったの?時間はある?」
「なぜだ?」
「決まってるでしょ、治療するのよ。そのまま放っておくつもり?」
「自分で手当てできる」
「あのねぇ、ココに医者がいるの。手当ては、あなたより上手よ?」
ムッとしたように彼女が言った。
深夜の診察室は、カカシと彼女の二人きりだった。他の看護士達はだれも現れない。
カカシは、少しホッとした。
一般人よりは慣れているとはいえ、看護士達も強いて暗部に近づきたがらない。
暗部姿を見られるのは嫌だった。
彼らの恐怖に満ちた瞳で見つめられると、嫌でも自分のしてきた事が思い出されてしまうから・・・。
しかし、目の前の医師は平然としていた。普通の患者に接するように、テキパキと診察を行っていく。
「う〜ん、かなりヒドイわね。縫うにしても傷跡が残るわね。幸い、骨も腱も傷ついてはいないけれど」
使い物にならなくなった手甲はハサミで切り取られ、血の止まらぬ裂傷があらわになっていた。
「いまさら、傷跡など気にはしない」
色の任務につくくの一ならともかく、忍者は傷跡など気にしない。
傷跡などより生き残るほうが先決なのだ。
「せっかくキレイな手なのに」
何気なく言ったのだろうが、その言葉がカカシの神経を逆撫する。
この血にまみれた手が美しいというのか?数え切れないほどの命を奪ってきたこの手が?
「この手のどこがキレイなんだ?」
声に怒気がこもる。造形的には確かに美しいかもしれない。
しなやかで力強い手、そしてすらりと長い指――傷跡すらもそれを彩る飾りのように思える。
「キレイじゃない?男らしい、力強い手だわ」
「・・・笑わせるな。この血にまみれた手がキレイだと?数え切れないほどの命を奪ったこの手が?」
カカシの怒気に気圧されることもなく、彼女は淡々と診断を続ける。そして、静かに言った。
「あたしの手も同じよ。たくさんの命を奪ってきたわ、助けたいと思った命をね」
彼女は医者だ。ひとの命を助けるのが仕事――だが、その力が及ばないこともある。
命じられるままに殺す自分と、その手の内から命を奪われていく彼女・・・。
それはどちらが苦痛なのだろう?
「――すまない」
「いいえ、あたしの方こそごめんなさい。言い過ぎたわ。
もう少し治療に時間がかかるけど、かまわないかしら?」
カカシが無言で頷くと、彼女はスッと立ち上がると処置室から出ていった。
しばらくして戻ってきた彼女の両手には、紙コップがふたつ。コーヒーのよい香りが漂う。
「味は保証しないけど、少しは暖まるわ」
差し出されたカップを受け取る。手の中のそれは、コーヒーというよりカフェオレに近かった。
「あ〜、ブラックじゃとても飲めたシロモノじゃないの。ミルク嫌いだった?」
「いや」
口をつけようとして、自分が面を被っていることに気づいた。
彼女もそれに気づいたのだろう、薬を取ってくると言って席を外した。
彼女が部屋を出たのを確認すると、カカシは面を少しだけずらした。
コーヒーに口をつけるとその熱さと甘さがしみわたる。
ミルクだけでなく砂糖もたっぷり入っていたようだ。
自分が冷え切っていたことを、カカシはようやく気づいた。
ドアをノックする音がして、彼女が戻ってきた。片手に薬品のトレイ、もう一方にはタオルを持っていた。
「ごめんなさい、気づかなくて。風邪ひいちゃうわね」
フワリと肩に真っ白なタオルがかけられた。血で汚れると思ったが、濡れた身体にはありがたかった。
「じゃあ治療を始めるわ」
そう言うと、彼女はカカシの右手をとり、自分の左の手のひらに乗せた。
そうして、その上に右手をかざす。
「何を・・・?」
「静かに。できればリラックスしてくれるとありがたい」
先ほどまでののんびりした様子はなく、真剣な眼差しで傷を見つめている。
かざされた彼女の右手にチャクラが集まってくるのを感じた。
青白い光が手のひらから溢れ出す。カカシの目にも眩しいほどだった。
彼女は治癒術を使うのか・・・。
「・・・!」
右手の裂傷からチャクラが流れ込むのを感じた。
傷ついた細胞がどんどん再生を繰り返し、裂傷がふさがっていく。
驚いたことに、流れ込むチャクラはカカシのそれに似ていて、裂傷だけでなくその身体をも癒していく。
時間にして2,3分といったところだろうか。青白い光がすっかり消えると、彼女はホッとため息をもらした。
「大丈夫?気分は悪くない?」
「ああ、オレは大丈夫だが・・・君の方が」
傷はきれいに塞がり、ピンク色の新しい皮膚が出来上がっている。
この術は非常にチャクラを消費する。チャクラが光となって具現化し、目に見えるほどなのだから。
「大丈夫よ。これが仕事ですもの」
少し疲れたような様子を感じるが、大したことはなさそうだ。平然と冷めかけたコーヒーをすすっている。
よほどのチャクラの持ち主なのだろう。しかし、上忍・中忍で見知った顔ではない。
もちろん全員を知っている訳ではないが、これほどの能力の持ち主を知らないとは。
「君は医療班だったのか」
「・・・治癒術が使える医者、ってトコ。額当ては持ってない」
「忍者じゃないのか?!」
ふふと笑いながら、彼女は答えた。
「子供の頃はアカデミーにも通っていたわ。でも、忍者にはならなかった・・・。ね、ほかに傷はない?」
「大丈夫だ。今の治療でほとんどの傷はふさがった。あとのかすり傷は自分で処置できる」
「そう。きれいに傷を洗って、ちゃんと消毒してね」
いったん血を流してしまわなければ治療できないとわかったのか、
彼女はそれ以上治療を続けようとはしなかった。
「ありがとう」
この面を被っているときに礼を言ったことがあっただろうか。ふと、そんな疑問が頭をよぎった。
「どういたしまして。もう怪我しないようにね」
「ああ、気をつけるとしよう」
ほんのすこし、彼女の瞳が悲しげに見えた。今はもう帰らない兄を思い出しているのだろうか・・・。
「今度は里で会えるかしら?」
「会っても顔がわからないだろう?」
「ああ、それもそうね。もしわかったとしても声はかけないけれど、ね。
なんだか、あなただけがあたしのことを知ってるって、ズルイような気がするわ」
クスリと笑って、彼女はカカシの紙コップを片付けた。
「じゃぁね、暗部さん」
しわくちゃの白衣の彼女は、病院の玄関までついてきた。雨上がりの朝日が眩しかった。
彼女は、友人に向けるような穏やかな微笑で見送ってくれた。
カカシは、彼女のその穏やかな微笑を忘れられなくなりそうな予感がした。
「初めまして、です」
「ど〜も」
予感が確信に変わるのは、もうすこし後のことだ・・・・・・。
【あとがき】
ちょっとシリアス風味(?)で、二人の出会いです。
最初は全然違うヒロイン設定(元暗部で血継限界)だったのですが、そんな大風呂敷をひろげても
私には到底書けないであろうと・・・(笑)
短編のほぼ固定ヒロイン(『ほぼ』ってトコが情けないですけど。ツジツマのあわないところは
見逃して下さいませ〜)とカカシ先生の出会いです。
しかし、『甘さ』のカケラもない仕上がりですな(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2004年1月11日