beginning
「なんだ、まだ帰ってねぇのかよ」
特別上忍の不知火ゲンマが見上げたのは自分のアパートの部屋――ではなくて、その隣の部屋だった。
自分の部屋はもちろん真っ暗だが、隣の部屋も暗い。
時刻はすでに夜の11時を過ぎようとしていた。
「ったく、アイツ、また残業してやがるな」
ゲンマが『アイツ』と呼ぶのは、隣人ののことだ。
は木の葉病院の研究室に勤めており、ここ最近、途轍もなく忙しいらしい。
その職業柄、かなり不規則な生活を送らざるを得ないゲンマだが、このところのも日付が変わる前に部屋に戻ってきた試しがなかった。
「お前、帰り道は誰かに送ってもらえよ」
あまりにもの帰宅時間が遅いので、ゲンマが注意したことがあった。
里の中とは言え、若い女性がひとり、暗い夜道をゆくのは危険である。しかも、は忍びではなく単なる一般人で、武道に長けているわけでもなく、ごくごく普通の女性なのだ。ゲンマがいらぬお節介を焼いてしまうのも尤もなことだった。
「なんで?」
きょとんとした顔でゲンマを見つめる。ゲンマは、ガックリと膝の力が抜けそうだった。
「お前なぁ・・・痴漢とかひったくりとか、夜道は危ないだろーが」
「痴漢?」
ケラケラとが笑う。
「あたしを襲う痴漢なんていないよー」
「・・・俺を痴漢と間違えたのは、どこのどなたでしたっけね」
ゲンマがイヤミたっぷりに言うと、は『あ』と口元を押さえた。
ゲンマがと知り合ったキッカケ――あまり思い出したくもないが――は、がゲンマを痴漢と間違えたことから始まる。
その日のゲンマは任務で軽い怪我を負ってしまい、木の葉病院へ寄ってから自宅へと向かっていた。
そろそろ日付が変わろうかという時間。ゲンマの前をひとりの女性が歩いていた。
無用心だな・・・。
賑やかな大通りならまだしも、このあたりは住宅街で、今の時間帯はひっそりと静まり返っている。
ゲンマでなくとも『何かあったらどうするんだ?』と言いたくなるような状況で、目の前の女性は歩いているのだった。
目の前の女性が道を左に曲がる。そしてゲンマも。
何度かそんなことが続くと、目の前の女性がいきなり走り出した。
「誰か助けて!痴漢よーっ!」
「なっ?!」
辺りの気配を探ってみても、この辺りにいるのは彼女と自分のみ。
「痴漢って・・・俺のことかよっ?!」
なぜだかずっと同じ道をゆくゲンマを、おそらく彼女は自分のあとをつけてきていると勘違いしたのだろう。
・・・ゲンマ自身は、単に自宅への道をたどっていただけなのだが。
難なくに追いついたゲンマは誤解を解くことに成功し、そこで初めて隣人であることを互いに知ったのであった。
それ以来、ふたりは言葉を交わすようになり、時には食事を共にするようになり、そして今ではゲンマの任務明けにはふたりで飲みに行くのが常となっていた。
さほど広くもないベランダに出て、ゲンマは夜風に吹かれながら煙草をふかしていた。
「あ、ゲンマだ!」
「・・・遅いっての」
下の通りからが手を振っている。軽くゲンマが手をあげると、は笑って手を振りかえし、慌てたようにアパートの中へ駆け込んだ。
しばらくすると、隣の部屋の明かりがつき、ベランダの窓が開いた。
「ゲンマ、帰ってたんだ!」
「おう」
隣り合うベランダを区切る壁の向こうから、が身を乗り出してゲンマに話しかける。
「つーか、お前、帰ってくんの遅すぎだぞ」
「えー、そう?」
がわざととぼけているのはお見通しだ。ゲンマはの立っている方へ近づいていき、その鼻をキュとつまんだ。
「ふがっ?!」
「俺が『誰かに送ってもらえ』って言ったの、忘れたのかよ?」
「ちゃんと近くまでは送ってもらったわよ」
ゲンマにつままれた鼻が痛かったのか、は鼻先を指でこすっていた。
「気をつけろよ。お前も一応はオンナなんだからさ」
「『一応』は余計です」
ぷぅっとふくれっ面のにクスリと笑ったゲンマだったが、真剣な顔で言った。
「マジで注意しろよ」
「ハーイ」
それからしばらくの間、ふたりは夜風に吹かれながら他愛もない話をした。だが、そろそろ切り上げなければ、は明日の仕事に差し支えるだろう。
「」
「ん?なぁに?」
「俺、また明日から任務で里を離れるんだ」
「・・・そう」
「で、悪いんだけどさ、また頼むよ」
「うん、わかった。ちゃんと水あげておくね」
に部屋のカギを渡したのはいつだったろうか・・・?
いつからか、ゲンマは任務で里を離れなければならないとき、留守中の部屋の手入れをに頼むようになっていた。
2〜3日ならともかく、1週間から10日、あるいはもっと長期にわたって留守になることもある。その間、部屋を閉め切っておくのもなんだか嫌な気がして、ゲンマはに換気をしてくれるように頼んでいた。
のおかげで、過去何度も枯らせてしまった観葉植物も無事に育っている。ゲンマが戻る時期がわかっているときは冷蔵庫に食料を補給しておいてくれたりと、のさりげない気遣いが、任務明けのゲンマのささくれだった気持ちを癒してくれていた。
のおっとりした性格のせいだろうか、任務明けに里に戻ってくるとなんとなくに逢いたくなって、ゲンマはの勤める研究所に顔をだすことが多かった。
「ね、今度はいつ帰ってくるの?」
「ああ、そうだな・・・一週間後くらいだな」
「わかった。気をつけてね。ちゃんと帰ってくるのよ」
「ああ」
何度となく交わされたやりとり――今ではそれがひとつの儀式のような気さえしてくる。
そして、里に帰還したゲンマを、が微笑みながら出迎えてくれることも・・・。
「おい、もう寝るぞ」
「あ、そうだね。じゃ、おやすみ、ゲンマ」
「おやすみ。遅刻すんなよ」
「遅刻なんかしませんよーだっ」
ゲンマは笑いながらヒラヒラと手を振りながら、自分の部屋へと戻った。はそんなゲンマの後姿をじっと見つめていたが、やがて小さなため息をつくと、夜空に輝く月を見上げた。
「・・・ちゃんと帰ってきなさいよね」
は、ポツリと小さな声で呟いた。
――そして一週間後。
予定通り無事に任務を終えたゲンマは『人生色々』で報告書を書いていた。
アイスコーヒーを飲みながら、キッチリと報告書を仕上げていく。もうあと一枚見直せば終わりだ。
の勤務時間もそろそろ終わる時間だろう――残業をしないのであれば。
これを仕上げたら、を誘って飲みに行こう。ゲンマはそんなことを考えながら、報告書をチェックしていた。
「ゲンマ!」
「ん?なんだ、アンコにハヤテか」
「どうも。ゴホ」
ゲンマが顔をあげると、そこにいたのは同じく特別上忍のアンコとハヤテ。ゲンマが何も言っていないのに、ちゃっかり前の開いている席に腰掛けている。
「なんか用か?」
「あのさ、ゲンマに聞きたいことあったんだよね」
「あの、ちょっとアンコさん、何も直接本人に聞くことは・・・ゴホ」
困ったような顔のハヤテがアンコを一生懸命止めようとしているのだが、当然アンコの勢いに敵うわけもなく。
「なんだよ?」
ゲンマは怪訝そうな顔をした。目の前の二人の会話が見えないのだ。
「だって、本人に聞くのが一番早いじゃん」
「それはそうですが」
「だから、何だってんだよ?」
「ゲンマってさ、と付き合ってんの?」
「・・・・・・」
「あ、固まった」
ふたりと話しながらもゲンマの報告書をチェックする手は止まっていなかったのだが、それがピタッと止まってしまっている。
いつもくわえている長楊枝が落ちなかったのが不思議なくらいだ。
『固まっちゃいましたよ、ゲンマさん・・・』
『もしかして、考えたことなかったりするのかしら』
固まっているゲンマをチラチラと窺いながら、アンコとハヤテはボソボソと小さな声でしゃべっている。
『ですが、ゲンマさんのお部屋にいるさんをご覧になったのでしょう?なら、やはり・・・』
『あたしもそう思うんだけどさ、ベランダでゲンマの布団を干してるを見たってカカシに言ったら、
それは何かの間違いだ!って言い張るんだもん』
『で、確かめてこいって言われたわけですね。ゴホゴホ』
『そーゆーコト。ちゃんと聞いてきたら、お団子20本おごってくれるって言うんだもん』
『・・・』
アンコとハヤテは小声でしゃべっていたのだが、ようやくゲンマが我に返ったらしい。
「・・・なぁ」
「「?」」
「俺とって、付き合ってるように見えんのか?」
アンコとハヤテは顔を見合わせた。
「そりゃだって、好きでもない女に部屋のカギ預けたりしないでしょーが」
そうか、とゲンマは呟くと、報告書を持って立ち上がった。
「悪い、用事思い出した。またな」
「え?あ、ゲンマってば!結局どっちなのよー?!」
結局答えは聞けず、アンコはカカシに団子をおごってもらえないとぶちぶち言っている。
「アンコさん?ゴホ」
「何よ?」
「もしかして、ヤブヘビだったんじゃないですか?ゴホゴホ」
「・・・・・・」
ゲンマは報告書を提出したあと、ブラブラと里の中を歩いての勤める研究所へと向かっていた。
夏の夕日に照らされた里は美しいオレンジ色に染まっている。
陽が長くなったなどと思いながら、ゲンマはのんびりと里の空気を楽しんでいた。
――ここは帰るべき場所、戻ってくるべき場所なのだ。
そんな風に思う。そして、ゲンマが『ああ、里に戻ってきた』と一番思うのは・・・。
「あら、不知火特別上忍、お久しぶりですね」
「そうだったっけか?」
「ええ、そうですよ」
を訪ねて研究所へとやってきたゲンマだったのだが、応対に出てくれたのは別の研究員だった。
何度もここを訪れているせいで、すっかり顔なじみなのである。
「さんですか?」
「ん、ああ、そうなんだが・・・」
入り口から奥の研究室を覗いてみたが、の姿はなかった。
「さんなら、今日はお休みですよ」
「休み?」
「ええ、そうなんです。どうしても今日は外せない用事があるとかで、休みをとるために頑張って仕事してましたからね」
「そうか・・・」
いつもならここでが出迎えてくれるのだが。きちんと約束を交わしたわけではなかったけれど、ゲンマが帰還する日は必ずといっていいほど予定を空けて待っていてくれた。
「悪い、邪魔したな」
「いいえ」
なんとなく肩透かしをくらったような気になりながら、ゲンマは研究室を後にした。
「さて、どうするかな・・・」
と飲みに行くつもりだったゲンマは、すっかり気がそがれてしまっていた。このままひとりで飲みに行こうかとも思ったが、楽しめなさそうな気がした。
しばらく悩んだ後、ゲンマは一度アパートに帰ることにした。
「ん・・・?」
自分の部屋の灯りがついていた。が来ているのだろうか・・・?
慌てて階段をかけあがり、カギを開けるのももどかしく部屋の中へ入る。
「?来てるのか・・・?」
玄関を入った脇のキッチンの小さなテーブルには、所狭しと料理ののった皿が置かれている。
中でも一際大きな器に、ゲンマの好きなカボチャの煮物がたっぷりと盛られている。
行儀が悪いと思いつつも、ひとつつまんで口に放り込む。ほっこりとした甘さが口の中に広がる。
これを作った本人はどこへ行きやがった・・・?
リビングにはいない。靴はあったから、帰ったわけではないだろうが。
まさかと思いつつ、寝室のドアを静かに開けてみた。
「・・・」
思わずゲンマはクスリと笑みをもらしていた。
真っ白なTシャツにジーンズというラフなスタイルのが、ゲンマのベッドで穏やかな寝息をたてて眠っていた。
ゲンマはを起こさないように気をつけながら、そっとベッドの脇へと腰を降ろした。
子供がぬいぐるみを抱きしめて眠るように、は枕を抱っこして眠っていた。その穏やかな寝顔を、ゲンマは同じくらい穏やかな表情で見つめていた。
「ただいま」
「・・・ゲンマ?」
ぼんやりと目を開けたがこちらを見上げていた。しばらくぼうっとゲンマを見ていただったが、ようやく今の状況が理解できたらしい。
「ゲ、ゲンマ!」
「よお、お目覚めか」
ククッとゲンマが笑いながら言うと、の頬がみるみる赤くなった。
「お帰りなさい!・・・ご、ごめんっ!ちょっと眠くなっちゃって・・・」
「構わねぇよ。風呂に入ってくるからさ、メシの支度頼むよ。あれ、全部お前が作ってくれたんだろ」
「う、うん・・・。味の保証はできないけど」
真っ赤になったままのの頭をポンポンと叩くと、ゲンマは着替えを持って浴室へ向かった。
「お、うまそうな匂いだな」
「でしょ?」
ゲンマがわしゃわしゃと頭を拭きながら浴室からでてくると、食欲を刺激するようないい香りがしてきた。
「もうちょっとでできるから、座って待ってて」
「おう」
冷蔵庫をあけてビールの缶をとりだして、ゲンマはリビングのラグに腰を降ろすと、うまそうにビールを飲んだ。
テーブルの上にはもう何品か料理がのせられている。
「おまたせ」
「ん」
「じゃ、改めて・・・カンパーイ!」
「乾杯。・・・って、何に乾杯だ?」
「もしかして、気づいてないの・・・?」
のガックリきた様子といったら・・・。ゲンマはなにやら申し訳ないような気になってしまう。
「今日が何日か知ってるわよね」
「今日?今日は、7月17日だろ・・・って、俺の誕生日か!」
ようやく気づいたゲンマをは呆れたように見つめ、それからクスクス笑った。
「自分の誕生日も忘れちゃってたの?じゃ、こんなに頑張って用意するんじゃなかったなぁ」
「悪い、マジで忘れてた」
「まぁ、任務明けじゃ仕方ないでしょ。じゃ、改めて、お誕生日おめでとう、ゲンマ!」
「・・・ありがとよ」
が頑張って用意したというだけのことはあって、どの料理も手が込んでいて、ゲンマ好みの味付けになっていた。
ふたりは大いに飲み、大いに食べ、楽しい時間を過ごした。
食事が済むと、今度はケーキをが運んできた。かなり小さめだが、ショートケーキでなくちゃんと丸いケーキである。
「ケーキ屋さんでね、『ローソク何本にしますか?』って聞かれたんだけど、いらないって答えたの。
だってね、ゲンマの歳の数だけローソク立てたら、このケーキ、はりねずみみたいになっちゃうんだもん」
「ほっとけ!」
は笑いながらケーキを切り分けた。甘いものがあまり得意でないゲンマはちびちびとケーキを口に運んだ。
一方のは、おいしそうにケーキを頬張っている。
「ねー、ゲンマ」
「ん?」
「誕生日プレゼントなんだけど、ゲンマの欲しい物ってよくわからなくって用意してないんだ」
「気ぃ使わなくていいって。こんなに豪勢なメシ作ってくれてたじゃねぇか」
「でもさぁー、お誕生日じゃない。何か欲しい物ある?」
「欲しい物か・・・」
「何でもいいよー。あ、でも、あたしが贈れそうな物にしてね」
「ああ・・・」
ゲンマが考えている間、はケーキをパクパクと食べている。なんとも幸せそうな顔である。
しばらくして、ゲンマは欲しい物が決まったと言った。
「ゲンマの欲しい物ってなに?」
「」
「・・・ハ?」
「だから、『お前』にしとく」
「っ!?」
パッとが真っ赤になる。
「お前がこうやって、俺のことを待っててくれたら、俺は嬉しい。・・・ダメか?」
いつになく真剣なゲンマの視線に、はさらに頬を染め、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「・・・ゲンマのバカ」
「なんだよ、それ?」
「そんなの、とっくの昔にあげちゃってるもん・・・」
自分で言った言葉が恥ずかしかったのか、は耳まで真っ赤になっている。
「そうか」
気づいていなかったのは自分だけ・・・。が自分の隣にいることがあまりに自然すぎて、気づかなかったのか。
任務明けにに逢いたいと想うのがどうしてなのか、ようやくわかった。
ゲンマは柔らかな微笑を浮かべて言った。
「悪かったな。機嫌直してくれよ」
「ゲンマ・・・」
ふたりの初めてのキスは、甘い甘いバニラの香り・・・。
【あとがき】
企画サイト投稿用に書いた創作です。ゲンマさんの誕生日祝いをかねて♪
ゲンマ兄さん、結構好きです!やっぱり大人キャラ好きだからね〜(笑)
でも、書くのは難しい・・・(^^;)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2005年8月7日