七 夕
「来たで〜、ちゃ〜ん♪」
「い、市丸隊長?!」
思いがけない訪問者に、は玄関先でピキッと固まった。
は護廷第三番隊の死神である。
非番だった今日、久しぶりに家中を掃除してホッと一息ついているところだった。女の独り住まい、普段なかなか手の回らないところもある。ずっと気にはなっていたのだが、任務が忙しく、ほったらかしになっていたのだ。
家中を掃除し、埃まみれ汗まみれになっていたため、早めに湯を使い、夕食はありあわせの物で済ませようかと考えていたところへの来客だった。
「市丸隊長・・・どうして・・・まだ任務中では?」
玄関の戸を開けると、そこに立っていたのは三番隊隊長市丸ギン――しかし、身に着けているのは死覇装ではなく、涼しげな藍の浴衣だった。しかも、右肩には大振りな笹が、そして左手には風呂敷包みがふたつ・・・。はいぶかしげに市丸を見上げた。
「いけずやなぁ、ちゃん。
ふたりっきりの時は『ギンちゃん』やろ?」
「あ・・・」
思わずは口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい。まだ慣れなくて・・・」
どうしてこうなったのか自分でもよくわからないのだが、は市丸と恋人同士だったりする。
「まあ、ええわ。ちょっとずつボクに慣れていってくれたらええよ。
ほな、庭へ回らせてもらうで」
勝手知ったる他人の家、とでもいうのだろうか。市丸は玄関脇の細い通路から奥の庭へ入っていく。市丸が歩を進めるたびに、笹の葉がザザッと音をたてる。
「あの、隊長、待ってくださいっ!」
「も〜、ちゃん、また『隊長』って呼んだで?ペナルティー1コ追加や」
にへらと笑みを浮かべながらも市丸は足を止めることなく、の家の小さな庭へとやってきた。
庭といっても猫の額ほどの広さしかないのだが、家には狭い縁側があり、冬場はここでひなたぼっこをするのがは好きだった。
市丸は縁側に持ってきた荷物を置いた。風呂敷包みがふたつ、そして・・・。
「その笹、どうされたんですか?」
「いややなぁ、今日は『七夕』やろ?
ちゃんと天の川でも眺めながら、一杯やろか思うて来たんやん」
「あ・・・」
市丸が肩に担いでいたのは、の身長ほどもある笹だった。日常の忙しさに流されてすっかり忘れていたが、今日は『七夕』だったのだ。
「こっちが酒の肴、ほんでこっちはちゃんの着替え」
「着替え・・・?」
市丸に薄い風呂敷包みを渡されて思わず受け取ってしまったが、は訳がわからず首を傾げた。
「はよ着替えといで。その間に用意しとくし。
・・・なんやったら、着替え、手伝うたってもええで?」
チラリと色っぽい視線を投げかけられ、は慌てて答えた。
「一人で着替えられます・・・っ!」
「ほな、早よう着替えといで」
クスクス笑う市丸に見送られ、は慌てて奥の座敷へ逃げ込んだ。
渡された包みをそっと広げてみると、中から出てきたのは女物の浴衣が一揃え。深い藍色の地に、撫子の花が散っているデザインだ。
「綺麗・・・」
市丸が自分のために選んでくれたのかと思うと、は嬉しかった。
ちょうど湯上りだったこともあって、市丸が持ってきた浴衣に着替えた。少し迷ってから、いつもは下ろしている髪を小さくまとめて結い上げることにした。
「ちゃん、まだやの〜?」
隣の部屋から市丸の呼ぶ声がする。は慌てて鏡で自分の姿を確認すると、市丸のもとへと急いだ。
「よう似合うとるわ、それ」
「ありがとうございます」
少し照れくさそうに答えるに、市丸は満足そうな顔をした。
「浴衣の柄、撫子にするか桔梗にするか、ものすごう迷うたんよ。
仕舞いに呉服屋のだんなが呆れてしもて、
『両方買ったらどうですか?』言われてしもて」
いつの間にやら庭の僅かな空間に笹が立てられ、飾りつけを待つばかりとなっていた。が着替えている間に、市丸が準備したのだろう。飾りを作るための折り紙やはさみにのりまで持ってきたらしく、卓袱台の上に広げられている。
「でも、本当にいつ準備してくださったんです?
浴衣はもちろん、こんな飾り付けの準備まで・・・」
「ん〜、ついさっき?」
「え?」
疑問形で答えられ、つい聞き返してしまう。
「詰所で三時のお茶を飲んどったらな、誰かが今日は七夕やなー言うのが聞こえてきてん。
ほな、ちゃんと笹飾って短冊書かなあかん、思うたんや」
「・・・もしかして、仕事抜け出してきた、とか言いませんよね・・・?」
が恐る恐る訊ねてみると、市丸はにぃと笑みを浮かべた。
「仕事よりちゃんと居るほうが大事やんか?
それに、仕事はイズルが全部やっといてくれる言うたし」
いやいやいや、それ、絶対違うから・・・!
は、明日吉良に謝ろうと固く心に誓うのであった。
「ええねん、イズルに任せといたら。
それより、ちゃん、飾り作ろか」
「はい」
久しぶりの工作は思った以上に楽しかった。折り紙を折ったり、切ったり、貼ったりと、子供の頃に戻ったような気がして楽しい。
はチョキチョキとはさみを動かしながら、市丸に訊ねてみた。
「隊長、あの笹、どこで手に入れたんですか?」
「もお〜、ちゃん、また『隊長』呼んでるで?
またペナルティー1コ追加や」
「ご、ごめんなさい。ついクセで・・・」
「ペナルティー10コ溜まったら、ちゃんに何してもらお?」
「へ?」
「そやかて、なんか罰ゲームでもなかったら、ちゃん、
いつまでもボクのこと『隊長』呼ぶやろ?
ボク、ちゃんには『ギンちゃん』て呼んでほし」
「で、でもですね!今度は反対に詰所で『ギンちゃん』とか
呼んじゃったらどうするんです?
それなら、ふたりっきりの時でも『隊長』って間違う方がマシじゃありませんか?」
市丸の考える『罰ゲーム』はきっとロクでもないものだろうと思ったは必死に反論した。けれど、そんな反論は通用しない。
「それやったら、ボク、詰所で『ギンちゃん』って呼ばれたいわ」
「・・・っ!?」
そんなことになったら、市丸と付き合っていることがすぐ皆にバレてしまう。と言いつつも、三番隊の中ではすでにバレてしまっているのだが。あまりひけらかすようなことでもないとは思っているので、できれば他所には秘密にしておきたい。
「ふ〜ん、ちゃんはボクと付き合うとることをナイショにしたいんか」
「そ、そうじゃなくて・・・」
市丸にジトーッと不満げな瞳で見られ、は慌てた。
「ナイショにしたいっていうか・・・自分から言うことでもないかな、と思うだけで」
ふーん、と市丸は気のない返事をしたかと思うと、にやっと意地の悪い笑みを浮かべる。
の背を冷たい汗が流れた。付き合い始めて日が浅いが、市丸がこういう表情をしたときはマズイというのは経験上知っていた。
「そやけど、もう遅いわ」
「え・・・?」
「なんのためにボクがあないにでっかい笹持ってきたと思うとるん?」
は思わず庭に立てられた笹を見つめる。
――そういえば、市丸はあの笹を肩に乗せて運んできていなかっただろうか。
ただでさえ、市丸ギンという男は悪目立ちするのだ。三番隊隊長として顔は知られているし、そんな男が死覇装ではなく浴衣を着て、そのうえ肩に笹をかついで、夕暮れの人通りの多い中を歩いてやってきたというのだ。そして、訪ねた先は女の家――これで噂にならないはずがない。
「も、もしかして・・・」
「ちゃんはボクのもんや、ってアピールしとかなあかんやん」
「・・・・・・」
「自分、何気に押しに弱いやん?
どこぞのアホなオトコが誘いにくるまえに、ちゃんと『ボクのもん』って広めとかんと」
「押しに弱くなんか・・・」
せめてもの反論を試みるが、が市丸に敵うはずなどない。
「そやけど、思い出してみ?
ボクと付き合うことになったんも、ちゃんがよう断らんかったからやろ」
「それは違いますっ!」
確かに市丸にかなり猛烈にアタックされたのは事実だ。いったい自分のどこが気にいったのか、にはわからなかったが。
「それは違います・・・。イヤだったら、ちゃんとお断りします・・・」
「ほな、なんでボクと付き合うことにしたん?」
「・・・・・・」
間近で顔を覗き込まれ、はカアッと頬が熱くなる。この男はこういうところがズルイのだとわかっているのに、に勝ち目はない。
「・・・隊長にずっとあこがれていましたから」
「・・・・・・」
「だから・・・嬉しかったんです・・・」
はうつむきながら、小さな声でぽつりぽつりと答えた。恥ずかしくて顔を上げられずにいると、市丸の手が頭を撫でていた。
「・・・?」
「よう言えました。名前、また間違うとるけど・・・。
ま、ええコにはご褒美あげやんとな」
「っ?!」
市丸の薄いくちびるが一瞬重なって、離れていった。はびっくりして飛び上がりそうになった。
「た、隊長!?」
「も〜、また『隊長』呼ぶん?」
不満そうにくちびるを尖らせ、腕組みをして考え込んでいた市丸だったが、何かいいアイデアを思いついたようだ。
「ボク、ええこと考えたわ」
市丸の『ええこと』というのは、たいていにとっては良くない。
「ちゃんがボクのこと『隊長』呼ぶたんびに、チュウして口塞ぐっちゅうのはどない?」
「っ?!」
咄嗟にブンブン首を横に振ってみたのだが、市丸には完璧に無視されたようで。
「ええ考えや〜♪」
「・・・ギンちゃんたら!」
「なんやちゃん、『隊長』呼んでもかまへんのやで?」
「もう絶対間違えませんから・・・っ!」
が精一杯強く言っても、市丸は笑うばかり。
「ちゃん、お陽さんが沈んで星が出てきたで」
いつの間にやら、外は暗くなっていた。今夜は月もなく、天の川が夜空をさらさらと流れている。
「うわぁ、綺麗・・・!」
「そやな」
「今日は晴れてるから、織姫と彦星はちゃんと逢えてるでしょうね」
はうっとりと夜空を見上げた。
「もし、わたしが『織姫』だったら、天の川を渡って逢いにきてくれますか?」
「えー?ボク、そんなんイヤや〜」
市丸にアッサリと答えられ、は思わず反論した。
「こういうときはですね、嘘でもいいから『もちろん逢いにいくよ』って
答えてほしいものなんです、女っていうのは!」
「そやけど、ちゃんが『織姫』やったら、年に1回しか逢われへんのやろ?
そんなん、イヤやもん。ボク、毎日ちゃんに逢いたいわ」
「・・・・・・」
かぁぁと頬に血が昇るのが自分でもわかる。は恥ずかしくて、思わず自分の頬を手で覆ってしまう。
「アカン・・・」
「え?」
「今日はおとなしゅう帰ろか思うてたけど、そんな顔されたら帰られへんわ」
いきなりギュウと抱きしめられ、は小さく悲鳴をあげた。
「た、隊長っ!?」
「も〜、また間違えた」
「っ!?」
チュッと軽い音をたてて、くちびるを奪われる。は顔から湯気がでるかと思うほど真っ赤になった。
「――織姫と彦星と違うて、ボクらはずっと一緒に居ろうな」
「・・・はい」
地上の恋人たちはそっと寄り添って、輝く夜空をずっと見つめていた。
【あとがき】
なぜだか市丸隊長でございます(笑)
お友達のサイト様がめでたく七夕の日に4周年を迎えられることになりまして、
ささやかな(迷惑な?・笑)お祝いの品ということで、七夕ネタで市丸隊長を
書かせていただきました。
久しぶりすぎて、市丸隊長がどんなヒトだったのかわらないんですけど(^^;)
碧さん、4周年おめでとうございます〜♪こんなのでゴメーン!(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2007年7月6日