無口な王子と鈍感な姫君
カランというチャイムの音とともに年代物のドアを開けると、コーヒーの良い香りが漂ってきた。
「すいません、今日はもう・・・と、葉月くんか」
「こんばんは。今日はもう終わりですか」
「いや、葉月くんなら大歓迎だよ。さ、入って」
顔なじみの店長はにこやかに笑って、葉月を迎え入れてくれた。
「すいません」
喫茶店アルカードに葉月が訪れたのは、9時少し前という時間だった。ギリギリ閉店時間ではなかったが、他に客の姿もなく、もう後片付けを始めようとするところだったらしい。
「あ〜っ!葉月くんだ!いらっしゃい」
「・・・!こんばんは、さん。なんでこんな時間まで・・・」
厨房の奥からでてきたのは、だった。葉月とも顔なじみのウェイトレスだ。
「あ、今日は急にバイトのコが来れなくなっちゃったから、ラストまで入ってるの。葉月くんは撮影の帰り?」
にこやかに微笑みながら、が水の入ったグラスをテーブルに置く。
の微笑みに、葉月は撮影の疲れが癒されるような気がした。
「雑誌の、春物の撮影」
「そうなんだ。まだ寒いのにね」
が首をすくめて見せる。その様子を見て、葉月はクスリと笑みをもらした。
はいつも、自然に自分に接してくる。それは、葉月にとって心地よいものだった。
自分に近寄ってくる女の子たちは『モデルの葉月珪』であることを望む。
スポットライトを浴びて、華やかなモデルの葉月珪――本当の自分は違うのに。
彼女たちの望む姿とはまったく違っているのに・・・。
勝手に近寄ってきて、勝手に幻滅して去っていく。葉月にとって、彼女たちはその程度の存在でしかなかった。
でも、は違った。
最初は、葉月が今人気のモデルであることも知らなかった。自分と同じ猫の写真集を持っている人がいて、それを楽しそうに見ていたからつい声をかけてしまったのだ、と後になっては恥ずかしそうに言っていた。
「猫、好きなの?」
その時葉月はいつもの席に座ってゆっくりとモカを楽しみながら、猫の写真集をパラパラとめくっていた。
他に客はいなかった。自分に話しかけられているのだ、と気づくまで少し時間がかかった。葉月が顔をあげると、
さっきモカを運んでくれたウェイトレスがにこやかに微笑んでいた。
「その写真集、わたしも持ってるの」
「あ・・・そうなんですか」
「カワイイよねvvね、見て」
彼女が指差したのはエプロンにつけたネームプレートで、名前の脇に小さな猫のイラストが描かれていた。
その猫のイラストは小さいながらも丁寧に描かれ、色鉛筆で柔らかな色調に塗られていた。
「もしかして、この表紙のコ・・・?」
「そう!ゆうべ一生懸命描いたんだぁ〜。その表紙のコって気づいてくれて嬉しいなぁ♪」
葉月より幾分年上に見える彼女は、嬉しそうに微笑んだ。気づくと、自分も微笑み返していた。
「・・・よく描けてると思う・・・・・・」
「ありがとう!」
本当は自分でも良く描けたと思って誰かに見てもらいたかったのだ、と彼女はいたずらっぽく笑った。
「・・・あ、ごめんなさいね、お邪魔しちゃって。ごゆっくりどうぞ」
そう言うと、彼女は厨房の奥へ引っ込んでしまった。それを少し残念に思っている自分に、葉月は驚いていた。
ネームプレートには『 』と書かれていた。
再会は意外と早く訪れた。その日の撮影に、コーヒーの出前を届けにきたのはだった。
「アルカードです。コーヒーお届けにあがりました」
元気の良い彼女の声がスタジオに響く。その声を合図にしたかのように、撮影はいったん中断し休憩時間となった。
「あれ・・・?キミ、もしかしてモデルさんだったの?!」
コーヒーを配っていたがスタジオの片隅にいる葉月に気づき、ビックリしたような声をあげた。
それを聞きつけたスタッフたちがクスクス笑った。
「え〜!?さんてば、葉月くんを知らないんですか?!」
「どこかで見たことあるかも、って思ってたんですけど。わたし、あんまり雑誌とか見ないからよく知らなくて」
恥ずかしそうに言うがなんだかとても可愛く見えて、自分より年上だとは思えなかった。
「ごめんなさいね、わたし・・・。あなたって有名なモデルさんだったのね」
「それほど有名じゃ・・・」
でも、とが指差したのは、葉月が表紙を飾っているはばたきウオッチャーだった。その表紙と葉月をまじまじと見比べると、「なんだか違うひとみたい」と、ぽつりとは呟いた。
何気なく呟いた自分の言葉にようやく気づいたのだろう、は慌てて葉月に謝った。
「ごめんなさい・・・別に悪気があったわけじゃないの」
「いや、別に。気にしてないから」
「アルカードにいるときのイメージしかなかったものだから。普段と仕事のときは違うわよね」
もう一度は謝罪の言葉をつぶやくと、ほかのスタッフにコーヒーを配りに行ってしまった。
葉月は手の中のカップから立ち昇るコーヒーの香りを楽しみながら、なんとなく彼女を目で追ってしまう。
は他のスタッフとは顔見知りらしく、にこやかに話しながら手際よくコーヒーを配っていく。
「さん、シフト変わったの?」
「ええ、そうなんです。バイトのコが一人辞めちゃって。今度から火曜日も入ることになったんです」
「あ〜、そうなんだ。だから、葉月くんとも初めて会ったのね。彼、火曜と木曜が撮影だから」
こちらへ視線を投げてきたと目があってしまった。葉月は一瞬気まずい思いをしたが、意外にもがニッコリと微笑んだので驚いた。
『よろしくね』
という形に、のくちびるが動いた。
咄嗟に葉月がなにも応えられないでいると、は他のスタッフに呼ばれて行ってしまった。
それ以来、葉月は毎週火曜日にアルカードに顔をだすようになっていた。
は早番らしく、撮影が終わってから行くといない。だから、授業が終わるとまっすぐアルカードに向かう。
遅刻魔の葉月が遅れてこなくなったことにスタッフたちは皆驚いていた。
・・・ただ木曜日は相変わらずだったが。
「いらっしゃい、葉月くん」
「・・・こんにちは。いつもの」
「はい、モカですね。少々お待ちください」
いつもの席に通され、がコーヒーを淹れる姿を目で追う。しばらくすると、モカの良い香りが漂ってくる。
「お待たせしました」
「ありがとう」
がにこやかにモカをサービスしてくれる。カップの横に小さなクッキーがそえられていた。
「?」
「特別サービスね。みんなにはナイショ」
はいたずらっぽい笑みを浮かべると、カウンターへ戻ってしまった。
葉月は視線をカップに戻すと、小さなクッキーを口に放り込んだ。くるみの入ったシンプルなクッキーは甘さ控えめで、美味しかった。
不揃いな形が、の手作りなのだろうかと思わせる。カウンターから、が声をかけてきた。
「味はどう?」
「うまかった・・・。さんが作ったの?」
「ええ、そうなの。いっぱい作りすぎちゃって。撮影終わるまでお腹空くかなぁ〜って思ってね」
ちゃんと分量を量って作ってるんだけど増えちゃうんだよね、とは首をかしげている。
その様子が可愛らしくて、葉月は微笑ましい気持ちになる。
自分よりも年上のはずだが、ときどき、とても子供っぽく思える。自分とは違って、表情がクルクル変わるから目を離せないでいた。
そんなを、ずっと傍で見続けていくことができたら・・・いつしか、葉月はそう思っていた。
「店長、それじゃ、わたし、そろそろ帰りますね」
「ああ、お疲れさん。今日はすまなかったね」
「いいえ〜!別に何の予定もなかったし」
葉月がモカを楽しんでいると、すっかり帰り支度の整ったが出てきた。
「いま、タクシー呼ぶから、ちょっと待っててね」
「大丈夫ですよ〜!わたし、ちゃんと帰れますから」
「でも、ちゃん、次のバスまで30分くらいあるだろう?歩くにしても、こんな遅い時間じゃ危ないよ」
「まだ9時じゃないですか!大丈夫です」
はにこにこと笑いながら、襟元にマフラーを巻きつけた。
「でも、ちゃん!」
心配げな店長に手を振って、さらに葉月の方を振り向いて、はにっこりと微笑んだ。
「じゃぁね、葉月くん!カゼひかないようにね〜」
「・・・!」
葉月が答える前に、はカランというチャイムの音を残して行ってしまった。
慌てて残りのモカを飲み干し、葉月は席を立った。
「お代、ここに置きます!」
コートを羽織るのももどかしげに、葉月はアルカードを出た。
「・・・ちゃんは、かなり鈍感だからなぁ。がんばれよ、葉月くん」
その後姿を、店長は懐かしいものでも見つけたような笑みを浮かべて見送っていた。
「待って、さん!」
「あら、葉月くん?」
葉月がに追いついたのはまだ人通りの多い商店街の中で、を見失わなかったことにホッとしていた。
「どうしたの?・・・ヤダ、わたし、何か忘れ物でもしてきちゃった?」
慌ててバッグの中を見ようとするに、葉月は思い切って言った。
「オレ・・・家まで送っていきます」
一瞬きょとんとしただったが、いいのよと笑った。
「わたしなら、大丈夫よ?そんなに遠くないし」
「同じ方向だし・・・気になるから」
「でも・・・」
「ちょうどオレも帰るところだったから・・・」
それなら、とようやくも納得したようで、二人は並んで歩き出した。
「星がきれいね」
にそう言われて夜空を見上げてみると、ダイヤを散りばめたような美しい夜空が広がっていた。
楽しげなを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくる。葉月は、それがとても不思議だと思った。
隣を歩いていたが、クスリと笑った。
「・・・?」
「ああ、ごめんね?なんだか、騎士に護られるお姫さまの気分だな〜って思っちゃって。
葉月くんて・・・なんて言うのかな、女のコが思い浮かべる王子さまみたいかも、って思ったの」
「オレが・・・王子?」
「怒った?」
「・・・べつに」
ちょっと照れたように視線をそらせた葉月を、はまたクスクスと笑った。
「・・・ケータイの番号、教えて」
「え、わたしの?えーとね、090−XXXX・・・」
かなり勇気を出して『電話暗号を教えて』と言った葉月に、なんの警戒心も抱かず、あっさりと番号を教える・・・。
自分に対するの警戒心の無さに、葉月は嬉しいような、ちょっとガッカリのような、複雑な心境だった。
「今度から遅くなる時はオレに電話して・・・」
「葉月くんに?」
「・・・オレ、迎えに行くから」
「そんな心配してくれなくても大丈夫だよ?」
「・・・行きたいから」
「う〜ん、わかった。じゃ遅くなった時は電話するね」
「・・・約束」
「約束する!」
彼女にとって、いまだ自分は弟のようなもので。今の約束も、心配性の弟にあわせてあげる姉のような気分なのだろう。
「・・・姫、お手をどうぞ」
「ええっ?!」
突然差し出された葉月の手を、驚いたようにマジマジとは見つめていた。
「オレが王子なら、さんはお姫さま・・・」
ハイ、とせかすように差し出された手に、はおずおずと手を伸ばした。
「それでは参りましょうか、姫」
「はい、王子」
ちょっと照れくさそうなの、その小さな手を葉月はそっと握り締めた。
自分よりも一回り小さくて柔らかなの手――この手を離したくない。葉月はそう思った。
「・・・葉月くん、どうかした?」
つないだ手を葉月はじっと見つめていたが、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「いえ・・・。帰りましょうか」
「うん。カゼひいちゃうもんね」
いつまでも家に着かなければいい・・・。
そんなことを思いながら、葉月は美しい夜空を見上げた。
【あとがき】
ハイ、コレは誰でしょう?(笑)
古いファイルを引っ張り出してきて完成させたのですが、書き始めてから丸一年かかった大作です(笑)
タイトルだけが超お気に入りの作品ですv
葉月王子・・・ぽいですか?(^^;)葉月くんて、男子高校生なんですよね・・・(汗)
もう書けないだろうなぁ・・・。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2004年12月11日