花衣 第5話
「・・・っ!」
友雅は慌てての傍へと駆け寄ったのだが、何かに阻まれて近づくことができない。
「なんだ、これは・・・?」
そっと手を伸ばしてみると、との間になにか透明な壁のようなものがあることがわかった。姿は見えているが声は届かないらしく、何度呼びかけてみても、はうつむいて泣いているままだった。
「!こちらを見るんだっ」
友雅の祈るような気持ちが天に通じたのか、が顔をあげた。
『!』
透明な壁を挟んでようやく二人は再会した。
「、無事か!?」
しかし声は届かず、直接手を触れあうこともできない・・・。
「・・・」
『ごめんなさい』
ゆっくりとしたくちびるの動きで、なんとか言葉を読み取れた。
「ごめんなさい?なぜ、お前が謝る必要がある?」
『心配かけてごめんなさい』
「・・・どうしてお前は・・・・・・」
友雅はそれ以上言葉が続けられなかった。『助けて』ではなく謝罪の言葉を口にするに、友雅は胸が締めつけられるような気がした。
怖くて不安で、そんなに目を腫らせてしまうほど泣いているというのに、お前は・・・。
「必ず助け出す。いましばらくの辛抱だ」
コクリとがうなずく。泣き顔を見られて恥ずかしいのか少し頬を染めて涙を拭うを見て、友雅は安堵していた。
ここがどこなのかわからない。しかし、いま目の前に居るは、自分が知るに間違いなかった。最悪の結末を想像してしまっていた友雅は胸をなでおろした。
「いったい何があったというのだ・・・?」
『鏡を・・・鏡を覗き込んだら光があふれて・・・気がつくと、ここに居たのです』
「やはり鏡か・・・」
二人を遮っているのは、鏡の結界なのだろうか?友雅がそっと壁に手を触れてみると、向こう側のが手を伸ばして、自分の手を友雅の手に重ね合わせた。
当然のことながら、ぬくもりはまったく伝わってこない。けれど、重ね合わされた手は、が生きていることの確かな証拠のような気がした。
「・・・何があろうとお前を助け出す」
『友雅さま・・・』
「だから、もうしばらく待っていておくれ」
を安心させるために、友雅はゆったりとした笑みをくちびるに浮かべた。それに応えるかのように、コクリとがうなずく。友雅もそれを見てホッと胸をなでおろした。
ふいに右手の方が明るくなってきた。それにつれて、の姿がうっすらと霞んでくる。
「っ!」
その姿はぼんやりと霞んで、光の中に消えた。
「っ!?」
飛び起きた友雅は、そこが自分の寝所であることに気づいた。もう夜が明けているらしい。
「・・・夢、か・・・・・・」
夢が通う、と泰明は言っていた。ということは、自分の見た夢はと通い合っていたのだろうか。
『友雅さま、起きてくださいませ!』
聞こえるはずのないの声が聞こえるような気がした。
自分は甘えていたのだろうか・・・?いつでも手が届く距離にがいるということに。
――そして、失って初めてその存在の大切さに気づく・・・。
「とんだ愚か者だな、私は・・・」
カサ、と几帳の向こうで衣擦れの音がした。
「起きているか、友雅」
「ああ、今行く」
この涼しげな表情の陰陽師はいったいいつ眠っているのだろう?ふと、そんな疑問が頭をよぎる。
「お前に客人だ」
「客?」
友雅が身支度を整えて客間へ向かうと、そこに居たのは今にも泣き出しそうな表情のあかねと、ヤレヤレといった感じの天真だった。
「友雅さんっ・・・!」
「神子殿・・・?どうしてここに?」
「朝っぱらから悪いな、友雅。コイツがどーしてもお前んとこ行くって言って聞かねぇからさ」
「だって・・・!さんが鬼に攫われたかもしれないっていうんだもんっ」
じわりと目に涙を浮かべたあかねに睨まれ、天真は慌てた。
「あー、わかった、わかった!だから泣くなってんだろ!」
「心配してくれてありがとう、神子殿。なら大丈夫だ」
キッパリと言い切った友雅にあかねは安心したような様子を見せたが、反面そこまで友雅が言い切る根拠がわからなかった。それが友雅にもわかったのだろう、いつもの余裕の笑みをくちびるに浮かべてみせた。
「夢が通いあった、と言えばわかってもらえるかな?」
「夢?」
あかねにはよくわからなかったが、友雅があんなに落ち着いているのだから自分が取り乱してはいけないと思い、じわりと浮かんだ涙をぬぐった。
友雅は家人を呼ぶと、次のように言った。
「実はのことなのだが、今、左大臣邸にいるらしいのだよ」
ちょっと困ったような表情で言う友雅に、あかねと天真はぽかんとした表情を浮かべた。泰明だけは相変わらず無表情だったが。
「左大臣邸、でございますか?」
この男は友雅が子供のころから橘家に仕えている忠実な家来だ。のことも良く知っていて、自分の娘のように可愛がっていた。
それが昨日突然の姿が消えたと聞かされ、非常に心配していたのだ。
「ああ。先日左大臣邸にと一緒にお伺いしたことがあっただろう?
あの時、左大臣の姫君がを非常に気に入られてね・・・」
「はぁ・・・?」
「ご自分の女房になさりたいと申されて、丁重にお断り申し上げたのだが・・・。
どうにも無理やりを連れていってしまわれたらしくてね。
こちらのお二人がそれを知らせにきてくれたのだよ」
不意に視線を送られて慌てたあかねと天真だったが、ペコリと頭を下げた。
「そうでしたか・・・」
ほっとしたような表情を見せた家人に、友雅は続けて言った。
「すまないが、皆に知らせてやってくれまいか?心配しているだろうから」
「それはもちろん!皆、安心すると思います」
お高くとまった女房などは下働きの者になど声をかけたりしないが、は気さくに話しかけ、また優しく接していたから、皆に好かれていた。
「では頼んだよ」
「はっ!」
家来が行ってしまうと、天真は呆れたように言った。
「よくあれだけスラスラと嘘が言えるもんだな」
「私は皆に余計な心配をさせたくないだけさ。それに、が戻ってきて変な噂が立っても困るだろう?」
「そりゃそうだけどさ」
喰えねぇヤツだぜ・・・。
天真は口の中でつぶやいた。自分がもし同じ立場だったら――例えばあかねが攫われたとしたら――こんなふうに平静ではいられないだろう。いや、平静を装うことすらできないだろうと思う。
心配をかけたといってはあかねをねぎらい、が戻ってきたときのことまで考えて対応する。やはりこれは年の差のなせる技なのか。
「どうかしたかい、天真?」
「いや、別に何でもねぇよ。それより・・・そのー、なんだ、脅迫状とかきたのかよ?」
「まだ何も連絡はない・・・。ここは待つしかないようだ」
「そうか・・・」
そう言って、しばらくの間はあかねと並んでおとなしく座っていた天真だったのだが・・・。
「だーっ!もう我慢できねっ」
いきなり立ち上がった天真に驚いたあかねは小さく悲鳴をあげた。
「天真くんっ?!」
「じっと待ってるのは性に合わねえ!ちょっと散歩でもしてくるっ」
「ちょっ・・・!?こんなときに?」
「いいのだよ、神子殿。そうだ、神子殿も天真と一緒に出掛けたらどうだい?」
「でも、友雅さん・・・っ」
「その方が気が紛れてよいかもしれない。ここでじっと待っているのも辛いだろう?」
友雅がそう薦めてみたがあかねは小さく首を横にふり、ここで待っていると言った。
「なら、俺はちょっと出掛けてくるぜ」
「では、私は清明様のところへ行ってこよう。清明様なら鏡のことを何かご存知かもしれない」
「すまない、泰明殿」
出掛けていく二人を見送った友雅とあかねは、再び無言で座っていた。
チラリとあかねの方を見やると、手を白くなるほどぎゅっと握り締め、今にも泣き出しそうな横顔は相変わらずだった。
お前を心配してくれる人がここにも居る――だから、早く戻っておいで、・・・。
「そう言えば、が言っていたよ」
「何をですか?」
「神子殿と藤姫、まるで妹ができたようだったと」
「あたしもなんだかお姉さんができたみたいで、すごく楽しかったんです」
「が戻ってきたら、また仲良くしてやっておくれ。あの子は身寄りが誰もいなくてね」
「え、そうなんですか?あたしはてっきり友雅さんの乳母の娘さんかと思っていました」
「そういえば神子殿にはのことをきちんと話していなかったね。
どうだろう?時間つぶしに私の昔話をきいてくれるかい、神子殿」
ここでじっと待つと言ったものの、誰かの安否を気遣って待つというのは精神的に非常によろしくない。それは友雅も同じだろうと思う。いや、自分以上には近しい存在なのだから、その心中は察するに余るものがある。
「もちろん、いいですよ」
話している間だけでも友雅の気が紛れればと思い、あかねは頷いた。
「では、庭へでもでてみようか。今の時期は桜が見事だよ」
こうして友雅とあかねは、鬼からの接触を待つ間、庭を探索することにしたのだった。
「うわぁ!すごーいっ」
思わずあかねは歓声をあげた。
案内された橘邸の庭はこじんまりしているのかと思いきや、そこはやはり貴族のお邸で、かなりのスペースがとられていた。
「桜が満開!」
そこは桜の木が何本も植えられ、そのどれもが満開の花を咲かせていた。風に吹かれて舞う花びらはこの世のものとも思えぬほど美しい。
「そうだね、この庭の桜は今日明日あたりが見ごろだろうね」
目を輝かせて桜の木を見上げているあかねを見て、友雅は笑みを浮かべた。
「・・・さんにも見せてあげたいな」
「ああ、そうだね」
あかねは舞い落ちる花びらを手のひらで受け止めると、その柔らかですべすべとした感触を楽しんだ。
「の一番好きな花は桜だよ」
「そうなんですか」
「あの子に初めて逢ったときも桜が満開だった」
舞い落ちる花びらの向こうに懐かしい想い出でも見えているかのような友雅の横顔・・・。友雅とには、長い長い時間を共にすごしてきた歴史があるのだと、あかねは思った。
「初めてあの子に逢ったのは神泉苑でね。満開の桜が美しかった」
少年だった友雅が邸を抜け出して神泉苑へ桜を見に行ったこと、そしてそこでと出会ったことを友雅は話した。
「あの時も桜の花びらがひらひらと舞っていて・・・それはそれは美しかった。
私はしばらく息をするのも忘れて、それに見入っていたよ。あまりに美しすぎて、目がそらせないとでもいうのかな」
「なんとなくわかるような気がします」
誰にでも忘れられない風景というものがある。桜の舞う神泉苑は、友雅にとって忘れらない風景のひとつに違いなかった。
「すると突然強い風が吹いて、私は思わず目を閉じてしまった。そして、気がつくと目の前にが居た」
「突然現れたんですか?」
「ああ、そうなんだよ」
そのときの状況を思い出したのか、友雅はクスリと笑った。
「驚いたよ、あの時は。私の周りには誰もいなかったのに、突然子供が現れて泣いているのだから」
「突然現れたんですか?なんだか不思議・・・」
「ああ、本当に。おかげで私はとんでもない勘違いをしてしまったよ」
本当に楽しげに笑いながら友雅が言う。
「私はを桜の木の精だと思ってしまってね」
「えっ!?」
あかねの驚いた様子を見て、友雅はまたクスリと笑う。
「母親を探して泣いていたのだけれど、辺りを捜してみても誰もいない。そのままそこに置いていく
わけにもいかなくて、私はを家に連れて帰ったんだ。
驚いたのは大人たちだ。
黙っていなくなっていた私が子供を連れて戻ったのだから」
私自身も子供だったけれどね、と友雅は笑った。
「それでどうしたんですか?」
「大人たちは素性の知れない子供を邸にいれるのを反対したのだけれど、私も強情でね。
幼い女の子をひとりで放り出すわけにもいかないから、とりあえず役所に届けてから、
邸で一緒に暮らすようになったんだ」
「それからずっと一緒に?」
「ああ、そうだよ。は名前以外なにも手がかりになるようなことを覚えていなかったし、
誰も親だと名乗り出る者はいなかったから。
けれど、私だけはを『桜の木の精』と信じていたけれどね」
あかねもつられて一緒に笑う。
「だから、私は季節が過ぎ行くのがとても怖かった」
「え?どうしてですか?」
「桜の花が散ってしまったら、は消えてしまうと思ったんだ・・・」
「あ、そっか!友雅さんはさんを桜の木の精と思ってるから」
「なんとかして桜の花を散らせないでいる方法はないかと、ずいぶんと頭を悩ませたものだ」
「で、いい方法はあったんですか?」
「風に吹かれて花びらが散ってしまうから何かで囲ってしまえばいいのかと考えたり、ね。
どれもうまくいかなかったけれど」
友雅は懐かしそうな表情を浮かべた。
「挙句の果てには、女房に頼んで、桜の花びらを木に縫いとめてもらおうかと・・・」
「ホントですか?!」
「ああ、子供の考えることだからね」
あかねの知る友雅はしっかりとした大人で子供っぽいふるまいなどもしない人だから、今の友雅から子供時代の友雅を想像するのは少し難しい。けれど、話を聞いていると、子供時代の友雅との姿が眼に浮かんでくるような気がする。
「それで、本当に花びらを?」
「いや、女房たちは誰も本気にしてくれなくてね・・・。
その頃の私は、毎朝目覚めると、何よりも先に桜の木を見に行ったものだよ。
たった一花だけでも残っていれば、は消えないで自分の傍に居てくれると思っていたから」
そうだ、その頃は花が散ってしまうことが何よりも恐ろしかった・・・。
花が散れば、も消えてしまう――幼い友雅はすっかりそう信じ込んでしまっていたから。
「けれど、桜が散ってしまっても、は消えなかった」
「だって、人間ですもの」
クスクスとあかねが笑いながら言う。あかねから先ほどまでの辛そうな様子が消えていることに、友雅はホッとした。
「それからずっと、と一緒に暮らしているのだよ。私にとっては、姉のような妹のような存在だよ」
桜の花が散ってしまったあと、友雅は自分が勘違いしていたと思った。は『桜の木の精』ではなく『春の精』なのだと。
少年は今度は季節が巡るのが怖かった・・・。
当然のことながら、春が過ぎ夏がきても、秋がきて冬がきても、は消えない。次の年の春がきて、少年はようやく安堵することができたのだ。
はどこにも行きはしない。ずっと自分の傍にいるのだと・・・。
「いつも傍にいるのが当たり前だった・・・」
「友雅さん・・・」
は美しく成長し、聡明な女性になった。もともと怜悧な性質なのだろう、友雅が教えた書も和歌も、そして絵も見事に習得してしまった。風に吹かれるなよなよとした風情でいながら、意外に芯の強いところもある。
左大臣邸で自分はに『恋人を見つけなさい』と言った――の気持ちを十二分に知りながら。
自分は本当にを手放そうと思っていたのだろうか?の気持ちを試そうとしていたのだけではないのだろうか?
は自分の傍から離れていかない――それを確かめたかったのだろうか。
友雅は自分の気持ちを量りかねていた。
「大丈夫ですよ、友雅さん。さんはきっと無事に帰ってきます」
「そうだね・・・ありがとう、神子殿」
友雅の気持ちも知らず、桜の花びらは美しく空を舞っていた。
【あとがき】
後半、会社で仕事をサボって書いておりました(^^;)
久しぶりにすごく長いですが、話はあまり進んでおりません・・・(汗)
えー、そしてなぜか天真くんまで登場です。相変わらずのチャレンジャーです(笑)
エンディングがまだ見えてきませんが、最後まで頑張ります!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2006年2月22日