花衣 第8話




冴え冴えとした銀色の月が夜空に輝いていた。

「やれやれ、世の人々は何処の桜が美しいかと気もそぞろだというのに、
 ずいぶんと無粋なことをなさるね、鬼の一族殿は」
そう言うと、友雅は手の中の扇をパチンと閉じた。
「おや、この神泉苑の夜桜だって美しいじゃないか」
桜の木陰がふいに濃くなったかと思うと、その陰からひとりの女が姿を現した。
「感心だね、地の白虎殿はちゃんとひとりで来たのかい」
昼間の喧騒とはうってかわって、真夜中過ぎの神泉苑はひっそりと静まり返っている。時折吹く風に薄桃色のはなびらが静かに舞い落ちるだけだった。
「あいにくだが、女人との約束は違えたことはなくてね」
暗闇から現れた女――シリンはふんっと鼻を鳴らした。
「どの口がそんなことを言うんだか。ったく、こんな男に惚れてるこの娘が
 哀れでならないねぇ」
シリンはにやりと口元を歪めると、その懐から鏡を取り出し、するりとその縁を撫でた。
「――娘を返してもらおうか」
「ふふっ、タダで娘を返すと思っているのかい?」
友雅は呆れたとでもいうように肩をすくめた。
「鬼の一族というものは気位が高いと思っていたけれど、そうではないのだね。
 か弱い娘を人質にさらうなど、あの鬼の頭領殿がよく許したものだ」
「御館様は関係ないっ!」
シリンがキッと友雅を睨みつける。しかし、友雅の表情は変わらないままだった。
「なるほど。一族の長としての矜持は失っていないということかい。
 君がこんな暴挙にでたのも、その『御館様』とやらに四方の札を差し出したいがため。
 君の献身に彼が報いてくれればいいが」
「ペラペラと、相変わらずうるさい男だね」
友雅はシリンから視線をそらさず、じわりじわりとその距離を詰めていく。カッとして我を失っていたシリンだが、友雅が近づいてきていることに気づいたらしい。すっと一歩後ろに下がった。
「古鏡を奪おうとしたって、そうはいかないよ。
 これが欲しければ、四方の札をお出し」
友雅は大袈裟にため息をつき、肩を落としてみせた。そして、そっと懐に手を入れ、中から小さな桐の箱を取り出した。その小さな箱は朱色の紐でしっかりと縛られていた。
「これを渡せば娘を返してくれるという保証は?」
友雅の言葉を聞いて、シリンはふんっと鼻で笑った。
「なら、その札が本物だっていう証拠はどこにあるんだい?
 あんたがちゃんと本物の札を持ってきたなら、娘は無事に帰してやるさ」
シリンはその白い手を友雅に差し出した。



友雅とシリンが対峙する少し前、シンと静まり返った土御門の邸に怪しい人影がひとつ・・・。
カタン。ミシ、ミシ・・・。
『・・・』
その人影は周囲の様子を窺いながら、忍び足で廊下を歩いていく。
「こんな時間にどこ行く気だよ?」
不意に後ろから肩をたたかれ、その黒い人影は飛び上がらんばかりに驚いたようだ。
「きゃっ・・・むぐっ(もごもご)」
「オレだ、オレ!天真だよ!声、デカいっての」
悲鳴を上げかけた口元をてのひらで覆って、なんとか大声を上げさせずに済んだようだ。逃れようとするのか、じたばたと暴れていたあかねがようやく大人しくなったので、天真はホッとため息をつき、口元を覆っていた手を離した。
『天真くん、こんな時間に何やってるの?』
『それはこっちのセリフだろ』
警備の者に見つかってはマズイと、ふたりともひそひそ声で話し始めた。
『あたしはほら・・・ちょっと夜の散歩に行こうかなって』
あさっての方向を見て目をそらし、ごまかそうとするあかねに、天真は深々とため息をついた。
『ちょっと散歩に神泉苑まで、な〜んて言うつもりかよ』
『・・・やっぱりバレてるか』
友雅に言われて大人しく土御門に戻ってきたときから怪しいと思っていたのだ。
天真は、をあまり知らない。友雅とが土御門を訪ねてきたとき、天真はちょうど出かけていて、とゆっくり話をすることがなかったのだ。天真が土御門に戻ったときはもう遅い時間で、両脇をあかねと藤姫に挟まれたに軽く挨拶をしただけだった。
ふたりの少女が一生懸命話すのを、はにこにこと優しい笑みを浮かべながら聞いてやっていた。あかねはともかく、藤姫がはしゃいだ様子でいることに、天真はすこし驚いたのを覚えている。
星の一族の血をひく藤姫は甘えたところのないしっかり者の少女なのだと思っていたのだけれど、と一緒にいるときは年相応に子供っぽくはしゃいでいたのだ。一方のあかねもくったくなく笑っていて、天真はホッとしたのだった。
『助けに行くつもりなのか?』
『友雅さんには待ってろって言われたけど、
 心配で、じっと待ってなんかいられないよ!』
『シッ!声がデカいって』
『あ・・・ゴメン』
『で?こんな時間にひとりで神泉苑に行くつもりだったのか?』
『だって・・・さんのことが心配だし、友雅さんのことだって
 心配だよ』
『そりゃわかるけどさ・・・。俺や詩紋や、藤姫だって、お前のことを
 心配するにきまってるだろ』
『うん・・・ゴメン』
あかねは素直に謝った。自分が勝手な行動をとれば、皆に心配をかけることはよくわかっている。わかっているのだが・・・。
『ったく、しょうがねぇな・・・』
『天真くん?』
『危なくなったら無理せずに逃げること』
『え?』
『――ちゃんと約束できるか?約束できるんだったら、
 俺が神泉苑まで連れてってやるよ』
『ありがとう、天真くんっ!』
『ばっ・・・!声デカいって!』
夜中の土御門はシンと静まり返っていて、小声で話していても、音が大きく響くような気がするのだ。ふたりは慌てて周囲の気配を探ったが、誰もやってくる様子はなく、ホッとため息をついた。
『あれ?そういや、頼久のヤツ、なんで来ないんだ?
 アイツなら、真っ先にやってきそうなのにさ』
『あ、頼久さんなら、藤姫ちゃんのお父さんのお使いで近江に
 お出かけしてるよ』
『・・・そういうことはチェック済みなワケね。
 チッ、頼久がいればいいボディガードになるのにな』
若干呆れ気味に天真は呟き、それから再び周囲の気配を窺った。
『よし、行くぞ』
『うん!』
ごめんね、藤姫ちゃん・・・。
あかねは小声で呟き、ふたりは土御門邸を後にした。




【あとがき】
かなり短めですが、書き終わった(ホントついさっき)のでアップしてみたり。
誤字脱字を発見されましたら教えてくださいませ。。。
あかねちゃんと天真くんが登場していますが、ものすんごい想像です(汗)
いや、妄想か・・・(余計悪い)四方の札ってどんなの?(滝汗)
こういうエピソードがないほうが早くお話は進むんだろうけどなぁ・・・。
あと2話で終わるのか・・・!?

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2009年10月11日