Sweet Relation 前編




プシュッ!・・・ゴクゴクゴク。
「ぷは〜っ!やっぱ、夏はビールと枝豆だよね〜♪」
パジャマ代わりの浴衣に身を包み、風呂上りの濡れ髪をわしゃわしゃとタオルで拭きながら、はオヤジくさいセリフを吐いていた。
「いいですね、私もご相伴させていただきましょうか。ゴホ」
「っ!?・・・何回言ったらわかるのよ、ハヤテ?」
さきほどまでの上機嫌な様子はどこへやら、ものすごく不機嫌そうな声では言うと、バサリと濡れたタオルをハヤテへ投げつけた。
「何がですか?ゴホ」
タオルをヒョイとよけたハヤテは、の不機嫌など我関せずといった様子だ。
「いきなり部屋に現れないでよね!何回言えばわかるのよ」
「そうでしたか?」
「あのねえ、風呂上りのスッピンの顔なんて見られたくないのよ!」
「昔は一緒にお風呂にも入った仲じゃないですか。ゴホゴホ」
「いつの話よ!誤解を招くような言い方しないでよねっ」
「かれこれ20年近く前、ですか」
とハヤテは幼馴染である。は上忍にまで上りつめたが、今は一線を退き、事務方にまわり三代目の秘書のようなことをしていた。
一方のハヤテは、年長のの後を追うようにしてアカデミーに入り、そして今は特別上忍という地位についていた。
ブツブツ文句を言いながらも、は冷蔵庫からビールの缶をとりだすと、ハヤテへポンと放り投げた。
「ありがとうございます、ゴホ」
「ちゃんと晩ご飯食べたの?」
「いえ、まだですが」
はハァ〜と深いため息をつくと、もう一度立ち上がった。
キッチンからカチャカチャと食器がぶつかりあう音がしていたかと思うと、しばらくしてはトレイを持って戻ってきた。
「これ、あたしの明日のお弁当のおかずだったんだからね」
「ありがとうございます」
目の前に置かれた温かな料理に、ハヤテはきちんと手を合わせてから箸をつけた。
「ハヤテってば、いいかげん彼女でも作りなさいよ?」
「そのお言葉、そっくりそのままさんにお返ししますよ」
ムッとしたは、新しいビールを開けた。
「あたしのことはほっといてよ」
「そういうわけにはいきません。ゴホゴホ」
「いつまでも幼馴染のお姉さんにくっついてる歳じゃないでしょう?それに、あのことならもう・・・」
「――私は義務や責任でここにいるわけではありません」
ハヤテはまっすぐにを見詰めた。それはに反論させないほど強い視線だった。
は深いため息をついた。
「ご飯食べ終わったら帰りなさいよ。明日も任務なんでしょう?」
「ええ・・・」
ハヤテは黙々と食事をしていたが、ふとがあまりに静かなのに気づき、顔をあげた。
テーブルに突っ伏して、は気持ち良さそうに眠っていた。
もともと酒に強くないのに、ビールを2本も空けたせいだろう。
ハヤテは、を起こさないようにそっと抱き上げ、隣の寝室へと運ぶ。
「・・・ったく、酒に弱いくせに」
くたりと力の抜けたの身体をそっとベッドに降ろす。ううん、とは身じろぎし、一瞬起こしてしまったかと思ったが、は再び穏やかな寝息をたて始めた。
さん・・・」
ハヤテはベッドの脇に腰掛け、乱れたの髪を掻きあげた。
アルコールのせいか、ほんのりと頬をピンクに染め、幸せそうな寝顔だった。
柔らかそうなくちびるに視線が止まり、ハヤテのくちびるがそっと近づいていく・・・。
触れそうでいて、触れない――吐息だけが交わされるような――距離で、ハヤテはの寝顔を見つめた。

この世でただひとり、愛しいと想うのはあなただけ・・・。

いつからを好きだったのかわからない。気がつけば、自分の胸の内にはを愛しく想う気持ちがあった。
最初はあこがれ、だったのだろうか・・・。
の祖父は剣術の道場を開いており、当然のことながら、もその教えを受けていた。
そして、流派は違えど同じ剣の道を目指す者として、幼いハヤテもの祖父に教えを乞うことがあった。
活発で勝気な少女だったは、どちらかといえばおとなしい少年だったハヤテを意外に気に入ったのか、いつもふたりは一緒にいるようになっていた。
ある時、が奉納舞を舞うことになった。
それは道場の近くの、小さな神社で行われる祭りの行事のひとつだった。
白の単衣に緋色の袴、長い髪は結い上げ、その髪飾りには金色の鈴――少女が動くたびにシャラン、シャランと澄んだ音色を響かせていた。
境内にしつらえられた小さな舞台の上、かがり火の明かりに照らされて、少女はゆっくりと舞い始めた。
身の丈の半分はあろうかという長剣を、はまるで己が身体の一部のようにあやつる。
優雅な舞でありながら、凄烈な強さを感じさせる剣技・・・。そのあまりの美しさにハヤテは圧倒された。
周囲の大人たちも感嘆のため息をもらす。それを聞いて、ハヤテはなんだか誇らしい気持ちになった。
あの美しい少女は自分の幼馴染で、自分はその隣にいることが許されているのだ、と・・・。
美しい舞が終わると少女は一礼し、舞台からぴょんと飛び降り、そのままハヤテの元へと駆け寄ってきた。
「ハヤテ!ちゃんと見てくれてた?」
「ハイ、もちろんです。すごく綺麗でした・・・」
「ホント?!」
はそう言って嬉しそうに微笑んだ。
このとき、少年だったハヤテは思った。いつまでもいつまでもこの美しい少女のそばにいたい、と。
のそばにいたい――その気持ちがハヤテを特別上忍という地位につかせたのかもしれない。
だが、はいつもハヤテの一歩先を行き、そしてあの日、永遠に追いつけない存在となってしまった。


その夜、とハヤテは二人一組の任務で、機密書類の奪取という使命を帯びていた。
機密書類の奪取には成功したものの、ハヤテはわき腹に重症を負い、一方のも利き足の右足に傷を負っていた。
暗い夜の森、ふたりはなんとか追っ手の手を逃れていた。だが、追いつかれるのは時間の問題と思われた。
「・・・私を置いて行ってください」
「うるさい」
はハヤテに肩を貸し、半ば抱きかかえるようにして歩を進めていた。
先ほどからハヤテは何度も、自分を置いていけとに訴えていた。だが、その度には、うるさいとはねのけるのだった。
「このままでは敵に追いつかれます。だから・・・」
「うるさいわね。聞こえなかったの?リーダーはあたしよ。作戦はあたしが決める」
そうは言っても、足を痛めているが進むスピードはどんどん遅くなり、このままではふたりとも助からない可能性がある。
ハヤテは、自分のためにが命を落とすなど、考えたくはなかった。
「さっき忍犬を使いに出したから、里からの救援が向かっているはずよ」
「・・・なら、私はここで待っています」
「ダメよ」
キッパリとは言った。
「このままでは、あなたまで・・・」
「しゃべってるヒマがあるなら、足を動かしなさい」
はハヤテを背負いなおすと、どんどん歩を進めていく。
ハヤテはに負担をかけないようにと思うが、思うように身体が動かない。かなり出血が酷いのだろう。
朦朧とした意識のなかでハヤテが覚えているのは、前だけを見つめているの横顔だった・・・。


目が覚めたとき、ハヤテは木の葉病院にいた。
皆が言うには、は瀕死のハヤテを里まで連れ帰り、もちろん機密文書も持ち帰ったのだそうだ。
も足にひどい怪我を負っており、そのまま病院へ入院していた。
ハヤテは無理矢理ベッドから起き上がると、傷の痛みをこらえて、の病室を探した。
「相変わらず、顔色悪いわね」
「・・・酷い言われようですね、ゴホ」
そう言って、ふたりは互いに安堵の笑みを浮かべた。
ハヤテより遅れること数週間、はようやく退院したが、前線に復帰することはなかった。
足に負った怪我の後遺症のせいで前線に復帰することは諦めたらしい、との噂が広がった。
それを裏打ちするかのように、は事務方に回り、三代目の秘書のような役割に収まっていた。

面と向かって、に尋ねたことはなかった――あのときの怪我が元で前線から退いたのか、と。
尋ねるまでもなくそれは明白な事実であったし、の口からハッキリと聞くのが怖かった。
自分を助けたせいで、忍びとしての命を絶たれた・・・。
それでもの態度は以前と変わることなく、ハヤテに接してくる。一方のハヤテは、以前よりものそばにいようとした。
「あなたはどうして何も言わないのですか・・・」
子供の頃と変わらない無邪気な寝顔を見つめながら、ハヤテは深いため息をつき、の部屋を後にした。


「だから!そこじゃないって言ってるでしょ!」
パシッ!
「うわ!暴力反対!」
「うるさい!文句言うまえに、報告書くらいちゃんと書きなさいよっ」
翌日の昼、ハヤテがの執務室を訪れると、そこには上忍のはたけカカシがいた。
どうやら報告書の手直しをやらされているようで、間違うたびににパシッと頭をはたかれていた。
さんてばヒドい〜!」
「仮にも上忍なんでしょ?これくらいの書類が書けなくてどうするの」
ようやくハヤテが来ていることに気づいたらしい。うう、と頭を押さえているカカシを尻目に、はにっこりと微笑んだ。
「どうしたの、ハヤテ?ここにくるなんて珍しいじゃないの」
「ええ、昨夜さんのお昼ご飯を横取りしてしまったので。ゴホゴホ」
ハヤテがちょっと掲げてみせたのは小さな紙袋。その紙袋のロゴを見て、が目を輝かせた。
「あ!それ、もしかして、ひさご亭の松花堂弁当?」
「ええ、そうです。お好きでしたよね?」
「あたし、お茶入れてくるね!・・・と、カカシ、それ書いたからもう帰っていいからね!」
そう言って、はパタパタと給湯室へと行ってしまった。後に残されたのはカカシとハヤテ。
「ヤレヤレ、やっと終わったよー」
カカシはそう言って、ヒラヒラと書類を振ってみせた。そして、ハヤテの顔を見るとクスリと笑って、その額を小突いた。
「眉間にシワ寄ってるぞ、ハヤテ」
「っ?!」
「オレのことを睨んでるヒマがあったら、さんに『好き』って言えば?」
カッとハヤテの頬に朱が昇る。カカシはわずかにのぞく右目を弓なりに細めた。
「ま、オレはそろそろ退散するよ。おジャマサマ」
「・・・」
カカシは、ハヤテの肩をポンと叩いて、部屋を出て行った。
が戻ってきたのはしばらくしてからだった。
「う〜ん、おいしいっ!」
お弁当に舌鼓を打つを見ながら、ハヤテは熱い緑茶をすすった。
「どうしたの、ハヤテ?食べないの?」
「あ、いいえ・・・。ゴホゴホ」
カカシの言葉が気にかかってどこか上の空のハヤテを、は不思議そうに見ていた。
カカシの言うとおり、ハヤテはいまだ自分の気持ちをに伝えてはいなかった。
は自分のことをどう思っているのだろう・・・?
こうして自分がのそばにいる理由をはどう考えているのか、ハヤテにはわからなかった。
幼馴染だから?それとも、あの怪我での人生を変えてしまった責任を感じて、だと思っている?
本当のところ、ハヤテはに尋ねる勇気がなかった。
ただ今は・・・のそばにいることが許されている――それだけがハヤテの救いであった。


「んも〜、どこ行っちゃったのよ?はたけカカシーっ!出ていらっしゃい!」
なんとか今日の仕事を片付けて帰ろうとしていただったのだが、カカシの提出した書類に不備が見つかり、はブツブツ言いながらカカシを探しているのであった。
「早く出てこないと、おしりペンペンしちゃうわよー!」
人生色々へ探しに行ったのだが、ついさっき出て行ったと言われ、こうしてあちこち探すハメに陥っているのである。
「早く帰りたいのになぁ。残業手当、請求しちゃうわよ」
あちこち探していただったのだが、ふとオレンジ色の夕日の中に見知った人影を発見した。
そういえば、今日のハヤテは様子が変だった。ちょっと声をかけてみようと思ったのだが、ハヤテは一人ではなかった。
一緒にいるのは、の知らない女のコだった。額宛をしているが、の知らない顔だ。たいていの上忍なら顔見知りなのだが、が知らないということはおそらく中忍なのだろう。
のいる位置は逆光になっていて、ふたりは気づいていないようだった。
ハヤテとその彼女は足を止め、向かい合って立っていた。
『ハ・ヤ・テ・サ・ン・ガ・ス・キ・デ・ス』
のいる場所は遠くて、声は聞こえない。けれど、彼女のくちびるがそう動いたのがにはわかった。
恥ずかしそうにハヤテを見上げている。ハヤテを見つめる瞳には、彼を想う気持ちがあふれていた。
ハヤテはこちらに背を向けていて、なんと答えたのかにはわからなかった。
自分でもどうしてかわからないままはくるりと踵を返し、ふたりに気づかれぬようにその場を立ち去った。




【あとがき】
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2005年8月7日