Sweet Relation 後編




数日後、ハヤテは久方ぶりに、の実家である道場を訪れていた。
この不安定な心をなんとか落ち着かせたい、このモヤモヤした気分をすっきりさせたい。そのために、の祖父に活をいれてもらおうと思ったのだ。
心の迷いは、そのまま太刀筋にも現れる・・・。
こんな中途半端な気持ちのまま任務に赴けば、どうなるかは目に見えている。しかし、任務の依頼はいつ入ってくるかわからないし、どんな難しい任務を命じられるかもわからない。
自分の思い通りにならないこの心を、この想いを、ハヤテはどうにかしたかった。
「あら、ハヤテくん!」
「ご無沙汰しております、おばさん」
道場を訪ねて応対に出てくれたのは、の母だった。幼い頃からハヤテを実の子供のように可愛がってくれていた。
「久しぶりね、元気にしてた?」
「はい。あの・・・先生はご在宅でしょうか?」
この時間帯、いつもなら子供たちの稽古をする声が道場から聞こえてくるのだが、今日はとても静かだった。
ハヤテの言う『先生』とは、の祖父のことである。
「あら、ごめんなさいね。おじいちゃん、今日は近所のひとたちと温泉に行って留守なのよ」
申し訳なさそうに、の母は答えた。
「そう・・・ですか。ゴホ」
留守ならば仕方がない。そのまま帰ろうかと思ったハヤテだったのだが。
「今日はめずらしくもきてるのよ。道場にいると思うけど」
さんが・・・?」
ハヤテの知る限り、はあの怪我のあと、あまり実家には戻っていなかったはずだ。
実家に戻ると母が忍びを辞めろとうるさいのだ、とは言っていた。
「ええ、そうなのよ」
「私も道場に行っても?」
「もちろんよ。今日はお稽古はお休みだから、だけしかいないはずよ」
ハヤテは一礼して、道場へと向かった。


母屋から少し離れた場所にある道場は、静かな佇まいをみせていた。
いつもなら賑やかな子供たちの掛け声などが聞こえてくるのだが、シンと静まり返っている。
ほんの少し開いた扉から、ハヤテはそっと中を覗き込んだ。
板張りの道場の中央に、が正座していた。その傍らには、の身の丈の半分はありそうな長剣が置かれている。
「・・・」
は目を閉じ、瞑想しているようだった。
凛とした美しさ、とでもいうのだろうか。その静かな横顔から、ハヤテは目を離せなかった。
いつもいつもハヤテの視線の先にはがいた・・・。
それはあの幼い日、剣舞を披露するを見たあの日からずっと。は自分の視線を惹きつけてやまない存在だった。
ほかの者などいらない。だけがいればいい。ただのそばにいることさえできたなら・・・。
は静かに息を吐くと、眼を開き、傍らの剣をそっと引き抜いた。
いつか見た剣舞――は静かに舞い始めた。
の剣が空を斬る音が聞こえてくる。激しい動きにもかかわらず、その表情は何かを悟ったように穏やかだった。
どうして自分はこんなにもに心惹かれるのだろうか・・・。
ハヤテは瞬きをすることすら忘れて、の剣舞に見入っていた。
「あ!」
突然、が短い悲鳴をあげたかと思うと、床に膝をついていた。
さんっ?!」
「え・・・ハヤテ?」
荒い息をつくは、突然現れたハヤテに驚いていた。
「大丈夫ですか?!どこか痛めたんですか?!」
「ああ・・・大丈夫よ。ときどき、言うことを聞かなくなるのよ」
そう言って、は自分の右足をポンポンと叩いてみせた。
「・・・やはり、あのときの怪我が・・・」
「日常生活には何の支障もないもの」
暗い表情になったハヤテの鼻先を、はピンッと指先で弾いた。驚いて顔を上げたハヤテに、は微笑んでみせた。
「ハヤテ、ずっと誤解してたでしょ」
「何を・・・?」
「あたしが忍びを辞めようとした理由」
「・・・それは」
「この足のことがなくても、あたしは里に戻れたら、忍びをやめようと思ってたの」
「!?」
「ずっと黙っててごめん」
は姿勢を正し、ペコリと頭を下げた。
さん?」
はゆっくりと話し始めた。


自分とハヤテは、幸運にも生きて帰ってきた。
幸いハヤテは何の後遺症もなく、傷が回復次第、任務に復帰するだろう。
だが、自分の足は元には戻らなかった。
根気よくリハビリを続けた結果、日常生活には困らない程度に回復したが、この足では任務につくことはできない。
この足のこともあって、は忍びを辞める決心を固めたのであった。
「火影さま、本日はこれをお返しに参りました」
・・・」
ある日の午後、火影の執務室を訪れたは、額宛を差し出したのだった。
「決心は変わらぬのか?」
「はい」
三代目は、傷だらけになったの額宛をそっと撫でた。
「惜しいのう、お前ほどのくの一を失うのは・・・」
「ありがとうございます・・・」
はペコリと頭をさげた。
は一時暗部に所属しており、その小隊長を務めていた。その剣技も、その冷静な判断力も、忍びとしては最上ランクに属していた。
当然のことながら、三代目の信頼も篤く、を『惜しい』という言葉に嘘はなかった。
「その脚か・・・」
「この脚のことだけではありません」
「ほう?」
「あたしには、忍びを続ける資格がないのです」
三代目は驚いたようにを見た。
「なぜそんなことを?おぬしほど優れたくの一はおるまい」
「・・・あたしは、任務を放棄しました」
「おぬしは機密文書を奪回し、怪我をしたハヤテをも無事連れ帰ったではないか」
「結果を見ればそうかもしれません。ですが・・・あのとき、あたしは任務のことなんかこれっぽっちも考えていませんでした」
「ならば、何を考えていた?」
「ハヤテが死んでしまう、と・・・」
三代目はキセルを置いた。ふわりと細い煙が立ち昇っている。
「ハヤテが助かるのなら、機密文書などどうでもよかったんです」
「・・・自分自身の脚もどうでもよかった、と?」
「はい」
そうか、と静かに三代目はうなづいた。
「任務を全うするのは無論大事なことじゃ。じゃがのう、ワシは仲間を見捨てられぬおぬしを忍び失格とは思わんよ」
「ですが、それは結果論です」
かたくななに、三代目は困ったような笑みを浮かべた。
「過ぎてしまったことに『もし』と言い出しても意味がないじゃろう。おぬしとハヤテは生きて里に戻り、文書も奪回できた」
「・・・」
「ワシは、木の葉の民を生きて連れ帰ってくれたおぬしに感謝しておる」
「火影さま・・・」
三代目は、孫娘でも見るような優しい顔をしていた。
「のう、?おぬし、ワシの茶飲み友だちになってみないかね?」


「『茶飲み友だち』なんて、真っ赤な嘘!ものすごーくこき使われてるんだけどね」
そう言って、は笑った。
自分は実戦向きだと思っていただったが、意外に事務処理能力に長けており、火影の膨大な事務仕事を次々とさばき、今となっては『三代目の懐刀』と呼ばれるほどになっていた。
の意外な告白に、ハヤテは驚いてなかなか言葉がでない。
「忍びを辞めたのは、この脚の怪我が直接の原因じゃないの。あたしが自分で決めたことなの。
 ハヤテがいなくなってしまうのが、とても怖かった・・・。
 任務が失敗するとか、この足がダメになるとか、そんなこと、どうでも良かったの。
 ただ、ハヤテと一緒に・・・一緒に生きて帰れたらよかった」
でも忍びとしては失格よね、とはちょっと笑って言った。
は正座しなおすと、ハヤテに向かって頭を下げた。
「はやく本当のことをハヤテに言わなきゃいけない、ずっとそう思ってた。でも、言えなくて・・・。
 ハヤテがあたしのそばにいてくれるのはこの脚に責任を感じてるからなのに、
 だけど、本当のことを言ったら、ハヤテはあたしから離れていっちゃうと思って、
 怖くて言えなかったの・・・。
 いままでごめんね。もう、あたしは大丈夫だから」
「・・・私は責任を感じているからさんのそばにいるのではありません」
「ハヤテ?」
「まったく責任を感じていないかと言えば嘘になります・・・。けれど・・・!」
胸のうちを言い募ろうとしたハヤテを、はさえぎった。
「ねぇ、ハヤテ?子供の頃のこと、覚えてる?」
「ハ?」
は懐かしいものを見るように、遠くを見つめていた。
「子供の時にね、神社で奉納舞を初めて舞うことになって・・・。あたし、ものすごく緊張してたの。
 ドキドキしちゃって、振り付けなんかどこかへ飛んじゃって。足が震えて、どうしようもなくなって・・・。
 そうしたら、ハヤテが・・・」
「私が?」
「『大丈夫ですから』って言って、あたしの手を握ってくれたの。そうしたら、怖くなくなったんだ。
 ハヤテが見ていてくれるから、大丈夫だって・・・」
さん・・・」
「ハヤテがそばにいてくれるから、ずっとあたしを見守っていてくれるから、
 あたしは大丈夫なんだって・・・。
 ずっと、そう思ってきた。けど、もうそれも終わり。
 ごめんね、ハヤテ」
「なんで謝る必要が・・・」
「ハヤテは優しいから・・・。それにずっとあたしは甘えていたの」
ハヤテが自分のそばにいてくれるのが当たり前なのだ、といつしか思っていた。
幼い頃からずっと一緒だった。
物静かなハヤテと活発な自分――ずっと自分がおとなしいハヤテを引っ張ってきたのだと思ってた。
でも、本当は違った・・・。
いつかの神社での奉納舞のように、ハヤテが自分を見守っていてくれるから、自分はここまでやってこれたのだ。
いつもハヤテがそばにいてくれる――それが当たり前なのだと思い込んでいた。
「ハヤテにそばにいて欲しいと思うのは、あたしのわがまま・・・。だから、もう」
いつかハヤテにも愛するひとができて、そのひとと共にありたいと願うようになるだろう。
はそれを邪魔したくはなかった。たとえそれが・・・どんなに胸の痛むことであっても。
「イヤです」
「ハ・・・ヤテ・・・?」
「イヤです、あなたのそばから離れません」
ハヤテは切なげな瞳でまっすぐにを見詰めていた。何度も伸ばそうとして伸ばせなかったその腕を、初めてハヤテは伸ばした。
「ハヤテ?」
「あなたのそばにいられるのなら、ずっと『幼馴染』で構わないと思っていました・・・。
 でも、もうそれも・・・限界です」
「っ?!」
はハヤテの腕の中へ抱き寄せられていた。息もできないほど、きつく抱きしめられる。
「あなたが好きだから、そばにいたい・・・。それではダメですか・・・?」
「ハヤテ・・・」
さん」
ハヤテはほんの少し腕の力をゆるめ、の頬へそっと手を触れ、その顔を上向かせる。
ハヤテの顔がゆっくりと近づいていったとき、の身体がビクッと揺れ後ろへ後ずさった。ハヤテはほんの少し哀しげな笑みを浮かべ、そっと身を引こうとしたのだが、クイと何かが引っかかった。
何かと思って下を見てみると、の手がハヤテの服をつかんでいたのだ。は恥ずかしいのか真っ赤な顔をしている。
「・・・さん」
ハヤテは柔らかな笑みを浮かべた。
――ふたりの顔が再び近づいた。
パシーンッ!
「っ!?」
「お、おじいちゃんっ!?」
「コラッ!神聖な道場で何をやっとるかっ!?」
驚いて見上げると、そこにはの祖父が立っていた。片手には愛用の竹刀、おそらくそれでハヤテの頭を叩いたのだろう。
ハヤテは痛そうに頭のてっぺんをさすっている。
「ったく・・・久しぶりに顔を見せたと思ったら・・・。そこへ直れ!」
ハヤテとは慌てて居住まいをただし、その場へ正座する。子供の頃からの常なのか、ふたりは祖父に逆らえない。
「仮にも、木の葉の上忍・特別上忍だというのに、ワシの気配すら読めんとは・・・。情けない限りじゃ」
ハヤテと、ふたりには返す言葉もない。いくら油断していたとは言え、あまつさえ背後をとられ、ハヤテに至っては頭を竹刀で叩かれているのである。
ひとしきりお説教をした後、の祖父はくるりと踵を返し、母屋へ戻ると言った。スタスタと歩いて出ていくのかと思うと、扉の前で足を止めた。
「のう、ハヤテ」
「は、はいっ!」
「そこにおる『はねっかえり』でよければ、いつでも熨斗をつけてくれてやるぞ」
「お、おじいちゃん!」
「ばあさんが茶を淹れておる。冷めないうちに早く母屋へ来い」
お茶請けは温泉まんじゅうだぞ、と祖父は笑いながら行ってしまった。
「ハヤテ、大丈夫?」
「ええ、なんとか・・・」
ふたりは顔を見合わせて、クスクスと笑い始めた。子供の頃もこうしてなんども祖父に怒られたことを思い出したのだ。
「母屋へ行きましょうか。また怒られてしまいますからね。ゴホ」
「そうね」
ふたりはゆっくりと立ち上がった。
そして、どちらからともなく手をつなぎ、指をからませる・・・。
「・・・ずっとあなたのそばにいます」
囁くようなハヤテの言葉には小さくうなずいたが、ちょっと困ったような笑みを浮かべた。
さん?」
「そんなコト言われたら、あたし、ますますハヤテに甘えちゃうよ」
「構いませんよ、ゴホ」
至極マジメな顔で答えたハヤテに、は一瞬驚いたような顔をして、そして笑った。
「行こ、ハヤテ!」


ふたりの間の距離は変わらない。
けれど、昨日までとは違うふたりの関係に、ハヤテは眩暈がするような幸福感を感じていた。




【あとがき】
企画サイトの投稿用に書いたハヤテさんです。
例のごとく歌詞からイメージして書きました(^^;)ポルノグラフィティの『うたかた』大好きな曲です!
もっと切ないような雰囲気をだせれば良かったと反省。。。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2005年8月7日