手料理




目覚めたのは、ハヤテのほうが早かった。

ハヤテはのそりと起き上がると、小さく欠伸をした。
傍らに眠るひとは穏やかな寝息を立てている。子供のような無邪気な寝顔に、思わずそのふっくらとした頬をつついてみたくなったが、まだ起こすには早すぎると伸ばした手をひっこめた。
後ろ髪をひかれながら、ハヤテは暖かな布団から猫のようにするりと抜け出した。
さほど広くないキッチンは、きちんと整理整頓されている。そういうところもなんだか彼女らしい気がして、ハヤテは口元をゆるめた。
「さて、と・・・何を作りましょうかね?」
といっても、ハヤテは料理が得意というわけではない。ホテルの朝食にでてくるようなオムレツでも焼いて彼女を驚かせたい気持ちもするけれど、自分の料理の腕前を鑑みて諦めることにした。
冷蔵庫を物色して、ハムとたまごを発見した。ハムエッグくらいなら自分でも作れるだろうかと思いながら、ふと目をやった戸棚にコーンクリームの缶を発見した。
そういえば、彼女が初めて作ってくれたのはコーンスープでしたっけ・・・。
ハヤテはコーンクリームの缶詰に手を伸ばした。



――冷たい雨が降っていた。
季節はずれのその冷たい雨は、ハヤテの身体から熱を奪い、その忍服をぐっしょりと濡らしていた。自分の指先からしたたる水滴が、一瞬血のように感じて、ハヤテは思わずくちびるを噛んだ。
「・・・情けないですね」
ゴホと乾いた咳とともに、ハヤテは小さくつぶやいた。
後味の悪い任務だった――だが、そんなことは承知のうえだ。けれど、いつもは無理やり押し込めてしまうそのやり切れなさを、なぜだか今日はうまく振り切ることができないでいた。
任務明けに浴びるように酒を飲んだり、花街に繰り出すことで、その後味の悪さを忘れようとする同僚たちを多く知っている。しかし、ハヤテはそんなことをする気にはなれなかった。
こうして雨に打たれることで、なにかに罰されているような気持ちにでもなっているのだろうか、とハヤテは自嘲気味にくちびるを歪めた。そして、こんなことをしたって何の意味もないことも十二分にわかっている。
頭ではわかっているのに、身体は動かない。突然の雨に人影の消えた道をぼんやりと歩いて行く。
「なにやってんのよっ?!」
誰かにグイと腕をつかまれ、ハヤテはハッと我に返った。
さん・・・?」
よほど自分はぼんやりとしていたのだろうか。いや、後ろから誰かがやってくることには気づいていた。気づいてはいたけれど、それが誰かということはまで気にしていなかった。
「あーあ、もう!そんなびしょ濡れになっちゃって!!
 雨宿りするとか思いつかないわけ?!」
一気にまくしたてるように言われ、ハヤテは目を瞬いた。
とうにびしょ濡れになっているのだから、いまさら傘をさしかけてもらっても意味はないのだが、は腕を伸ばしてハヤテが濡れないように傘をさしかけてくれている。
「あの・・・さんが濡れてしまいますよ」
ハヤテがそう言うと、はむっとしたような表情になった。
「あのね・・・あたしは知り合いがびしょ濡れになってるのに、
 傘もさしかけてあげないような冷たい人間じゃないの」
「はぁ・・・」
はもともとアンコの友人で、木の葉病院の医者だ。飲み会で顔をあわせたのがきっかけで、親しいとはいうほどではないが、それなりの友人づきあいをするようになっていた。
いまいち反応の鈍いハヤテに苛立ったのか、はハヤテの手を取ると、どんどん歩きだした。
「あの、さん?いったいどこへ・・・ゴホ」
「うるさい。黙れ」
黙っていればそれなりにかわいらしい顔立ちをしているのに、苛立っていると口が悪くなるタイプらしい。ハヤテはぼんやりとそんなことを頭の片隅で思った。
そして、ふと、つながれた手の温かさを感じた。ハヤテの手をつつむの手はとても柔らかくて温かった。


「頭のてっぺんから湯気がでてくるまで出てくるんじゃないわよ」
ハヤテが連れてこられたのはのアパートで、半ば強引にバスルームへと追いやられた。ハヤテにひとことも口をはさむすきを与えずに・・・。
「さすがはアンコさんの友達ということはありますね、ゴホ」
と半ば妙なことに感心しながら、ハヤテはの言う通りに熱いシャワーをたっぷりと浴びた。雨の冷たさにかじかんでいた指先に感覚が戻ってくる。
の用意してくれたスウェットを着て、濡れたバスタオルを首にかけてリビングへ戻ると、はソファに座って文庫本をパラパラとめくっていた。ハヤテに気づいて、パッとは顔をあげた。
「ちゃんとあったまった?」
まるで幼い子供に問いかけるようにが話すので、ハヤテは思わずくすりと笑みをもらしそうになった。
「ええ、ありがとうございます。ゴホ」
がぽんぽんと隣の席を手で叩くので、ハヤテはおとなしくその隣に腰を下ろした。
「もう・・・ちゃんと拭かなきゃ風邪ひいちゃうでしょ」
は腕をのばしてハヤテのタオルを手に取ると、ぽたぽたと水滴の滴るハヤテの頭をごしごしと拭きはじめた。
「あの・・・自分でできますので。ゴホゴホ」
なぜだか気恥ずかしい気持ちになって、ハヤテは照れ隠しのためか、咳払いをした。
「そう?じゃ、ちゃんと拭いてね」
はそう言うと席を立ち、隣のキッチンへ歩いて行った。ハヤテは言われたとおりに髪をごしごしと拭きながら、キッチンに立つの後姿に目をやった。
なにやら小鍋を火にかけているかと思ったら、しばらくするとプンとバターの香りが漂ってきた。
「はい、コレ飲んで」
リビングに戻ってきたの手には大きなマグカップがあり、その中にはクリーム色の液体が並々と注がれていた。
「・・・?」
「コーンスープよ。嫌いじゃない?」
「ええ、ありがとうございます」
熱いスープを一口含むと、コーンの甘さとバターの芳香が口の中に満ちた。なんだかとても懐かしくて、そして優しい味がした。身体の中からぽかぽかと温まっていくような気がする。ハヤテがコーンスープに口をつけたのを確認すると、は再びキッチンに戻っていった。
「じゃ、次はこれね」
しばらくしてキッチンから戻ってきたが差し出したのは、軽くトーストしたロールパンにハムとスクランブルエッグを挟んだものだった。
「あの・・・お腹は空いてな・・・」
空腹でもないし、そもそも食欲もない。ハヤテが断ると、は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「いいから、食べなさい」
むっとしたように睨みつけられ、ハヤテは仕方なくロールパンに手を伸ばした。一口かじると、ふわりとバターの香りが口いっぱいに広がった。柔らかなスクランブルエッグは口の中で蕩けてしまう。
――お腹、空いてたんですね。
お腹も空いてないし食欲もないと思っていたけれど、いざ食べはじめてみると、自分が空腹だったことにハヤテは気づいた。
コーンスープを飲み干しロールパンも二個食べ終えたハヤテを、は満足げに見つめた。
「じゃ、少し眠ったら?ベッドのシーツは替えてあるけど」
「・・・ここに居ても?」
「いいけど・・・寝にくいんじゃないの?」
「大丈夫です、ゴホ」
ソファの背もたれに頭をのせる。初めて訪れた家で寛ぎすぎだとは自分でも思ったが、なんとなく腰が落ち着いてしまって、誰もいない自分の部屋に帰る気にはならなかった。
がかけてくれたブランケットは柔らかな手触りで、とても気持ちがよかった。我知らず、とろりとした睡魔が忍び寄ってくる。
一方のはというと、お気に入りのマグカップにカフェオレをそそぎ、文庫本を読んでいた。しとしと降る雨の音と、時折、がページを繰る音だけがしていた。
「・・・どうして私を連れてきてくれたんですか?ゴホ」
「ん?んん〜と、そうねぇ・・・」
は顎に手を当てて一瞬考え込んでいたが、何やら自分の足元の黒い物体をヒョイと抱き上げた。
「このコと一緒?」
が抱き上げたのは黒い猫だった。毛並みはつやつやと美しく、赤い首輪をしている。昼寝をしていたところを邪魔されたのか、にゃあと不機嫌そうに鳴いた。
「雨に打たれて、びしょ濡れになってたのよねぇ〜」
「・・・」
「で、可哀そうだと思って、家に連れて帰ってきてエサをあげたんだけど、
 そうしたら、いつの間にか居着いちゃったのよね」
「・・・私は野良猫と一緒ですか。ゴホゴホ」
ハヤテがちょっと不機嫌になったのがわかったのか、はくすくすと笑った。
「だって、状況的には一緒でしょう?それに」
「それに・・・?」
「帰るところがないのって、悲しいじゃない」
そう言って寂しげな微笑を浮かべたを見て、ハヤテは、彼女も帰るべき場所を失ったことがあるのかもしれないと思った。
「ええ、そうですね・・・」
ハヤテはゆっくりと目を閉じた。誰かの気配を感じながら、こんなに深い眠りについたのは初めてだったかもしれない。



「ええと・・・キューブ1個につき200cc・・・?」
ハヤテは先ほどから一生懸命インスタントのコンソメキューブの説明を読んでいた。まったく料理ができないというわけではないが、目分量で料理を作れるほどではない。
計量カップできっちりと水を量って鍋にいれ、コンソメキューブを放り込んで火にかけた。湯が沸いてコンソメキューブが溶けたところへ、缶詰のコーンクリームを入れ、ゆっくりとかき混ぜる。軽く塩コショウで味を整えて、たっぷりと牛乳を注いだ。ほどよいとろみがついていて、とてもおいしそうだ。
味見をする前に食パンを2枚、トースターに放り込んでタイマーをセットする。
ああ、コーヒーも淹れておかないと・・・。
寝起きの悪いを起こすのにはカフェインが必須である。ハヤテはあわててコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「さて、スープの味見をしてみますか・・・」
恐る恐る初めて作ったコーンスープの味見をしてみる。塩加減もちょうどいいし、とろみもある。初めて作ったにしては上出来だとハヤテは思ったが、なにかもう一味足りない気がする。
「そういえば・・・ゴホゴホ」
ハヤテは冷蔵庫を開けてバターを取り出すと、ほんの少しスープの鍋に入れた。途端にバターのよい香りが漂ってくる。
「これで完成、と」
もうすぐトーストも焼けるだろう。ハヤテはコンロの火を止めた。
「さて、寝起きの悪いお姫様を起こしにいくとしますか・・・ゴホ」
自分でも締まりのない顔をしていると思うが、自然に口元がゆるんでしまう。


目を覚ましたら愛しいひとが隣にいる――そんな幸せな朝を誰にも譲る気はない。
「おはようございます、さん・・・?」




【あとがき】

ええっと、コーンスープはおいしいですよね〜(と話をそらす)
ハ、ハヤテさんって、どんな感じでしたっけ・・・?(汗)
とある企画投稿用に書き始めたのですが、自分で何書きたいのかわかんなくなって
きてしまい・・・。
なんだかどこかで聴いたことのある歌のような仕上がりとなってしまいました(汗)

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2008年11月3日