七夕
ブルブルブルブル・・・。
会社のデスクの片隅に置いていたケータイが震えていた。新着メールが一通届いていた。
ちゃんへ
今日は何時に帰ってくる?
おれ、駅まで迎えに行くからね!
「和樹くん・・・?」
「どうしたの、?あ、彼氏からメールだ!」
同僚がプリントしたばかりの資料の山を持ってきたのだが、が仕事の手を止めてケータイを覗き込んでいたので気になったのだろう。
「やだ、違うわよ。お隣の男のコ」
「え、年下?!」
ニヤニヤ笑いをする同僚に、は笑って答えた。
「そんなんじゃないのよ。今日はウチの親が旅行にいってるんだけど、たぶん駅まで迎えに行ってくれって
頼んだんだと思う」
そう言うとはケータイのディスプレイを見せた。
「ふーん。んちって駅から遠いんだっけ?」
「そんなこともないんだけど、夜遅くなるとちょっとね」
昼間はそうでもないのだが、住宅地ということもあって、夜になると極端に人通りが少なくなるのだ。残業で遅くなるときは、両親のどちらかが散歩がてら駅まで迎えにくるのが常であった。
「最近物騒だからねぇ〜」
「そうね」
時計を見ると午後8時を過ぎていた。それほど遅い時間ではないが、迎えに来てもらえるのはありがたい。
和樹くんへ
メール、ありがと。きっとお母さんが頼んだのね。
ゴメンね。
9時ごろに駅に着くと思います。
がメールを返信すると、すぐに返事がきた。
「『了解!』だって」
「返事早っ!」
ふぅ〜ん、と同僚が意味ありげにを見ている。
「なに?」
「きっとその少年はケータイを握り締めて、ドキドキしながらの返事を今か今かと待っていたワケよ」
「ハァ〜?何それ?」
「だからぁ〜、お隣のお姉さんに恋焦がれてるワケよ、その少年は」
ぷっと思わずは吹き出した。
「残念ながら、全然そんなんじゃないのよ。確かにちょっと可愛いコだけど、単なる幼馴染だもの」
「なんだぁ〜、つまんないの!」
「じゃ、さっさとこの資料仕上げて帰らないとね」
は分厚い資料の束を見つめて、うんざりしたように言った。
「あ!ちゃーん、こっち、こっち!」
が駅の改札をでると、和樹が待っていた。ニコニコ笑いながら手を振っている。
「ちゃん、お帰り」
「ただいま、和樹くん。ゴメンね、迎えにきてもらっちゃって」
「ん?全然!だって、ちゃんが一人で帰ってくるの危ないもん」
ニコニコと笑う和樹は小さい頃と変わっていないと、は心の中でクスリと笑った。背も伸びて声も低くなっているけれど、和樹は和樹のままだ。
二人は静かな住宅街をのんびりと歩いていく。夕立でもきたのだろうか、昼間の熱気がウソのようにひんやりと心地よい風が通り抜けていく。
「おじさんとおばさん、どこへ旅行にいったの?」
「北海道よ。ズルイわよね、娘は汗水たらして働いてるのに」
「いいなぁ〜、北海道かぁ。涼しいんだろうなー」
他愛もない話をしながら歩いていると、あっという間に家に着いてしまった。
「迎えに来てくれてありがとう。お父さんとお母さんに、和樹くんにもお土産買ってくるように
言っておくね」
「あ、あの、ちゃん」
「なあに?お土産のリクエスト?」
バッグの中をかき回して家の鍵を探していたは手を止めて、和樹を見た。何か言いたいようだが、モジモジしている。
「とうもろこし?夕張メロン?・・・うーんと、じゃあ六花亭のバターサンドだ!」
「・・・なんで食いモンばっかり」
「あれ?違った?だって、和樹くん、食べるの好きでしょ?」
「そりゃまぁ・・・」
「?」
じぃーっとが自分を見つめている。和樹はギュッと拳を握り締めて言った。
「あ、あのさ、ちゃん・・・その『七夕』やらない・・・かな?」
「『七夕』・・・?」
「今日、七夕でしょ。部活の後輩から笹もらったんだ」
「そっか、今日、七夕だったんだっけ・・・」
このところ仕事に追われて、曜日の感覚しかなかった。月曜から金曜までの繰り返し――それくらいの意識しかなかったのだ。
「ガキの頃は一緒に短冊書いたりしたじゃん」
「懐かし・・・」
「でしょ?」
期待に満ちた瞳で自分を見つめている和樹に、は笑って言った。
「久しぶりに短冊書いてみようかな?」
「じゃ、おれ、笹取ってくるね!」
「庭のほうへ回ってね」
「りょうかーい!」
パタパタと元気よく隣家へ駆け込んでいく和樹の後ろ姿を見送って、は夜空を見上げた。
――今夜は月もなく、美しい星空が広がっていた。
「ちゃん・・・?」
「こっちよ、和樹くん」
和樹が庭のほうへ回ってみると、がウッドデッキでヒラヒラと手を振っている。
の家には狭いけれど小さなウッドデッキがあって、簡単なテーブルとイスを置いている。リビングの窓からもれる灯りのおかげでさほど暗くはない。
「何か飲む?」
「うん」
「じゃ、ちょっと待ってて」
和樹は抱えてきた大きめの花器をテーブルの上に置いて、持ってきた笹を入れた。
が飲み物を持ってもどってくると、和樹が折り紙と格闘しているところだった。はクスリと笑って、テーブルにジュースの入ったグラスを置いた。そして自分用には缶ビールだ。
「あ、おれもそっちの方がいいなー」
「未成年はダーメ!大人になったらね」
「ちぇ・・・」
とこうやって話すのはものすごく久しぶりだったけれど、すぐに以前のように仲良く話せるようになったのが和樹は嬉しかった。が学生だった頃はともかく、が社会人になってしまってからはすれ違ってばかりで、和樹は焦っていた。
『幼馴染のお隣のお姉ちゃん』が『好きなひと』に変わったのはいつだったろうか・・・?
家が隣で親同士も仲が良かったこともあって、小さな頃のイベント事はいつもと一緒だった。誕生日もクリスマスも・・・。それこそ姉弟のように育ち、いつまでもいつまでも一緒だと思っていた――それが違うとわかったのは、が中学生の時だった。
セーラー服を着たとその隣を歩く学生服の少年・・・。親しげにクスクスと笑いながら前を行くふたりを見て、和樹はようやく自分の気持ちに気づいたのだった。
自分にとっては『幼馴染のお姉ちゃん』なんかじゃない・・・。
「ん?どうかした?」
「え・・・?あ、いや、なんでもないよ」
自分でも気づかないうちにをじっと見つめていたのだろう。が不思議そうにこちらを見ていた。
「あ、おれ、短冊でも書こうかな〜」
和樹は奇妙な雰囲気を壊すかのように慌てて言った。長方形に切られた紙とサインペンを取り出す。
「さっき作ってた飾りは?」
「うーんと『天の川』っていうのかな?網みたいになったヤツを作ろうと思ってたんだけど・・・」
折りたたんだ紙にハサミで切り込みをいれて作るのだが、和樹が作ったものはどうにも間違っていたようで『天の川』にはなっていなかった。
「ちょっと貸してみて」
「うん」
が器用に紙を折って切り込みをいれていくのを、和樹は感心したように見ていた。
「できた!」
切り終わった紙をペリペリと開いていくと、それは綺麗な『天の川』になっていた。
「うわ〜、すごいよ、ちゃん!」
は器用に折り紙を使って他にも飾りを作っていく。一方の和樹は短冊を一生懸命書いていた。
「飾りはこんなものかしら・・・?」
「そうだね、じゃちゃんも短冊書く?」
「そうね、じゃ何か書こうかな」
「あ・・・っと、このペン、インクなくなっちゃったみたいで書けないんだ。おれ、取ってくるね」
「うん」
「じゃ、ちょっと待ってて」
軽い足取りで自宅に戻っていく和樹を、フットワーク軽いなぁなどと感心しながら見ているは少々夏バテ気味だった。
「高校生って若いなぁ・・・」
しみじみと呟いてしまった自分に苦笑しながら、は少し温くなってしまったビールを口に運んだ。
「和樹くんは短冊になんて書いたのかな・・・?」
笹に飾られた鮮やかな黄色の短冊をひらりとめくってみる。
ちゃんとずっと一緒にいられますように
「え・・・何これ・・・?」
子供が書いたのならほほえましいだけで済むのだが、和樹は子供というには大きすぎるし、大人と呼ぶには少し子供っぽいところがあるような気がする。
和樹はどんなつもりでこの短冊を書いたのだろうか・・・?は和樹の短冊を読んでドキとした自分に驚いていた。
別に大した意味なんてないはずじゃない・・・!何ドキドキしてるのよ、あたしったら!?
アルコールとは違う熱が頬に昇ってくる。は思わず自分の頬を両手で押さえた。
カチャ・・・
の耳は隣の家のドアが開く音を捉えた。
か、和樹くんが戻ってきちゃう・・・!
「うわ・・・どんな顔してたらいいのかわかんないよ・・・!?」
咄嗟にはテーブルに突っ伏して寝たフリをすることにした。
「ちゃん、お待たせ〜って、寝ちゃったの・・・?」
アルコールのせいか、は頬をピンク色にそめて眠っていた。ペンを持って戻ってきた和樹が隣に座っても、目が覚める気配はない。
「仕事で疲れてるのかな・・・?」
すぅすぅと気持良さそうな寝息を立てているの、その横顔を見つめながら和樹はポツリと呟いた。
「・・・・・・」
何かに吸い寄せられるように、和樹はの滑らかな頬に触れていた。柔らかで滑らかなその肌を指先がなぞっていく。
「おれ・・・まだガキだけど・・・いつか絶対追いつくから・・・それまで待っててよ、ちゃん・・・」
が自分のことをまだ『弟』のようなものとしか見ていないことはよくわかっていた。
けれど、いつか追いついて、その隣を歩いてみせるから――ふたりの間の天の川だって飛び越えてみせるから。
もうすこし、もうすこしだけ・・・誰のものにもならずに待っていて。
「・・・好きだよ、ちゃん」
和樹は、眠るの頬にそっとくちづけた。
「うわ・・・おれ、何やってんだよ・・・!?」
思わずしてしまった自分の行為に恥ずかしくなったのか、和樹は顔を真っ赤にして行ってしまった。
一方のはというと・・・
「・・・・・・」
薄目を開けて和樹が居ないことを確かめると、和樹が触れた部分へそっと手を伸ばしてみた。
心臓がどうになかってしまったのかではないかというくらいドキドキしていた。
「・・・静まれ、心臓!相手はお隣の和樹ちゃんじゃないの!」
そうよ、和樹ちゃんなのよ!小さいときから可愛くて、いつでも後ろをくっついてきて。だけど、だけど・・・今は・・・。
「あれ、起きたの?」
「うわぁ?!」
ふいに後ろから声をかけられ、は飛び上がらんばかりに驚いた。
「えっ!?どうしたの、ちゃん?!」
「・・・い、今の聞いてた?」
「何を?」
きょとんとしている和樹に、はホッと安堵のため息をもらした。
「なんでもない、聞こえてなかったらいいの」
「?」
和樹は不思議そうな顔をしていたけれど、手に持っていたプラスチックのカップをに手渡した。
「なぁに?」
「本日のスペシャルデザート〜♪買ってきてたの忘れてたんだ」
「フルーツゼリー?」
「そ。だけど、よく見てよ。七夕バージョンになってるんだ」
「あ、ホントだ!」
透明で柔らかそうなゼリーのなかに、小さな星型になったフルーツがたくさん入っていた。
なんとも幸せそうな顔でスプーンを口に運んでいる和樹を見て、はクスクス笑った。
「え?なに?」
「あのね、小さい頃とおんなじ顔してるなーと思って」
「・・・おれ、もう高三なんだけど」
むすっとした顔でいう和樹がなんだか面白くて、はまた笑った。
「ちゃんだって甘いもの好きでしょ」
「まぁね。どっちかというと好きなほうかな」
「じゃあさ、明日一緒にケーキ食べに行こっ!後輩の女のコに教えてもらったんだけど、
すっごくおいしいんだって」
「明日はお休みだし・・・じゃ、和樹くんに案内してもらおうかな」
「うんっ!」
にこにこと楽しげな和樹につられても笑みを浮かべる。
「わーい!ちゃんとデートだっ」
「デ、デート?!」
「え?なんで?違う?」
「いや・・・その・・・違わないケド・・・」
「明日はちゃんとエスコートさせていただきマス!」
改まって言う和樹がおかしくて、はちょっと笑ってしまった。
「明日、お天気だといいね」
「今夜は晴れてるから、明日もいいお天気じゃないかしら。
たぶん、織姫と彦星もちゃんと逢えてると思うよ」
「そっか、そうだよね!ゼッタイ、逢えてるよねっ」
美しく輝く星空を和樹は嬉しそうな顔をして見上げていた。その横顔をそっと見つめながらは思った。
幼馴染の男のコは成長して、男のヒトになっていくんだなぁ・・・と。
「ん?どうかした、ちゃん?」
「っ!?ううん、なんでもない、なんでもない」
星空を見るため、家の灯りを消していて良かったとは思った。そうでなければ、アルコールのせいだけでなく頬が赤くなっているのが和樹に見られてしまっていただろう。
『お隣の和樹ちゃん』にドキドキさせられそうな予感がするのは、あたしの気のせい・・・?
のそんな気持ちも知らず天の川は美しく夜空に輝いていた。
【あとがき】
きゃー!火原っちでございますよ
v
コチラはオンでもオフでも仲良くしていただいている『キミノイイトコロ』の碧さんのサイトの
3周年記念に送りつけたブツでございます(笑)
そうしたらなんと!素敵火原っちイラストが・・・!!(喜)
わたしのニセモノ火原っちには勿体ないのですが、許可を頂いてお婿にきてもらいました
v
ありがと、碧さん!これからもヨロシクね
v
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2006年9月10日
※イラストは禁無断転載です。お持ち帰りも不可です。