君は僕の宝物




「コンサート・・・?」
「うん、おれが入ってるオケ部でクリスマスコンサートやるんだ。
 だから、もし良かったら、ちゃんに来てもらえたらなーと思って」
12月も後半に入り、は仕事で忙しくしていた。このところ帰宅も遅いし、朝も一本早い電車に乗って出勤していたので、お隣さんである火原和樹に会うのは久しぶりだった。
最寄り駅の電車の時間はわかるから見当をつけて和樹はを待っていたのだろう。慌てて出てきたのか、和樹はセーターの上に何も羽織っていない。
「和樹くんたらそんな格好で・・・風邪引いちゃうわよ」
「へーきだよ、これくらい・・・ハクション!」
「ほらもう・・・」
は肩にかけていたストールを外して、和樹にふわりとかけてやった。
「コンサートがあるんでしょ?風邪なんかひいてどうするの」
「・・・ありがと」
ストールは暖かく、微かにだけれどの甘い香りがしたような気がした。
「おれね、短いけどソロもあるんだ」
「ホントに!?・・・じゃ、絶対見に行かないとダメね」
陸上部だった和樹が星奏学院を受験すると聞いたときは本当に驚いたものだ。もちろん応援はしていたけれど、合格するとは思っていなかったのだ。
「次の日曜なんだけど・・・大丈夫?」
「日曜ならたぶんいけると思う」
「やったー!」
嬉しそうに笑う和樹につられるようにも微笑みかえす。ふわりと白い息がもれた。
「じゃ、これ、チケット」
「ありがとう、和樹くん。冷えちゃうから、もう中に入りましょ」
「うん。じゃ、待ってるからね!」
そうして互いの家のドアを開けたのだけれど。
「おやすみ、ちゃん!」
ブンブンと勢いよく手を振る和樹に苦笑しながら、も小さく手を振った。
玄関のドアを閉めて、チェーンをかけて・・・は深いため息をついた。
「・・・何やってんだろ、あたし」
もう限界だ――幼馴染のお姉ちゃんをやっていくのは。


小さいときから和樹とは仲良しだった。
自分の後ろをちょこちょことくっついてくる小さな男の子が可愛くて可愛くて、春も夏も、秋も冬も、まるで姉弟のように過ごしてきた。弟に対するような気持ちが、の中で少しずつ変わっていったのはいつだったろうか・・・。
相変わらず無邪気に懐いてくる和樹に、ほんの少しお姉さんぶったりしながら過ごしてきたけれど、それももう限界のような気がする。
自分のほうが年上で、まるで実の姉のように慕ってくる和樹に、はとても告白する気にはなれなかった。
・・・だって、玉砕する気にはなれないし。
もし告白してうまくいかなくて、『幼馴染のお姉さん』というポジションまで失いたくはなかった。
「ハァァ・・・もう終わりにしなきゃね」
和樹がくれたチケットをはじっと見つめ、大事そうにそのチケットをバッグのポケットに仕舞った。


「スゴイひと・・・」
学校の行事なのだから大したことはないのだろうとは思っていたのだが、予想に反して、会場である市民ホールはたくさんの人で混雑していた。さすがに制服姿が多いが、保護者と思われる姿もあった。
会場のロビーに入ってみたが、やはりこちらも大勢の学生たちがいた。和樹の家族も見に来ているかもしれないと思い、はキョロキョロと辺りを見回してみたが、それらしい姿はなかった。
ちゃんっ!」
「え・・・?」
突然声をかけられて驚いて振り返ると、人ごみの向こうで和樹が手を振っている。
「ホントに来てくれたんだね!」
「当たり前でしょ、約束したじゃない」
ニコニコとして嬉しそうな和樹にも微笑みかえす。
「エヘヘ・・・ちゃんが見に来てくれたんなら頑張らないとね!」
「うん、期待してる」
「あ!おれ、そろそろ行かなくちゃ!」
「頑張ってね」
「じゃ、また後で!」
そろそろスタンバイしなければいけない時間なのだろう。和樹は何度も手を振りながら、楽屋の方へと走っていってしまった。
「あたしもそろそろ入ろうかな」
入り口でパンフレットをもらい、着席する。和樹の用意してくれたチケットは客席のほぼ中央の席で、全体がよく見渡せる。客席はほぼ埋まっていた。
「どんな曲演奏するんだろ・・・?」
正直クラシックには詳しくない。パンフレットを見ても知らない曲名が多い。
・・・寝ちゃったらどうしよ?(汗)
そんな心配をしていただったのだが、実際演奏が始まってみると、タイトルは知らないけれど聞いたことのあるメロディーの曲が多く、充分に楽しむことができた。ステージの後半には映画音楽などの演奏もあって、2時間あまりのステージはあっという間に終わりを迎えた。
もちろん和樹のソロも成功し、は叩きすぎて手のひらが痛くなりそうなほど拍手を送った。演奏が終わったあとの拍手にまぎれて、『火原センパーイ!』などという女子生徒の黄色い声が聞こえて、はちょっと驚いていた。
和樹くん・・・人気あるんだ・・・。
和樹は素直で明るいし、優しい。女の子に人気があるだろうとは思っていたのだけれど、実際それを目の当たりにすると、は胸のあたりがキュと苦しくなるような気がした。


アンコールもすべて終了すると、は人の波に押されるようにしてロビーへと出た。
今日は和樹の家族は誰もきていないらしく、顔見知りのいないは手持ち無沙汰で、これからどうしようかと考えていた。チラリと腕時計を時間を確認すると、はもう帰ろうと出口へ向かいかけた。
「待って!」
後ろから呼びかけられて振り向くと、そこにはステージ用のジャケットを着たままの和樹が居た。
「和樹くん・・・」
「よかった・・・!人が多くて見つけられないかと思ったよ」
「和樹くん、演奏、すごくステキだった」
「ホント!?」
照れるな〜と言いながらも、和樹は嬉しそうに笑った。
「コンサートに来たのってすごく久しぶりだったんだけど、やっぱり生の楽器の音ってステキね。
 もっといろんなコンサートに行きたくなっちゃった」
「そう言ってもらえると、なんかすごく・・・嬉しいな」
ふたりで立ち話をしていると、遠くで『火原先輩!』と呼ぶ声が聞こえた。
「和樹くん、名前呼ばれてない・・・?」
「え?あれ・・・なんだろ?」
和樹の姿を見つけて駆け寄ってきたのは、部活の後輩らしい女の子がふたりだった。
「もう、先輩!すっごく探しちゃいました!」
「あれ?ホントに?ゴメン、ゴメン〜」
「ステージ終わったら、打ち上げに行こうって言ってたじゃないですか。
 もう片付けも終わったから、そろそろみんな移動してますよ」
「火原先輩も一緒に行きましょう」
「え・・・あ、そうだったっけ・・・」
このステージが終わったら、オケ部のみんなで打ち上げに行こうと言っていたのを和樹は忘れていたらしい。突っ立ったままの和樹の腕をとって、女の子たちが連れていこうとしている。
「あ、ゴメン、おれ、今日はパスしようかと・・・」
「えーっ!?」
「ダメですよ、そんなの!」
「困ったな・・・」
「みんなでクリスマスパーティーしよう!って言ってたじゃないですかぁ〜」
は和樹に気づかれないように、すぅと深く息を吸ってから言った。
「和樹くん、あたしのことなら気にしないで?そろそろ帰ろうと思っていたところだから」
「え?ちゃん・・・でも・・・」
困っている様子の和樹に、はにっこりと微笑んでみせた。
「みんな待ってるんじゃない?早く行ってあげて」
「・・・・・・」
「じゃ、あたし、帰るね」
ヒラヒラと手を振り、踵を返すと、は振り返らずに歩き出した。
「あ、ちゃん!待って・・・!」
和樹が後ろから呼んでいるのが聞こえたが、は振り返らなかった。
ああ・・・イヤだ、あたしったら。大人気ない・・・。
和樹と並んで立っている女の子たちが羨ましくて仕方がなかった。同じ学校、同じ部活に入っているというだけで、和樹の隣に何の問題もなく立つことができるのだから・・・。
さきほどまでの楽しい気持ちはどこかへ消えてしまい、鉛でも呑み込んでしまったような胸苦しさがあった。
はキュとくちびるを噛締めると、駅前へ向かうバスに乗った。


「なんだか今日は疲れた・・・」
いつもの駅の改札を通ったのは、とっぷりと日も暮れた遅い時間だった。
コンサートが終わったあと、駅前に戻ったは、気分転換をするために最近出来たショッピングモールへ向かった。
今日はクリスマスイブ、ちょっと奮発して自分へのご褒美代わりにクリスマスプレゼントを買うのも悪くない。は買い物をすることでストレスを発散しようと思ったのだ。
だが、しかし。
そういうときに限って、目ぼしいものにめぐり合わないのだ。手ぶらで帰るのもなんだか癪に障るので、何か買おうと思うのだが、何もみつからない。
結局、の目に留まったのはオレンジ色のマフラーだった。オレンジの地色がきれいで、茶系のラインがチェックの柄になっている。
和樹くんに似合いそうだな・・・。
渡せるかどうかもわからないのに、はそれを綺麗にラッピングしてもらった。結局、自分用にはCDを何枚かとベストセラーになった単行本を買って、は帰路についたのだった。
駅の改札を出て歩きだそうとした瞬間、目の前に人影が立ち、の行く先を塞いだ。
「きゃ!・・・あれ、和樹くん?」
の目の前に立っていたのは和樹だった。コンサートの後、いったん家に帰ったのだろうか制服姿ではない。
「どうしたの、和樹くん?あ、もしかして今帰ってきたところ?」
「・・・・・・」
いつもならここで『おかえり、ちゃん!』と元気に言ってくれるのに、今の和樹は黙ったままで、しかもその視線はが見たこともないほど険しかった。
「え・・・ちょっと?!」
和樹は無言のまま、の手をつかんで歩き出した。


「和樹くん、どうしたの?ねえってば!」
「・・・・・・」
が何度話しかけても和樹は答えず、無言のまま夜道を歩いていく。無論、の手は和樹とつながれたままだ。
「和樹くん・・・?」
は和樹に話しかけるのを諦め、大人しく和樹に連れられるままになっていた。
家の近くまできたとき、和樹はいつもなら左に曲がるところを右に曲がり、を小さな児童公園に連れて行った。
こんな遅い時間に誰もいるわけがなく、シンと静まり返った公園はすこし寂しい感じがした。
「・・・ちゃん、今までどこに行ってたの?」
和樹は振り返らないまま、静かに言った。その背中を見て、はなんだか不安な気持ちになってしまう。
「え・・・?あ、ああ・・・えーと、買い物してたの・・・」
「おれ、何回も電話したのに全然出てくれなくて、ちゃんに何かあったのかと思って、
 すごく心配したのに・・・」
くるりと振り返った和樹に恨めしそうな目で見つめられて、はハッとしてバッグの中を探り始めた。
「ごめんね。コンサートの前にケータイの電源切ってたの忘れてた」
それを聞いた和樹はハァ〜と深いため息をついて、その場にしゃがみこんだ。
「え?ちょ、ちょっと和樹くん!?どうしたの!?」
「気が抜けた・・・」
和樹はくしゃくしゃと頭をかいた。
とホールで別れたあと、一旦はオケ部のクリスマスパーティーに和樹は顔を出したのだが、早々に抜け出し、に連絡したのだ。けれど、電話をしても出ないし、メールを送っても返信はない。
何かあったのかと心配になった和樹は、の家にまで電話をかけたのだ。
『あのコなら、まだ帰ってないわよ』
『そうですか・・・』
『ケンカでもしちゃった?』
の母が電話口でニヤニヤしているのが目に浮かび、和樹は少し顔を赤くした。
『帰ってきたら、和樹くんに連絡するように伝えるわね』
『はい、すみません』
『いいのよ、頑張ってね』
頑張ってね、と言われても、肝心のがいないのだ。和樹はため息をつくと、もう一度メールを打った。
結局、からの返事はなく、和樹は駅でずっとの帰りを待っていたのだった。
「ごめん、和樹くん。もしかして、ずっと探してくれてた?」
「・・・・・・」
立ち上がった和樹の頬に、はそっと触れてみた。それは氷のように冷たかった。
「わっ!?」
「和樹くんたら、こんなに冷えちゃって!ホント、ごめん!早く帰ろう!」
の柔らかな手が頬に触れて、和樹はかぁっと赤くなった。少しでも和樹を温めようとでもいうのか、の手は和樹の頬を柔らかく包んだままだった。しばらくの間の手は和樹の頬に触れていたが、次第にの手も熱が奪われて冷たくなってきてしまっていた。
「ごめんね、和樹くん」
が手を離して一歩下がろうとしたとき、和樹の腕が伸びてきて、をギュッと抱きしめた。
「か、和樹くん!?」
驚いたが咄嗟に和樹の腕の中から逃れようとしたが、和樹はそれを無視するかのようにさらにきつくを抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、和樹くん!?どうしたの?!」
「・・・ホントは、コンサートが終わったら、ちゃんをデートに誘うつもりだったんだ」
だってクリスマスだし、と和樹は言った。
「デ、デートって・・・!?」
「それなのに、ちゃんはさっさと帰っちゃって連絡とれなくなるし」
どこか拗ねた口調の和樹に、は抱きしめられたまま思わず謝る。
「ご、ごめん・・・」
ちゃんの好きそうなお店とかカフェの下調べもしたんだ。
 それで、ちゃんを誘って、おれと一緒に来てくれたら・・・」
「和樹くん・・・?」
和樹が何か言いにくそうにしているような気がして、は和樹の顔を見た。
いつの間に、背を追い越されちゃったんだろう・・・?
はそんなことをぼんやりと考えていたが、一方の和樹は夜目にもわかりそうなほど真っ赤になっていた。
「・・・おれ、ちゃんが好きなんだ」
「っ!?」
ちゃんから見たら、おれなんてガキで、弟みたいにしか思えないかもしれないけど・・・。
 おれにとって、ちゃんは幼馴染のお姉さんなんかじゃないんだ」
「か、和樹くん・・・?」
「――ちゃん、おれと付き合ってくださいっ」
あまりに驚いてまばたきすら忘れたようなの顔をまっすぐに見つめて、和樹は言った。
「ほ、本気・・・?」
「絶対大事にする!だから、おれと・・・え?うわ、ちゃん!?」
和樹が驚いたのも無理はなかった。の瞳から涙がポロポロと零れていたからだ。
「ちょ、どうしちゃったの!?え、あれ?もしかして・・・泣くほどイヤだった・・・とか・・・」
最後はどんどん声が小さくなってしまった。それというのも、物心ついてからが泣くところを見たことがなかったからだ。
無理やり抱きしめたのがよくなかった・・・?!うわ・・・正直、ヘコむよ・・・。
「ち、違っ・・・!違うの、和樹くん」
落ち込んだ風な和樹に向かって、は慌てて首を振った。
「・・・う、嬉しくて、びっくりしちゃって・・・なんだか涙が出てきちゃって」
照れくさそうに微笑みながら、は涙を拭った。
ちゃん・・・?」
「ありがとう、和樹くん。すごく・・・嬉しい」
「!」
「あたしも、和樹くんが好きです」
「ホントにっ!?やったーっ!」
ぱあぁっと和樹の顔が明るくなる。嬉しくて嬉しくて、飛び跳ねてしまいそうだ。
「あ!そうだ、コレ!」
和樹は慌ててポケットの中を探った。
「なぁに、和樹くん?」
ちゃん、手、出して」
「こう?」
「ううん、右じゃなくて、こっち」
和樹はの左手を取ると、そっとその薬指にリングをはめた。
「これ・・・」
「おれからのクリスマスプレゼント」
気に入ってくれると嬉しいんだけど、と照れくさそうに和樹は言った。
「可愛い・・・」
和樹がのために選んだリングは、小さなピンク色の石が花のモチーフになっているものだった。
ちゃんに似合うかな・・・と思って」
ショッピングモールを歩いているとき、偶然目に留まったそれを、和樹はほとんど衝動買いのような感じで買ってしまったのだ。
ショップのお姉さんが綺麗にラッピングしてくれたのだが、なんだか気恥ずかしくて、和樹はラッピングを解いてポケットに直に放り込んでいた。
「うん、とっても可愛い。ありがとう、和樹くん。でも、あたしの指輪のサイズなんて、
 知ってたの?サイズもぴったり」
「えーと、それは・・・」
「?」
ちゃんちのおばさんに聞いた」
「え?!お母さんに!?」
「うん・・・」
和樹は照れくさそうに頭をかいた。
その指輪を買おうと決めたところまでは良かったのだが、肝心のサイズがわからない。に聞くのがいちばん手っ取り早いのだが、なんとなく驚かせたい気もする。散々悩んだ和樹は、かなり恥ずかしいのをガマンしての母に聞くことにしたのだ。もちろん、和樹はの母のこともよく知っている。
『そうねぇ・・・右と左でサイズが違うかもしれないけど、たぶん大丈夫でしょ』
『ありがと、おばさん』
『でもねえ、和樹くん?』
『はい?』
『ホントにあのコでいいの?和樹くんならもっと可愛いコがいるでしょう〜?』
冷やかすように言われて、和樹は恥ずかしく思いつつも答える。
『・・・ちゃんがいいんだ』
『まあ〜っ!いいわ、和樹くんなら!熨斗(のし)つけてあげちゃう!』
頑張れ!と励まされたのは、つい数日前のこと。
「そっか・・・だから、今日のお母さん、なんだかヘンだったんだ・・・」
今朝家を出るとき、母はやたらとご機嫌だったのだ。
・・・それって、あたしの気持ちはバレバレだったってこと?(汗)
「うう・・・」
「どうしたの、ちゃん?」
和樹がヒョイと背をかがめて、の顔を覗き込んでくる。その距離がいつもより近くなったような気がして、の頬が赤くなる。
「あ・・・」
それに気づいた和樹の頬も赤くなって、一瞬身を引こうとしたが、意を決したようにその距離を詰めた。
「・・・」
「・・・」
重なり合ったふたつの影が離れたとき、ふたりは互いを見つめて照れくさそうに微笑んだ。
「帰ろうっか」
「うん」
どちらからともなくつないだ手は寒さのために冷えていたけれど、つないだ手からあたたかいものが通いあうような気がした。


昨日までも。そして今日からも。
――キミはずっと僕の宝物。




【あとがき】
ネオロマ企画投稿作品。
ゲーム未プレイで、コミックとイベントのイメージのみで書いているという・・・。
コルダ2もまだあんまりプレイできていないという・・・(汗)
でも、火原っちは可愛いと思います!(笑)
それにしても長い。。。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2007年6月16日