薬指の約束
「遅いなぁ・・・」
火原和樹はジーンズのポケットからケータイを取り出し、時間を確かめた。さっき時間を確かめてから3分も経ってない。
目の前を楽しげな家族連れやカップルが続々と歩いていく。皆が皆、楽しげな様子なのは、行き先が秋祭りだからなのだろう。はしゃいでいる子供たちを見て、余裕のなかった和樹の口元が少し緩んだ。
ケータイをポケットに戻し、和樹はこの時間を楽しむことに決めた。
――大好きなひとを待つという時間を。
「秋祭り?」
「うん!子供の頃はよく行ってたでしょ」
和樹の電話の相手は隣人のだった。子供の頃から家族ぐるみの付き合いがあり、年上のとはまるで姉弟のように育ってきた。
が一足先に社会人になってしまってから、なんとなく距離を置かれているような気がして和樹は寂しく思っていた。遊びに行こうと誘ってみても『仕事が忙しいから』と言われてしまえば、それ以上無理に誘うことはできない。
いつもはそこで諦めてしまうのだが、秋祭りにはどうしてもと一緒に行きたかった。
もし断られたらなんと言って説得しようかと和樹は一生懸命考えていたのだけれど、意外にもは和樹の誘いをあっさりと承諾してくれた。
「ホント!?ちゃん、一緒に行ってくれるの?」
ウソついてどうするの、とクスクス笑う声が聞こえてくる。ケータイから聞こえてくる柔らかな声音に、和樹は胸に温かなものが満ちてくるのを感じた。
「うん、久しぶりに行ってみたい。小さい時は毎年行ってたし」
「じゃあさ、おれ、何時にちゃんちに行ったらいい?」
「そうね・・・ね、神社の鳥居のところで待ち合わせしない?」
「待ち合わせ?」
「たまにはそういうのもいいでしょう?」
「わかった。じゃ、神社の鳥居のトコで待ってる」
電話を切ったあと、思い切り『ヤッター!』と叫んだ和樹は、近所迷惑だと母に叱られたのだった。
両親に手を引かれて歩いている小さな子供を見ていると、自分の小さな頃を思い出す。
ここは小さな神社だけれど、和樹が生まれるずっと前からあって地元の人には親しまれている。御神輿など派手な催し物はないけれど、神社の境内に夜店が連なって、それを目当てに地元の人たちが結構集まるのだ。
和樹も子供の頃は毎年来ていたのだが、ここしばらくは足が遠ざかっていた。
「懐かしいな・・・」
姉弟なのだろうか、浴衣姿の女の子が弟と思しき男の子の手を引いて、和樹の前を通り過ぎていく。勝手にどこかへ歩いてしまいそうになる弟の手をしっかり握って逃がさないように頑張っている女の子が可愛らしく思えて、和樹はクスクスと笑った。
「なに笑ってるの?」
「え?あ・・・!」
いきなり声をかけられて驚いて振り返ると、そこに居たのはもちろん、だった。
「わぁ・・・浴衣だ・・・」
現れたは、淡いピンク色になでしこ柄の可愛らしい浴衣姿だった。髪も小さくまとめられていて、いつもと雰囲気が違う。
「うわぁ、可愛いよ、ちゃんっ!すっごく似合ってる!!」
「あ、ありがと・・・」
「うん、すっごく可愛い!」
の浴衣姿をよく見ようというのか、和樹はぐるりとの周りを回った。
「か、和樹くんてば・・・!そんなに見られたら恥ずかしいじゃない」
の頬はほんのりとピンク色に染まっていた。
「あ、ゴ、ゴメン!でも、浴衣着てきてくれるなんて思ってなかったから、
なんか嬉しいな〜!」
ニコニコと笑う和樹に、も笑顔を返す。
「そんなに喜んでくれるなら、浴衣着た甲斐があったわ」
「小さい時は浴衣着てなかったっけ?」
「あれは親戚のお姉ちゃんのお下がり。今日着てる浴衣も
実は友達に借りたんだ」
「え、そうなの?」
「うん。だって、せっかくお祭に行くんだもん、浴衣着てみたくなっちゃって」
にこにこと笑うの笑顔に、和樹はドキドキする自分を感じた。
「じゃ、そろそろ行こうっか、和樹くん」
「う、うん」
――の隣にいるとドキドキすることに気づいたのはいつだったろうか。
「なんかデートしてるみたいだね〜」
カランコロン、との下駄が鳴る。
「っ!?え、ええーっ!?」
「え?なに?あたし、何かヘンなこと言った?」
和樹の驚き様に、の方が驚いたようだ。街は夕陽のオレンジ色に染まっていて、自分の赤く染まった頬をに見られずに済むことに和樹は感謝したい気持ちだった。
「い、いや、別に・・・ヘン・・・じゃないと思う」
「そういえば、和樹くんと出掛けるのって久しぶりだよね」
「うん、ちゃんてば、いつも『仕事で忙しいからゴメン』なんだもん」
むぅと口を尖らせてみせると、は笑ってゴメンと言った。
「ホントに忙しかったんだよ」
「でもさ・・・(ぐーきゅるるる)」
神社の境内に入ると、そろそろ人で混雑し始めた。夜店の数も多くなってきて、あちこちから食欲を刺激するような良い香りが漂ってくる。
「ぷっ!・・・まずは何か食べようか?」
「・・・・・・」
「ほら行こ、和樹くん!」
「うん!」
たこ焼きとやきそばで空腹をなだめてから、金魚すくいをしてみたり、ヨーヨー釣をしてみたりと、ふたりは楽しい時間を過ごした。
「ちゃん、せっかく金魚すくったのに、もらわなくて良かったの?」
「うん・・・もらっても良かったんだけどね」
和樹とは金魚すくいにチャレンジしたのだ。和樹は早々にポイを破ってしまったのだが、の方は何匹かすくうことができたのだった。
「もらって帰っても、すぐ死なせちゃいそうだし・・・」
「あー、おれ、覚えてる!」
「え?」
「昔、夜店ですくってきた金魚が次の日に死んじゃって、
ちゃん、大泣きしてなかったっけ?」
「・・・なんでそんなこと覚えてるのよ」
恥ずかしいのをごまかすためか和樹を睨んできたに、和樹はクスクスと笑った。
「だって、ちゃんはいつでもしっかりしたお姉ちゃんみたいだったのに、
その時だけはすごく泣いて、全然泣き止まなかったんだもん」
「もう〜!そんなこと、忘れてよ〜!」
「・・・ちゃんのことなら、全部覚えてるよ」
思いがけず静かな声音の和樹に、は思わず和樹の顔を見つめた。
「え?」
「なんでもないよ。あ、カキ氷食べようよ、ちゃん!」
「あ、うん・・・」
ふたりでお目当ての屋台に向かって歩き始めたのだが、そろそろ人通りが多くなってきてとはぐれそうになってしまう。
わたあめを食べているのか、幸せそうな顔で口をモグモグさせているを見て、和樹はくすっと笑った。
「なあに?」
「リスみたいだな、って思ったんだ」
「リス・・・?」
きょとんとしていただったが、和樹の言う意味がわかったのだろう。むぅとこちらを睨んでくる。
「もう、和樹くんてば!あたしが食べ過ぎだって言いたいの?」
「ち、違う!違うってば!」
冗談で殴るフリをしてくるの手を器用によけながら、和樹はいつまでもこの時間が続けばいいのにと思っていた。
――けれど、いつまでも続かないということも和樹にもわかっていた。少なくとも、今のままでは。
『幼なじみ』のままでなら、の傍にずっといられるかもしれない。でも、それではもう足りないのだ。和樹は自分の気持ちをに告げようと思い、今夜の秋祭りに誘ったのだった。残念ながら、全然そんな雰囲気ではないのだけれど。
「あのさ、ちゃん・・・」
「んー?」
「・・・はぐれたら困るから、手、つないでもいいかな?」
「あ・・・そうね・・・人、増えてきたもんね」
「うん・・・」
差し出された手はとても小さくて柔らかかった。強く握ったら、壊してしまいそうな気がした。和樹はドキドキしながら、その手を取った。
「和樹くん、手、大きいね・・・」
「え、そうかな?別に普通だと思うけど」
「小さい時は、あたしが手を引いてあげてたのになぁ・・・」
すこし寂しげに微笑んだに、和樹はドキリとする。
落ち着け、心臓・・・!
見慣れぬ浴衣姿のせいなのだろうか。それとも、結い上げた髪からこぼれる後れ毛のせいだろうか。いつものよりも艶っぽい雰囲気を感じてしまって、和樹はドキドキが止まらない。
「あ・・・!」
「へ?」
が短い声をあげて、いきなり駆け出した。小さな手がするりと抜け出していく。
「ちゃん・・・!?」
慌てて後を追いかけると、の姿はすぐに見つかった。が居たのは小さな露店の前だった。
「どうしたの、ちゃん?」
「あ、ゴメン、和樹くん」
「急に走り出したから、びっくりしちゃったよ」
「ゴメンね」
が居たのはアクセサリーと言っては語弊があるだろうか、小さな女の子向けのオモチャのお店だった。マンガのキャラクターがつけていそうな髪飾りや、ビーズのネックレスや指輪が置いてある店だった。
「それ、指輪・・・?」
「うん、そう」
が手にとって見ていたのは、ガラス玉のついたオモチャの指輪だった。赤い色をしているのはルビーを模しているのだろうか。
「小さい時、すっごく欲しかったんだよね・・・」
「ふぅ〜ん」
和樹の気のない返事に、はちょっとムッとした様子だった。
「あのね、ちゃんと覚えておきなさいよ?
女の子にとって『指輪』は特別なアイテムなの!」
「へ?」
「好きなヒトから貰えるなら、こんなオモチャの指輪でも
とっても嬉しいんだから・・・」
オモチャの指輪を見つめるの横顔は、どこか泣き出しそうに見えた。和樹は、心の柔らかな部分をぎゅっと掴まれたような気がした。
「おじさん、それいくら?」
和樹は夜店の主人にお金を払うと、の腕を掴んだ。
「和樹くん、急にどうしたの?」
和樹がを連れていったのは、神社の森を少し入ったところだった。祭の喧騒は遠く、とても静かな場所だった。
「ちゃん・・・」
「ん・・・?」
こちらを向いた和樹はどこか緊張しているように見え、は首をかしげた。
「ちゃん・・・コレ、もう一回もらってくれる?」
和樹が差し出したのは、先ほどのオモチャの指輪・・・。夕陽に照らされてガラス玉が光ったような気がした。
「もう一回って・・・和樹くん、覚えてたんだ・・・」
目を見開いて驚いたように言うに、和樹はちょっと困ったような笑みを浮かべた。
「そりゃ覚えてるよ。だって・・・人生初の『プロポーズ』だったし。
ガキだったから、『けっこん』の意味なんてわかってなかったと思うんだけど・・・。
でも、『けっこん』したら、ちゃんとずっと一緒にいられると思ったんだ」
「和樹くん・・・」
三歳だったか、四歳だったか、記憶は定かでない。けれど、小さかった和樹はに夜店で買ったオモチャの指輪を渡して『けっこんしてください!』と言ったのだった。
「ちゃんからしたら、おれなんかガキかもしれないけど・・・。
おれ、ちゃんとずっと一緒に居たいんだ。ただの『幼なじみ』じゃなくて」
「和樹くん・・・」
自分はきっと耳まで真っ赤になっているだろうと和樹は思った。少し薄暗いのがありがたい。
本当のところ、帰りにを家まで送っていったときに告白しようと思っていたのだ。返事は待つから、と言うつもりで・・・。
まだ高校生の自分は、にしてみたら子供っぽくて弟のようにしか思えないだろう。けれど、自分の気持ちを知ってもらって、自分のことを『弟』ではなく『男』として意識して欲しかったのだ。
「すぐに返事してくれなくてもいいから・・・」
うつむいたままで何も言わないに、和樹はダメなのかもしれないと不安を覚えながら、差し出した手を下ろそうとした。
「ううん、今、返事する」
「っ!?」
パッと勢いよく顔をあげたに和樹は驚いた。そんな和樹の前に、はスッと左手を差し出した。
「あ・・・?ええっ!?」
慌てふためいている和樹を見て、はくすっと笑った。
「はめてくれないの?」
「・・・いいの?」
「うん」
ちょっと照れくさそうに微笑んだを見て、和樹はカァッと体温が上がるような気がした。
これ以上ないくらいにドキドキしながら、和樹はの左手を取って、薬指にオモチャの指輪をはめようとした。
「・・・アレ?」
夜店のオモチャの指輪は子供用なのかサイズが小さく、の薬指の第一関節の辺りで止まってしまった。
「ええ?!あれ、ゴ、ゴメン、ちゃん・・・!?」
予想外の出来事にワタワタしている和樹に、はぷっと吹き出した。
「仕方ないよ、和樹くん。だってコレ、子供用だもん」
「うわ〜、おれって・・・ダメな奴・・・」
一世一代の告白をして、しかもうまくいったというのに、ツメが甘い自分に和樹はガックリとうなだれた。
「でも、ありがとう、和樹くん。ホントに嬉しい・・・」
「ちゃん・・・」
左手の薬指の第一関節で止まってしまったオモチャの指輪を、は愛しそうに見つめた。
「最初にもらった指輪もね、ちゃんと取ってあるんだよ」
「ホントに?!」
「うん・・・。だって、すっごく嬉しかったんだもん」
和樹は照れくさそうに頭をかいた。まさか、が持っていてくれていたとは思わなかったのだ。
「コレ、小指だったら入るかも・・・?」
が薬指の指輪を抜こうとすると、和樹は慌てて言った。
「ダメだよ、ちゃん・・・!」
「へ?」
「外しちゃダメ!」
和樹はむぅと口を尖らせた。その表情は子供っぽくて、は思わず笑ってしまう。
「・・・今度はちゃんとしたの、用意するから」
「期待してる」
「えっ!?あんまり期待されても・・・」
「じゃ、期待しない」
「う〜ん、それも・・・なんかフクザツ」
ふたりはクスクス笑いながら、どちらからともなく手をつないだ。
「行こうっか」
「うん!」
ね、約束して?
キミが薬指にはめていいのは、おれがあげる指輪だけだからね!
【あとがき】
ネオロマ企画投稿作品。
記念すべき100題めの創作でございました!
あらすじだけ考えてキャラを決めていなかったのですが、最終的に火原っちに決定。
ネオロマ企画・・・書きまくりましたねぇ(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2007年9月23日