蝙蝠
「こんにちは、さん」
「あら久しぶりね、カブトくん」
ここは木の葉の里にある薬問屋。必要な薬草を注文して、医療上忍のは会計を待っているところだった。
「今回は長い任務だったんですね」
「ええ、そう。わたしにすれば、だけどね」
はこの1ヶ月ほど、任務で里を留守にしていた。普段なら長くても1週間程度の任務しか受けないのだが、今回は急な任務で他に適切な人員が見つからず、仕方なく任務を受けたのだった。
「任務の間、妹さんはどうしていたんです?」
「親戚の家に無理を言って預かってもらったのよ。でも、もう大変!
わたしが帰ってきた途端にくっついて離れようとしないの」
困ったような口調で言っているが、その表情は『妹が可愛くて仕方がない』と言っているようなものだった。
たちの両親は数年前に相次いで流行り病に倒れ、今はが幼い妹の面倒を見ていた。
「カゼでも引いたんですか?」
「妹がね。咳が止まらないのよ」
が買った品物の伝票をカブトは見たらしい。材料をちらっと見ただけで、何の薬を作ろうとしているのかわかるほどの知識を持っているのに、いつまで経っても下忍のままのカブトが、には不思議でならなかった。
「ああ、コレは煎じるとよく効きますが、ちょっと妹さんには苦いかもしれませんね」
カウンターにどんどん積まれていく薬草のひとつを手にとって、カブトはそう言った。
「ええ、そうね。嫌がって飲んでくれないかもしれないわね」
ふぅ、とはため息をついた。困った様子のに、カブトは優しげな笑みを浮かべた。
「何か甘いものに混ぜてはいかがですか?匂いはきつくありませんから、甘くすれば
飲んでくれるかもしれませんよ」
「そうね、やってみるわ。ありがとう、カブトくん」
そう言って、はにっこりした。
「い、いえ、ボクは別に・・・」
ちょっと照れくさそうに顔を背けたカブトを、はクスリと笑った。
「じゃぁね、カブトくん。またね」
会計を済ませたは、たくさんの薬草を抱えて店を出たのだった。
「さーん!」
妹の待つ自宅へと急いでいたを呼び止める声が聞こえた。
「カブトくん・・・?」
「よ、良かった、追いついて」
慌てて追いかけてきたのか、カブトはちょっと息を切らせていた。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「コレ・・・妹さんにと思って」
カブトが懐から取り出したのは小さなガラスの瓶。中には、なにかオレンジ色のものが詰まっている。
「なぁに、これ?」
「柚子茶ですよ」
「柚子茶?」
柚子をハチミツで漬けたものだ、とカブトは説明した。湯に溶かして飲むのだが、身体が温まるという。
「かなり甘いですから、さっきの薬と混ぜてあげればいいかと」
「ありがとう!妹もきっと喜ぶわ」
はカブトよりも年上だが、その笑顔は子供のようだ、とカブトは思った。
素直で明るくて、他人を疑うことなど知らないようにさえ見える。
色に例えるのなら、は『白』だろう。
一片の曇りもないような『完全な白』――その白さはいつまで続くのだろう・・・?
数日後、の妹が死んだことをカブトは人づてに聞いた。
風邪の症状によく似ているが、風邪とは違う珍しい病だったらしい。気づいたときにはもう手遅れで、幼い妹の命が消えていくのを、は黙ってみているしかなかった。
仮にも『医療上忍』であるが救えなかった命。それが最愛の妹だとしたら・・・。
戻るべき場所――翼を休める宿り木を失った小鳥はどうするのだろう?
力尽きて地に堕ちるまで、羽ばたき続けるのだろうか・・・?
カブトはそぼ降る雨の中、霊園へと出かけた。
冷たい雨が降りしきる中、霊園を訪れる人影はなかった。
・・・いや、たった一人だけ居た。
どれくらい長い時間、彼女はそこに居たのだろう?
髪も服もぐっしょりと濡れ、死人のような顔色をしていた。
数日前に出会ったとはまるで別人だった。
ほんのりと桜色に染まった頬も淡い朱色をのせたくちびるも、色を失くしていた。
黒曜石のように輝いていた瞳はすっかり光を失い、生きながら死んでいるかのように見えた。
「風邪を引きますよ」
小さな墓石の前に立ち尽くすに、カブトは傘をさしかけた。
雨が止んだと思ったのか、がぼんやりと顔を上げた。そして初めて、カブトの存在に気づいたらしい。
「・・・カブトくん・・・?」
ぼんやりと焦点のあっていない瞳が、ようやくカブトの姿を映した。
「そんなにびしょ濡れになって・・・。あなたの方が病気になってしまいますよ」
「いいのよ、わたしは・・・」
は今にも儚く消え去ってしまいそうに見えた。
「だめですよ。あなたがそんな状態でどうするんです?妹さんだって、きっと心配を・・・」
カブトの口から『妹』という言葉が出た瞬間、がキッとカブトを睨みつけた。
「あの子は死んでしまったのよ!まだ・・・まだ十にもならなかったのに!」
「・・・」
「わたしが・・・わたしが殺したようなものよ!もっと早くあの子の病気に気づいていれば・・・!」
冷たい雨の中でも、の頬を伝う涙がカブトには見えた。
「・・・自分で自分が許せない・・・」
は仮にも医療に携わる人間だ。その自分が最愛の妹の病を見過ごしてしまったのだ。
行き場のない怒りと悔しさと・・・はそれに押しつぶされてしまいそうだった。
「・・・もう一度、逢いたいですか?」
「・・・え?」
「あなたが望めば、もう一度妹さんに逢うことができますよ」
カブトはそう言って、彼の癖なのか中指で眼鏡のフレームを押し上げた。
「何を馬鹿な・・・」
呆れたようなに、カブトはフッと微笑んで見せた。
「もちろんタダとはいきません。ある御方への忠誠と、ボクには貴女を・・・」
「・・・っ?!」
「貴女自身と引き換えに、愛しい妹が黄泉路から還ってくる・・・。どうです、悪い取引じゃないでしょう?」
今、自分の目の前に立つ青年は誰なのだろう・・・?
は信じられない思いで、カブトを見つめた。
いつも穏やかで優しそうな雰囲気のカブト・・・。だが、今自分の目の前に居るのは酷薄な笑みを浮かべた青年だ。
「そんなこと、信じられるわけがないわ・・・」
「信じるも信じないも、あなたの勝手です。ただ、大きなチャンスを逃すことになりますがね」
・・・本当にそうなのだろうか・・・?
深い悲しみに傷ついたの心は、藁をもつかみたい状態だった。
そんなの心に、カブトの声は甘い毒となって注ぎ込まれる・・・。
「『あの御方』って誰?」
カブトは心のうちで、ニヤリとほくそえんだ。
「それを聞いてしまったら、貴女はもう戻れない」
どこへ、とは言わない。
この申し出に頷いてしまったら、自分はもう戻れなくなる――それだけはわかっていた。
けれど、もう一度あの子に逢えるのなら、もう一度あの子をこの腕の中に取り戻せるのなら。
「教えてちょうだい」
カブトの囁く甘い毒には逆らえなかった。
の耳元で、カブトはその名を囁いた。瞬間、ギョッとしたようにが目を見開いた。
「・・・ウソだわ」
「いいえ、ウソではありませんよ。あの御方なら、あなたの可愛い妹を甦らせることができる」
ウソだ・・・。死んだ人間を生き返らせるなんてこと、誰にも、神様にだって不可能なのだ。
頭ではわかっているのに、嫌というほど理解しているのに、感情はいうことをきかない。
ああ、でも・・・あの『伝説の三忍』と言われたあの人なら・・・。
「・・・わかったわ。あの子に逢わせて」
口が勝手に動いていた。カブトは冷ややかな笑みを浮かべた。
――真っ白な小鳥は、カブトの手のうちに堕ちた。
「あなたがずっと欲しかったんですよ」
カブトはの冷たい頬へ手を伸ばした。
そっと親指で滑らかな頬をなぞってみる。カブトの触れた場所を水滴が伝って流れた。
指を滑らせて、のあごをクイと持ち上げた。
「こういう時は瞳を閉じていただけると、嬉しいんですが」
は言われるがままに、ゆっくりと瞳を閉じた。
そっと重なったくちびるは氷のように冷たく、雨の味がした。
「今のあなたの方が素敵ですよ・・・」
は何も答えない。その表情には感情というものが欠落していた。
そう・・・それでいい。
貴女の過去も未来も、そして現在も、すべてボクのもの。
この冷たいくちびるが熱くなって溶けるまで、貴女に何度でもくちづけよう。
小鳥は地に堕ちて、その翼は闇色へと染まっていく。
――白い小鳥はもういない。
漆黒の翼を羽ばたかせて、夜の闇を往こう。
夜を往く風は、今の貴女には優しいはずだから・・・。
【あとがき】
『薬師カブト生誕祭』さまに投稿させていただいた創作です。
わたしにしては結構ブラックな感じかも・・・?
ポルノグラフティの曲からイメージして書きました。素敵な曲なので、聴いてみてくださいね。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2005年3月1日