可愛いひと。
――わたしの彼、とっても『美人』なんです。
「どうかしましたか?」
「えっ?」
綺麗に盛りつけられたオードブルの皿をぼんやりと見つめていたわたしは、向かいに座る彼から声をかけられてびくっとなった。
「さきほどから食が進んでいないようですが、どこか体調でも?」
「あ・・・い、いいえ、大丈夫です。
あんまり綺麗だから、崩しちゃうのがもったいないな〜と思っちゃって」
慌ててフォークを握りなおし、オマール海老をぐいと突き刺して口へ運んだ。もぐもぐと口を動かす。
「おいしいですか?」
「はい、とっても」
正直、味なんてわからない。
「よかった。こちらのパテもおいしいですよ」
そう言って、彼――衣笠正次郎――が微笑んだ瞬間、レストラン中に声にならないどよめきが走った。
衣笠先生――つい『先生』と呼んでしまうのだけれど――との出会いは、弟の三者面談だった。
わたしの弟は聖帝学園に通っていて、その担任が衣笠先生なのだ。忙しい両親に代わって放課後の教室を訪れたわたしを出迎えたのは、にこやかに微笑む、とても『美人』な彼だった。
「では、これからよろしくお願いしますね、さん?」
「ハイ・・・」
「ね、ねーちゃんっ!?」
隣で弟が顔面蒼白になって悲鳴をあげていたけれど、わたしは全然気にならなかった。というよりも、何が起きたのかまったく理解できていなかったというのが正しい。
「そういう訳ですから、東雲くん?
僕のことは『お義兄さん』と呼んでくれてかまいませんよ。
ああ、もちろん学校以外で、ですよ」
「・・・・・・」
にこやかに微笑む衣笠先生に、わたしの弟は口をパクパクしているだけだった。
――三者面談にきて『恋人』をみつけるなんて、わたしくらいのものじゃないかしら?
「――出ましょうか?」
「え?でも、まだ・・・」
ようやくメインディッシュの牛フィレのステーキを片付けたところだった。たぶん、とても高級なのだろうけど、全然味なんてわからないままだった。
わたしが戸惑っていると、衣笠先生は優雅にナプキンで口元をぬぐい、微笑んだ。
「デザートならテイクアウトにしてもらいましたから大丈夫ですよ。
さ、帰りましょう、さん?」
わたしは抗うこともできないまま、衣笠先生に連れられてレストランを後にした。
帰りのタクシーに乗って、ようやくわたしはほっとため息をもらした。衣笠先生は全然気にならないようだったけど、わたしは周囲の視線が痛くてたまらなかったのだ。
運転手さんがちらちらとバックミラーを見ていることには気づいていたけれど、目を閉じてしまえば気にならない。
わたしは何度か、衣笠先生が誘ってくれて一緒に出かけたことがあった。まぁ、いわゆるデートなのだと思う。
けれど、そのたびにわたしは緊張でくたくたになっていた。
もちろん衣笠先生はとっても素敵で、わたしはドキドキして、緊張してしまうというのはある。けれど、なによりもわたしを緊張させるのは周囲の視線なのだ。
とっても『美人』な衣笠先生は注目の的・・・。
そんな衣笠先生の隣を歩いているわたしの身にもなってほしい。衣笠先生がにこやかに話しかけてくれるたび、周囲から突き刺さるような嫉妬の視線を感じるのだから。
わたしだって、そんなに酷くない・・・と思う。まぁ十人並みの容貌、ってとこ。
そんなごくごくフツーのわたしと、とっても『美人』な衣笠先生――端的にいえば『つりあわない』のだと思う。
さすがに正面からそんなことを言ってくるヒトはいないけれど、彼らの視線がそう言っている気がしてならないのだ。だから、衣笠先生と出掛けているときは、失敗しないように、彼らに揚げ足を取られないように、と気を使ってくたくたになってしまう。
だから、こうして人の少ない場所――いまはタクシーの中だ――にくると、ホッとしてしまう。
なんだかすごく眠いや・・・。ワイン、飲みすぎちゃったかな?
周囲の視線になんだか落ち着かなくて、会話の途切れがちだったわたしは間がもたなくて、ついついワイングラスに手を伸ばしていたのだ。
暖房のきいたタクシーの中、静かに流れる音楽を聴きながら、わたしは忍び寄る睡魔に身を任せていた。
着きましたよ、と優しく肩をゆさぶられて、わたしはバッと飛び起きた。
「ご、ごめんなさい!わたし、寝ちゃってました?!」
「ふふっ、大丈夫ですよ。とっても可愛らしい寝顔でしたよ?」
「っ?!」
カァーッと頬が熱くなるのが自分でもわかった。慌ててコートとバッグを掴んでタクシーから降りる。
車外の身を切るような冷たい空気に、わずかに残っていた眠気も吹き飛んだ。ぶるっと冷気に身を震わせると、衣笠先生がわたしのコートを取って着せ掛けてくれた。
「ありがとうございます」
「いいえ。あなたに風邪なんか引かせたら、
東雲くんに叱られてしまいますからね」
「そんなこと・・・え?あれ?」
わたしたちがタクシーを降りたのは小奇麗なマンションの前だった。てっきり、わたしを自宅まで送り届けてくれたもの思っていたので、わたしは驚きの声をあげてしまったのだ。
「さ、どうぞ?」
背中を軽く押され、わたしは何も聞くことができないまま、そのマンションの一室へと案内された。
「ここのチョコレートケーキはおいしいんですよ?」
「は、はぁ・・・」
どうやらここは衣笠先生の自宅らしかった。
たしかにちょっと高級そうなマンションだったけれど、予想を裏切って結構普通な雰囲気だったので、わたしは明らかにホッとしていた。
だって・・・衣笠先生って、いったいどんなところに住んでいるのか想像がつかなかったんだもん。
わたしという連れがいるにもかかわらず、街を歩いていると、いろんな人から声をかけられたり、プレゼントを渡されたりするのよ?
弟が言うには、衣笠先生はもちろん学校でも人気があって、女子生徒からかわいい小物とかお菓子とかいろいろ貰っているらしい。でもまぁ相手はお金持ちとはいえ学生だから、まだ許容範囲だと思う。
でも、街中で渡されるプレゼントはそんな可愛らしいものではなかった。
誰でも知っているような高級ブランドの包みや、豪華な薔薇の花束やら・・・。いったいいくらなんだ?!と言いたくなるような品物ばかり。
あるとき、ふと尋ねてみたことがあった。いままで貰ったプレゼントの中で一番すごいものって何ですか、って。
すると、衣笠先生はちょっと困ったように微笑んだ。
「えと・・・それは・・島、ですかねぇ?」
「し、島っ?!」
「いただいたのは良かったんですが、あとの法的な手続きやらなんやらが
結構面倒で、大変でしたね」
「・・・島ですか」
そんな会話をしたことがあったわたしは、衣笠先生なら豪華なお屋敷をプレゼントされていてもおかしくないと思い込んでいたのだ。だから、衣笠先生の住まいがウチと変わらないような普通のマンションでちょっぴり嬉しかったのだ。
壁一面の書棚には古い洋書がきっちり詰まっている。タイトルぐらいなら読めるかと思ったけれど、見たことのない単語ばかりで意味がわからない。反対側の壁には飾り棚があって、なにやら怪しげな仮面やらキラキラ光る鉱石の塊が飾られている。
これもプレゼントなのかしら?もう見ないほうがいいかもしれない・・・。
「コーヒーでいいですか?」
「あ、わたしが・・・」
室内をキョロキョロ見回していたわたしは、慌ててオープンキッチンの方へと歩いていった。
コーヒーメーカーのスイッチをいれ、チョコレートケーキを衣笠先生がケーキ皿に載せていた。どうやら、
さきほどのレストランでテイクアウトにしてもらったデザートを一緒に食べようということらしい。
「では、コーヒーカップを出していただけますか?」
「はい」
何気なく食器棚の扉をあけたわたしは息を飲んだ。
なにこれ・・・!?
「ああ、どれでもさんの好きなのを選んでくださいね」
「は、はぁ・・・」
ちなみにわたしはこういった陶磁器にはまったく詳しくない。でも、そんなわたしにもわかるくらいのすごい品ばかりがずらりと並んでいた。
「す、すご・・・」
どのカップも繊細な絵付けが施されていて、金で縁取りがされている。たぶん、職人さんの一点ものとかいうもののような気がする。
「どれも頂き物なんですよ?」
ヒョイと衣笠先生がそれを手に取るものだから、わたしは驚いて息を呑んだ。だって、どう考えても実用的なものではなくて、観賞用に思えたからだ。使ったあとにそのカップをスポンジで洗うなんて、考えただけで恐ろしい。
「あ、あの・・・もっと普段使いのものが・・・」
「ぼくは普段から使っていますよ?」
「・・・・・・」
きっとそのカップの一客で、わたしのお給料が吹き飛んでしまいそうな気がする。もしかしたら、それ以上かもしれない。
「じゃ・・・それで」
「では、ぼくはコーヒーを持っていくので、さきにリビングにケーキを持っていってくれますか?」
「はい」
ちょっと装飾華美かなと思う絵皿に、ちょこんとおいしそうなケーキが載っている。このお皿もきっと高いに違いない。
転んだりしないように気をつけて、リビングのローテーブルにお皿を置くとホッとした。何もないところでつまずいちゃったりするのよね、わたしったら。
「適当に座ってくださいね」
「はい」
コーヒーのよい香りとともに衣笠先生が戻ってきて、わたしはソファに腰掛けた。
「はい、どうぞ?」
「ありがとうございます」
カップを受け取り、その香りを吸い込むとホッとする。そのとき、ソファがきしむ音がした。
「き、衣笠先生?!」
「ん?どうかしましたか?」
驚くくらい近くに衣笠先生が座っていて、ドキッとする。
「あ、あの・・・ちょっと近いような・・・気が」
「そうですか?」
にこっと綺麗な笑顔を向けられて、それ以上言葉が続けられない。
そういえばふたりっきりなんだよね・・・。
ようやくそのことに思い至ったわたしは、急に心臓がドキドキし始めて、顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「ふふっ、さんは本当にわかりやすいですね?」
「えっ?ええと・・・?」
くすくすと衣笠先生は楽しそうに笑っている。でも、その微笑がちょっとイジワルっぽく感じるのは気のせいだろうか?
「あなたくらい素直で人を疑うことを知らない方は初めてですよ」
「・・・」
どうにも褒められているような気がしない。わたしが複雑そうな顔をしたので、衣笠先生はまた笑った。
「ふふっ、もちろんいい意味で言ってるんですよ?
だから、ぼくみたいなのに引っかかってしまうんでしょうね」
「ハ・・・?」
衣笠先生の言葉の意味がよくわからない。きょとんとしているわたしの頬に衣笠先生の白い手が伸びてきて、思わずびくりと震えた。
「おいしいケーキがあると誘われても、ぼく以外の人間についていっては
ダメですよ?」
子供を叱るように『めっ』とされたので、わたしは子供扱いされたような気がして唇を尖らせた。
「わたし、そんなに子供じゃありません」
「子供じゃないから心配なんですが・・・」
衣笠先生はちょっと困ったように肩をすくめた。
「いつまでも唇を尖らせていると、キスしたくなって困ってしまいますね?」
「っ!?」
あっと思う間もなく、その腕の中に抱き寄せられる。衣笠先生は柔和な雰囲気だけれど、その力強さにやっぱり男の人なんだと思った。
「あ、あの、衣笠先生・・・っ?!」
「――こんなに素直で可愛らしいのに、キミはイジワルですね?」
「え!?」
「ぼくはいつまで『衣笠先生』なんです?」
今度は衣笠先生のほうが唇を尖らせた。ちょっと拗ねたように唇を尖らせても、『美人』はやっぱり『美人』だった。そんなことをぼんやりと頭の片隅で思う。
「えっと、じゃあ、き、衣笠さ・・・ん・・・?」
衣笠先生の眉間の皺が1本増えた。
う、うわぁ〜!『美人』の怒った顔って怖いよー!!
「そうじゃないでしょう、さん?ぼくに意地悪しているんですか?」
「ち、違っ・・・し、正次郎さん?」
照れくさいのを我慢して、恐る恐るその表情を伺いながら、下の名前を呼んでみた。カァッと自分の頬が熱をもっているのがわかる。
「はい、なんですか、さん?」
衣笠先生の表情がほっと緩んで、わたしも胸をなでおろした。
「ご、ごめんなさい・・・なんだか恥ずかしくて」
「ふふっ、いいんですよ?
でも、これからは下の名前を呼んでくださいね?」
「ハイ・・・」
と答えたものの、まだ抱き締められたままで恥ずかしくてたまらない。
「あ、あの、そろそろ離してもらえませんか・・・?」
せっかくのコーヒーが冷めてしまう。だから、思い切ってそう言ってみたのだけれど、衣笠先生・・・じゃなかった、正次郎さんは腕を緩めてはくれなかった。
「ふふっ、ぼく、自分で思っていたよりも『独占欲』が強いみたいです」
正次郎さんの甘いコロンの香りにくらくらと眩暈がするような気がした。
「こんな風に誰かにずっと傍にいてほしいと思うなんて初めてです」
「わ、わたし・・・」
「さんと一緒にいると、新しい自分を発見できて新鮮ですよ。
だから、ずっとぼくの傍に居てくださいね?」
耳元で囁かれた声に、わたしは涙が溢れてきた。
「おやおや、どうしたんです?
何かぼくはさんの機嫌を損ねるようなことを言ってしまいましたか?」
心配げな正次郎さんに、わたしはふるふると首を横に振った。
「だって・・・わたし、正次郎さんの隣に居てもいいのかなって
ずっと思ってたから・・・」
「それを決めるのは他の誰でもなく、ぼくとさんですよ?」
わたしと正次郎さんじゃつりあわない――誰よりもそう思い込んでいたのはわたし自身だった。
決めるのはわたしたちなんだ・・・。
涙の止まらなくなったわたしに、正次郎さんはちょっと困ったように微笑んだ。
「泣き顔も可愛らしいですが、やっぱりぼくは笑っている顔のほうが好きですよ?」
そう言うと、正次郎さんはキスでわたしの涙を吸い取った。
「っ?!」
「それにぼくはそう簡単にさんを離す気はありませんから。
ふふっ、覚悟しておいてくださいね?」
とっても『美人』な彼の微笑みに、悪寒が走ったのはどうしてだろう・・・?
【あとがき】
こっそり運営していた(過去形ではなく現在進行形だった・・・)
ビタミンX創作サイトにアップしている創作です。
キヌさんのブラックさにやられました(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2008年5月10日