七 夕




カカシは夕暮れの中、自宅へとテクテク歩いていた。正直、足取りは軽くはない。
急に飛び込んできた任務、しかも3日間で終わる予定が2週間にも伸び・・・。
普段ならある程度の準備というか片付けをして家を後にするのだが、今回はその余裕がなかった。
3日間程度なら大丈夫だろうと思っていたが、あっという間に2週間が経過しており、この夏場に冷蔵庫の中身がどうなっているのか、あまり考えたくはなかった。
そのうえ2週間締め切ったままの家――快適であろうはずがなかった。
泥と汗にまみれた自分の体臭が、さらに気分を滅入らせてくれる。
片付けは後回しにして、さっと風呂に入って飲みにでも行くか、とカカシは思った。


懐かしの我が家が見えてきた。
「あれ?」
誰も居ないはずの家に、人の気配を感じる。それはカカシのよく見知った気配で、家主の留守に勝手に上がりこむような人間は、幼馴染の以外にいなかった。
「オイ、ー?ただいまー」
玄関を開けて、中に入る。想像していたようなこもった熱気は感じず、が換気してくれていたのだとわかる。
声をかけてみるけれど、返事はない。
「オーイ?」
台所には姿がなく、居間をのぞいてみると、取りこまれた洗濯物が積まれたままになっている。
「ん?」
ふと思い立って寝室をのぞいてみると、探し人はカカシのベッドですやすやと眠っていた。
おそらく干した布団を持ってきて、そのフカフカさに負けて、つい横になったのだろうと思われた。
「起きて、?」
声をかけてみるが、起きる気配はない。横向きに膝をちょっと丸めて小さくなって眠っている。
ピッタリとした白いコットンのTシャツとデニムのミニスカートという夏らしいスタイルなのだが、ミニスカートからのぞくすらりとした長い足や、Tシャツを押し上げている胸のふくらみはカカシにとって目の毒というしかなかった。
「コラ、起きろよ」
「・・・んん・・」
起きないと襲っちゃうぞ、と内心で呟きつつ、の鼻をキュとつまむ。
「ふがっ?!」
息苦しくなったのか、がぼんやりと目を開けた。まだ半分眠っているのか、ふにゃっと笑顔を浮かべて、
「おかえり、カカシ」
と言った。
「ただいま」
と言いつつ、カカシはベッドの空いている場所へ腰を下ろす。
「オマエねぇ、入ってきたのがオレ以外のヤツだったどーするの?一応、忍者なんだからさ」
「失礼ねぇ。一応って何よ!」
は、カカシと同じく木の葉の里の上忍であった。
「大丈夫よ、カカシ以外の気配なら瞬殺してるし」
「あっそ」
オレは警戒対象外なワケね・・・。
自分だけが特別の存在のような、しかしオトコとして警戒されないのはどうなのか、とカカシの胸中は複雑である。
よっ、と起き上がったは、いきなり叫んだ。
「ちょっと、ヤダッ!」
「ん?」
「汗臭ーいッ!汚い!きちゃなーいッ!!」
「失礼だなー。確かにちょっと汚れてるけどさ」
「いやーっ!そんな格好でベッドに座らないでよ!せっかく洗濯したのに〜」
ぶぅぶぅ言いながら、カカシを足で蹴落とそうとする。
ってば、ヒドッ!」
その華奢な足首を掴んで押し倒してやろうか、などと危険な思考がチラリと脳裏をよぎる。
しかし、はそんなカカシの思考など思いもよらないのか、さらにグイグイと両足でカカシの背を押す。
「もぉーっ!さっさとお風呂入ってきてよ!」
「あー、ハイハイ」
「着替えも置いてあるからね」
「ハイハイ」
「返事は一回!」
「ハーイ」
大人しくカカシは風呂場へ向かう。そして、ふと気づいたように言った。
「そういえば、?なんで、今日オレが帰ってくること知ってたの?」
「三代目さまが教えてくれたもん」
「・・・三代目ねぇ」
任務の結果報告と里に戻る予定を忍犬を使って三代目に知らせたのだが。
相変わらず、三代目はに甘いんだから・・・。機密もなにもあったもんじゃない。
カカシは小さくため息をついて、額宛を外した。


ぬるめのお湯はカカシの好みにピッタリだった。ゆったりと浸かって、2週間の疲れを癒す。
こうなると、三代目がにカカシの予定を知らせてくれていたことに感謝したくなる。
熱のこもった、閉めきった部屋に任務明けに戻ってくるなど、あまり想像したくない。
「ふぅ・・・それにしても、そろそろ限界だな」
脳裏にの無防備な寝姿が浮かぶ。思わず反応しそうになって、慌ててぷるぷると頭を振った。
「やっぱ、カンペキに『幼馴染のお兄ちゃん』なワケね、オレってば」
幼い頃からずっと一緒にいて、自分の一番近くにいる異性だと意識した時には、もうすっかり『幼馴染』の関係が確立してしまっていて・・・。
その壁を越えて一歩も二歩も近づきたいと思うのだが、あまりにも無防備で無邪気なの信頼がその気持ちを萎えさせる。そのうえ、カカシにはずっと昔に立てた誓いがあった。
を必ずしあわせにすること』
カカシは、かつてを失いそうになったことがあった・・・。


可愛い女の子だった。
気立てもよく、忍びの才にも優れたは、四代目のお気に入りだった。優しすぎるその気性が難といえば難だったか。
『カカシとトレードしたいくらいだね』
が下忍となったとき、四代目は冗談とも本気ともとれるようなコトを言っていた。
今になって思えば、嫉妬していたのだろうと思う。四代目と一緒のを見ると、やけにイライラした。
身寄りのいないも、兄のように父のように四代目を慕っていたし・・・。
――それが一変したのは、あの日。
四代目が逝ってしまったあの日を境に、は泣きもせず笑いもせず、心を無くしてしまった。
まるで、四代目がを連れていってしまったように。
あの頃ののことは思い出したくない。まるで、生きた美しい人形のような・・・。
『お願い、先生。を連れて行ってしまわないで』
あんなに何かを強く願ったことはなかった。願いが叶うのであれば、悪魔にだって祈りたい気持ちだった。
ようやくが戻ってきたのは一年後――何も映さなかった瞳がカカシの姿を捉えた。
そのとき、カカシは決めたのだ。何があっても必ずを幸せにしよう、と・・・。


あれから何年経ったのだろう?
カカシは親代わり兄代わりとして、をずっと見守ってきた。
そのことをつらいだとか面倒だとか思ったことは一度もなかったけれど、成長するにつれどんどん美しくなっていくは、カカシの心を魅了してやまなかった。
一夜限りの火遊びのような恋なら、何度もした。愛せるかもしれない、と思った女もいた。
けれど、結局はうまくいかない。
『あなたは、わたしを見ていない』
確かにそうだ。カカシは、だけを見ているのだから・・・。
のしあわせを願う気持ちに嘘はない。だが、それが自分以外の誰かのモノになることだというのなら、嫉妬してしまう自分がいるのも確かだ。
いつまでも自分の腕の中に閉じ込めておきたい。けれど、愛する人を見つけてしあわせになって欲しい。
相反する気持ちの中でカカシは揺れ動き、身動きとれない状態に陥っていた。
「いくら考えても答えはでない、か・・・」
そろそろ上がらないと湯あたりしそうだ。ちゃぷんと水音を立てて風呂から上がり、の用意してくれていた下着を身に着ける。
「ん?」
見慣れないそれは、浴衣だった。
濃紺のあっさりした縞柄のそれは麻でできており、ほてった身体にさらさらとして気持ちよかった。
いささか地味な色合いだったが、上背のあるカカシには派手な柄よりもかえってよく映えた。
髪を拭きながら、居間へ行くと部屋は薄暗かった。いつの間にか陽は沈んでいた。
?」
「こっちー!」
庭に面した奥の和室からの声が聞こえた。
「もう!なかなか出てこないから、お風呂で溺れちゃったのかと思ったわよ」
カカシが風呂に入っている間に一雨きたのだろうか。縁側の開け放たれた窓からは、ひんやりと涼しい風が吹き込んでいた。
「今日は、こっちでゴハンにしよ」
そういうもいつ着替えたのか、白地に撫子の柄の浴衣をきていた。いつもは下ろしている髪も結い上げていて、ほっそりとしたうなじの後れ毛が艶かしい。
「はい、ビール!」
「ありがと」
カカシが縁側に腰を下ろすと、が次々と料理を運んできた。
「なんか、今日は豪華だね〜?」
「そりゃ2週間ぶりのご帰還ですもの。それに今夜は七夕だから、天の川でも見ながら飲むのもいいかと思って」
「ああ、そうか・・・。今夜は七夕か」
そういえば、短冊のついた笹が飾られている。何気なく手に取った短冊にはこう書かれていた。
『カカシ先生が遅刻しませんように』
クスクス笑いながら、がなすの煮びたしの皿を渡す。
「それ、ナルトくんたちが持ってきてくれたのよ」
「それにしても、なんて願いごと書くかねぇ・・・」
「その浴衣、サイズどう?」
「うん、ぴったり。でもこれ、どーしたの?」
「夏祭りに一緒に行きたいな、って思って新調したんだけど。その日任務でしょ?」
「あー、そうかも」
毎年木の葉の里で行われる夏祭りの警備は、主に下忍が担当することになっている。ということは、当然上忍師であるカカシも任務なワケで。
「一人で行っても、つまんないしな〜。あたしもその日、任務入れちゃおうかな」
「寂しいねぇ、お年頃のお嬢さんが」
「へ?」
「誰も誘ってくれないワケ?」
「そ、そんなことないわよっ!いっぱい誘われちゃって、断るのに苦労してるんだから」
「ホントかー?」
「ホントだもん!」
ぷぅと頬をふくらませたを笑いながら、カカシは杯を重ねていく。この2週間の疲れが癒されていくようだ。
雨に洗われた夜空は美しく、静かに星は瞬いていた。ビールから冷酒に切り替え、ときおり料理をつまみながら飲む。
あまり酒に強くないも、カカシにつきあってちびりちびりと舐めるように冷酒を飲んでいた。
「あー、酔っ払っちゃったかもー」
「もう?そんなに飲んだか?」
「カカシみたいなザルと一緒にしないでよ」
酔いが回ってきたのか、がコロンと横になった・・・カカシの膝に頭をのせて。
「オ、オイ、?!」
「ちょっと!動かないでよー。いいでしょ、膝枕くらいしてくれたって」
据わりが悪いのか、モゾモゾと膝の上での頭が動く。
カ、カンベンしてくれ・・・っ!
カカシは逃れようとするが、が浴衣の裾をつかんでいるため逃げられない。
「なんかゴツゴツしてて、気持ちよくなーい!」
「当たり前デショ。膝枕ってのは、女のコにやってもらわなきゃ」
「ふーん。膝枕してもらったことあるんだ」
ぶぅぶぅ言いながらも、ようやく落ち着く位置を見つけたのか、の動きが止まる。
カカシは内心ホッとため息をもらしつつ、の乱れた髪をかきあげてやる。
「ねぇ?好きなヒトと1年に1回しか逢えないとしたら、どうする?」
夜空に瞬く星の流れを見上げながら、がポツリと呟いた。
「さぁ・・・。どうするかねぇ〜?」
カカシも夜空を見上げた。ここしばらく、ゆっくりと夜空を眺めたことがなかったことを思い出した。
「あたしだったら、我慢できなくて天の川へザブンッて飛び込んじゃう」
「身投げってコト?」
「違うわよ!」
そんなことするわけないでしょ、と怒った口調では言った。
「向こう岸まで泳ぐのよ」
「向こう岸まで、結構遠そうだよ。たどり着けなかったらどーするの?」
「大丈夫。相手も泳いできてるはずだから、二人で抱き合って一緒に流されていくわ」
「・・・」
「大好きなヒトと一緒なら、どこまででも流されても構わないもの」
「・・・そうだな」
きっと自分も同じコトをするだろう、とカカシは思った。対岸で待っているのがならば・・・。
愛した女と一緒なら、どこまででも堕ちていってもかまわない。カカシはそう思った。
「そんな風に、オマエに想われるオトコは幸せ者だね」
「・・・ホントにそう思う?」
「ああ、ホントだよ」
柔らかなの髪を撫でながら、カカシはゆったりと答えた。
に想い人ができれば、こんな風に二人で過ごす時間は無くなってしまうだろう。
カカシは、今流れているこの一秒一秒の時間が愛しくて仕方なかった。
「じゃ、カカシは幸せ者ってことね」
え、と聞き返す間もなく、はパッと起き上がり、西瓜を切ってくると言って台所へ行ってしまった。
しばらくして、西瓜を載せた盆を持って戻ってきたは、恥ずかしそうにうつむいたままだ。
カカシの隣に腰を下ろし、黙々とスプーンを動かしてシャリシャリと西瓜を食べている。
「ありがと」
「・・・」
「オレって、幸せ者だね」
「・・・ホントに?」
「ああ。もちろんデショ」
カカシは、の柔らかな手をそっと握った。おずおずと恥ずかしそうに握り返してくるその小さな手が可愛らしくて、カカシは優しい笑みを浮かべた。


――そっと重なったくちびるは、夏の味がした。







【あとがき】
いや〜んっ!(≧▽≦) ゆ、浴衣姿でございますよ、奥さんッ!(←お嬢さん?)
『キミノイイトコロ』の碧さんのサイト開設1周年記念に押し付けさせていただいたモノなのですが・・・
なぁんとっ!なんとっ!こーんなステキなカカシ先生を描いて下さいましたッ(感涙)
うぉーっ!なんだか、わらしべ長者になった気分でございます(笑)
・・・ん?というコトは、これからもこの作戦でいけば素敵イラストがゲットできる・・・?(←オイ!)
ゴホゴホ。失礼、つい本音が・・・(笑)
お祝いしたハズなのに、お祝いをいただいてしまったような気分です
碧さんの素敵サイトへはリンクページのNARUTOイラストジャンルからどうぞ!

※言うまでもなくイラストは禁無断転載、転用禁止です。


 2004年6月21日