視 線
コットンを手に取ると、ガラス瓶のふたを開けて、化粧水を含ませる。
ひんやりとした水分が素肌に気持ちがいい。
手馴れたしぐさで小さなボトルを手にとり、いつものようにメイクを始める。
コンパクトを開いてファンデーションを塗り、それから綺麗なアーチ型のまゆを描く。
リップライナーでやわらかな唇のラインをなぞり、同じ色の口紅をのせていく。
の、ほぼ毎朝繰り返されているであろう作業を、カカシはベッドの中から鏡越しに見つめていた。
ほんの少し子供っぽい素顔の彼女が、だんだんと大人びた女性に変わっていく。
鏡越しのカカシの視線に気づいたのか、がこちらを見ていた。
「なぁに?」
「ん〜?さんのコトv」
鏡越しにがジロリと睨んでいる。カカシは半身を起こすと、今度は遠慮なくを見つめた。
「見られてると、やりにくいでしょ」
「そうなのー?でも、見ていたいの」
「どうして?」
「オレのさんが、『みんなの』さんに変わっていくトコロ」
は忍びではなく一般人で、普通の会社に勤めている。カカシよりいくつか年上の彼女は、会社へ行けば何人もの部下を抱える、次期管理職候補だったりするのだ。
仕事にはもちろん手を抜かないし、後輩たちにも厳しい。しかし、サッパリした気性で面倒見もよく、後輩たちには好かれている。
の手は止まることなく、落ち着いた色のアイシャドーを瞼にのせていく。
「あたしはあたしでしょ?」
は不思議そうな顔で、鏡越しにカカシを見た。
やわらかそうなブラシで、シャドーをぼかしていく。基本的にはナチュラルメイクだ。
「それはそうなんだけどさ・・・」
鏡越しに見るの表情はキリリとしていて、ほんの少しだけカカシを寂しい気持ちにさせる。
さっきまでこの腕の中でまどろんでいた彼女のやわらかな表情が懐かしい。
カカシはベッドからするりと抜け出すと、鏡台の前に座るを後ろから抱きしめた。
「きゃ?!」
「ねぇ〜、今日は休もうよ〜」
「・・・ダメです。今日は打合せがあるの」
「ちぇ〜」
まるで子供が拗ねているようで、はクスクスと笑った。
彼女の年下の恋人はかなり多忙で、自身も仕事に追われる毎日だ。正直なところ、も仕事を休んでカカシと一緒に過ごしたいと思うが、なかなかそれも難しい。
「カカシくんはいつまでお休みなの?」
「えーと、明日の朝まで」
「じゃ、今日は早く帰ってこれそうだから、一緒に外でゴハンでもどう?」
「うーん・・・じゃ、オレがゴハン作る!」
「え?」
ニコニコと子供みたいに笑っているカカシがなんだか可愛らしく思えて、は笑みを浮かべる。
「カカシくんって、お料理できるの?」
「あったり前デショ!レパートリーは広いよv」
「そうなんだ」
へぇ〜と感心したようなを見て、今日は腕によりをかけて夕食を作ろうと決意したカカシだった。
「ねー、さん」
「なぁに?」
「・・・あのさ、遅刻するよ」
「っ?!」
カカシの言葉に驚いて慌てて時計を見ると、いつも家を出る時間まであと5分もなかった。
「わー!遅刻しちゃう!!」
慌ててメイクを仕上げて、ジャケットを羽織る。
「あ、食器洗わなきゃ!」
「いいよ、さん。オレが洗っとくから。早く行かないと、遅刻しちゃうよ?」
「う、うん!ありがと、カカシくんっ」
いつものらしくなく、慌しく身支度を整え、バタバタと玄関へとかけていく。
今日も休みのカカシはパジャマ姿のまま、のんびりとを見つめていた。
さほど広くもない玄関先で、はパンプスを履いている。
「ねー、今日ナニ食べたい?オレ、なんでも作っちゃうよv」
「え?えーとね・・・カレー?」
ガクッと力の抜けたカカシ。どうにもカカシが「料理ができる」と言ったことを信じていないらしい。
「オレ、もっとレパートリー広いの!」
「最近暑いから、辛いカレーが食べたいなーって思ったんだけどな」
「うーん、辛いカレーねぇ・・・」
「そ、そ!夏野菜がいっぱい入ったヤツ」
「・・・了解!じゃ、さんのご要望にお応えして、今夜のメニューはカレーに決定!」
「わーい!」
きりりとした表情のの顔が、フッと緩んで子供っぽい無邪気な笑顔になる。
「じゃ、行ってらっしゃいのチュウねv」
「っ!?ご、ごめ・・・っ!もう行かないと遅刻しちゃうからねっ!」
カカシのキスが『行ってらっしゃいのチュウ』で済まないことを既に学習済みのは、慌ててバッグを手に取り、玄関のドアを勢いよく開けた。
「じゃ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
はパタパタとアパートの廊下を駆けていく。カカシはそれを見送って、部屋の中へと戻った。
そして、そのまま真っ直ぐベランダへと向かう。
ベランダにでると、朝のさわやかな風が頬をなでていく。朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、ベランダの手すりにもたれてしばし待つ。
カツン、カツン!
いつもよりリズムの早い足音を合図に道路を見下ろすと、が通りへとでてきた。
カカシは声をかけるでもなく、大通りへと早足で歩いていくの姿を静かに見つめていた。
カカシの視線に気づいたのか、がパッと振り返って、大きく手を振る。カカシはクスリと笑って、自分も手を振り返す。
笑って手を振っているに向かって、カカシは自分の左の手首を指差した。
「チ・コ・ク・シ・チ・ャ・ウ・ヨ」
カカシの口元がなんと言ってるのか気づいたのだろう。はパッと腕時計を見ると、慌てて駆け出す。
めったに見ることのないの慌てている様子を、へぇ〜と思いながらカカシは見ていた。
駆け出したかと思っただったが、もう一度立ち止まって、カカシに手を振った。
「!」
そして、今度こそ慌てて会社へと駆け出していく。その姿が見えなくなるまで、カカシの視線はを追いかけていた。
「・・・どうしてかな?」
カカシはポツリと呟いた。
この世界には数え切れないくらい、たくさんの人間がいる。
それなのに・・・それなのに、どうしてだけが特別なのだろう・・・?
どんな人込みのなかでも、を見つけ出す自信がカカシにはあった。
なぜだろう?なぜ、だけが自分の視線をひきつける?
カカシは穏やかな笑みを浮かべた。
――そんなことはどちらでもいい。自分がを愛していることに変わりはないのだから。
カカシは思いっきり伸びをした。
「さて、食器を洗って、掃除でもするか」
願わくば、いつも自分の視線に笑っている貴女がいますように。
そして、貴女の視線の先にオレがいますように。
初夏のさわやかな風が吹き抜けていった。
【あとがき】
企画サイト投稿用に書いた創作です。一応いつもの年上ヒロインちゃんのつもり。
カカシ先生に「いってらっしゃいv」「おかえりv」とか言ってもらえたら、毎日幸せでしょうね(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2005年8月7日