花橘




「さて、そろそろ出かけようか」
友雅がいつものように身支度を整え、左大臣邸へ向かおうとしたとき女房のひとりが声をかけてきた。
「友雅さま。左大臣邸から文使いが参っております」
「左大臣邸から?」
「源頼久さまですわ。外でお待ちでございます」
「ありがとう。すぐ行くよ」
頼久自ら文使いとは、珍しいこともあるものだ。あの姫に何かあったのだろうか?
友雅は几帳を絡げて、御簾の外で待つ頼久の下へと急いだ。


「友雅どの、おはようございます」
「おはよう、頼久。君が文使いとは珍しい。殿になにかあったのかい?」
いつもの友雅らしくもなく、彼の慌てた様子に、頼久は笑みをもらした。
「ご心配なさるようなことは何もございません」
「そうか・・・。なら良いのだが」
ホッとしたような友雅を見て、頼久は今更ながら、友雅がを大切に思っていることを知った。
八葉と神子――は、その身の内に四神を宿す聖なる神子。いまだ四神は集まってはいなかったが。
あかね同様、は異世界から召還された神子だった。
「おや?花の香りがするね」
「ああ、これは失礼いたしました。殿からお渡しするようにと」
頼久が差し出したのは、橘の花――花の香りが部屋に満ちている。そして、もうひとつは美しい蒔絵の文箱。
「そういえば、殿から文をもらうのは初めてだね」
「女房のどなたかに代筆をお願いしていたようですよ」
異世界から来たは、ようやくこちらでの生活になれてきたようだったが、さすがに文字を読んだり書いたりするのは苦手らしい。
友雅がさらさらと歌を詠み、文を書き散らかしているのを見て、はうーん、と首をひねっている。
「なんで、こんなのがさらさらと書けちゃうワケ?しかも、なんて書いてるのか全然読めん!」
まわりの女房達が友雅の恋歌を読んでぼぅとなっているのを見て、さらに首をひねっていた。
「では、私が殿に手習いを教えてさしあげようか」
「いい、いい!そんなコトされたら、他のコトも教えられちゃいそうだもん!」
「つれないねぇ、私の姫君は」
「誰が『私の』よ?!」
付きの女房達がくすくす笑っている。友雅もやれやれと肩をすくめた。
黙っていればなかなかに美しい姫君なのに、と思う。けれど、同時にその飾り気のない口調が好ましく思えるのも事実だ。

はらり、と文を開くと、微かに橘の花の香りが漂った。
「さて、わたしの姫君はなんと書いて・・・?」


 友雅さんへ
  お誕生日おめでとう。
  こちらでは、生まれた日をお祝いする風習はないのかしら?
  わたしのいた世界では、生まれた日をお祝いするの。生まれてきてくれてありがとう、って感謝する日。 
  記念になにか贈り物をと思ったんだけど、なにがいいのかわからなくて・・・。
  だから、友雅さんがすきだと言っていた、橘の花を贈ります。

   橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し

  女房さんが教えてくれた和歌です。これを書けば、友雅さんが喜んでくれるって言うんだけど・・・。
  どういう意味なのかしら?藤姫にでも意味を聞いてみようかな。

  お誕生日おめでとう、友雅さん。
                             より


からの文を読み、友雅はクスリと笑みをもらした。
「生まれてきてくれてありがとう、か・・・」
友雅はもう一度、橘の花の香りを吸い込んだ。
「友雅どの、お返事をお書きになるのであれば、わたくしがお届けいたしますが」
「いや、これから左大臣邸へお伺いするよ」
「はぁ・・・。ですが、殿は本日物忌みで、外出なさらないと思いますが」
「なら好都合」
「は?」
「『橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し』と言われたら、
 逢いに行かぬわけにはいかないだろう?」
(訳:橘は花も実も見るけれど、いつもいつも見ていたいものだ・・・。)
おそらく、は女房殿に言われるがままに書いたのだろう。が、愛しく思っている姫からそんな歌をもらったら、友雅がじっとしているわけがない。
「だれか牛車の用意を。左大臣邸に行く」


ただひとりの女にこんなにも夢中になっている自分がおかしくて、牛車に揺られながら友雅は思わず笑みをもらした。
けれど、そんな自分も嫌いではなかった。
さて、あの姫になんと言おう?誕生日の贈り物にあなたが欲しい、と言ってみようか。
おそらく、真っ赤になって「何言ってるの!」と怒り出すだろうけれど。
あなたが祝ってくれるのなら、ひとつ歳を重ねるのも悪くはない。
来年も再来年も、私のそばに居ておくれ・・・。その優しい声で『誕生日おめでとう』と言っておくれ。


友雅は、一枝だけ手折ってきた橘の花の香りを深く吸い込んだ。




あとがき

何を思ったか、突発的友雅さんお誕生日夢でございます。
平安時代って、やっぱ難しいですね〜。平安時代のお話って大好きなんですが。源氏物語とか。
もうちょっと、ちゃんと調べないと書けないですね。
なにはともあれ、友雅さんお誕生日おめでとう〜!

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2004年5月30日