月読の恋
カタン、と格子の開く音がした。
「だれ・・・?」
女房たちは皆下がっており、彼女はひとり、脇息にもたれかかって月を見ていた。
「私の姫君のご機嫌はいかがかな?」
「・・・少将さま!」
几帳をからげて入ってきたのは橘の少将だった。月明かりに照らされた彼の横顔は美しく、月読神もかくやといった風情だ。
「今宵は父君が方違えだとお聞きしたのでね。
私が宿直役を勤めさせていただこうかと思ってね」
「まぁ・・・お越し下さるなら、お知らせくだされば良かったのに。
このように散らかしておりますのに」
「文の整理でもしていたのかい?」
彼女の周囲には美しい和紙が散らばっていた。彼女の筆跡のものもあるが、大抵は男の手蹟によるもので、おそらくは彼女宛の恋文だろうと思われた。
「お見苦しいところを・・・」
彼女が慌てて片付けようとするが、その手を友雅が止めさせる。
「これはみな、あなたへの恋文なのかい?」
「いいえ、そのような・・・。ただの四季折々のあいさつでございますわ」
彼女はクスリと笑って、友雅の手から美しい巻紙をとりあげる。月明かりでチラリと見ただけだが、友雅のよく知る筆跡のものもあった。
「すこし・・・身の回りを整理しようかと思いましたの」
「なぜ?」
「――わたくし、父と共に任国へ下ろうかと思いまして」
彼女の父はどこかの国の受領だった。そういえば、この春の除目で新しいお役目をいただいていたような気がする。
「・・・どうして急に?」
「前々から考えていたことですの」
「私を置いて、遠い国へ行ってしまうというのかい?」
友雅のすがるような声に、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「わたくしが去っても、あなたは大丈夫ですわ」
「どうしてそのようなことが言えるのだい?確かに、私は誠実な恋人とは
言い難かったかもしれない。けれど・・・」
「それ以上はどうか、おっしゃらないで下さいませ」
優しいけれど、しっかりとした声音で彼女は言った。
「わたしくでは、駄目なのですわ・・・。あなたは、飢えていらっしゃる。
そして、それはわたくしでは癒してさしあげることができない」
「姫・・・」
「才に長け、容姿も麗しく、帝の覚えもめでたい橘の少将さま・・・。
あなたはこれ以上、なにをお望みですの?」
「私は・・・!」
友雅の胸には、いつも虚無感があった。ジリジリと胸の奥を焦がすような焦燥感とともに・・・。
――これ以上、何を望む?
「あなたの求めるものは、物語のかぐや姫のような方かもしれませんわね」
「・・・永遠に手に入らない?」
自嘲するように、友雅は笑った。
「さあ・・・。いつかきっと、あなたの渇きを癒してくださる方が現れますわ」
「それは、あなたかも知れないよ・・・?」
「いいえ、哀しいけれど、わたくしではありませんわ」
なよなよとして、風に吹かれれば倒れてしまいそうな、儚げな姫だと思っていた。ところがどうだ。
彼女は自ら恋を終わらせようとしている。きっぱりと言い切る彼女は、いっそ清々しく友雅の目には映った。
「私は、あなたを見誤っていたようだね・・・」
友雅は、そっと彼女を後ろから抱きしめた。柔らかな身体がくったりと友雅に寄りかかってくる。
二人で見上げた月は、これまでに見たどの月よりも美しく思えた。
「ふふっ・・・そうですわ。わたくしは、友雅さまが思っているよりも情の強い女ですわ」
美しい彼女の黒髪を梳きながら、友雅は思った。自分は得がたい女人を失ってしまったのではないか、と。
「友雅さま」
「なんだい、姫?」
「誰かを想うというのは、暑苦しくてやっかいなものですわ。
まるで、春の嵐のように突然やってくるもの・・・。
友雅さまの胸に春の嵐を巻き起こすのは、どのような姫君なのでしょうね・・・?」
「・・・少なくとも、今、あなたは私の心をかき乱しているよ」
「光栄ですわ、あなたを悩ませることができるなんて」
ふふっと、彼女は楽しそうに笑った。自分はきちんと彼女と向き合っていなかったのかもしれない。
それを今、友雅は後悔していた。
いつの間にか、夜明けが近づいていた。
「ごらん、有明の月が美しいよ」
「ええ、本当に・・・」
彼女と共に見る月は、今宵が最後になるのだろう。それを惜しく思っている自分がいた。
「任国に下られても、文を差し上げてもかまわないかい?」
「ええ、もちろんですわ」
そろそろ立ち去らなければ、誰かに見咎められるだろう。自分はかまわないが、姫の評判が傷つくのは避けたかった。
だが、立ち去りがたい気持ちが友雅の腰を重たくさせる。
「友雅さま、そろそろお行きになってくださいませ。もうすぐ夜が明けますわ」
「姫・・・」
「お別れは申し上げません・・・。いつものように、今宵また・・・とおっしゃって。
そして、決して振り返らないで下さいまし」
「わかったよ、姫君」
すらりとした友雅の立ち姿に一瞬見とれてしまう。よくもまあ自分は、このひとから離れる決意をしたものだと思う。
友雅に『かぐや姫』を求めていると言ったが、自分が求めているのは『月読神』のような友雅・・・。
決して手に入らぬ恋に疲れたのかもしれない。遠く都から離れてしまうのでなければ、
友雅への想いを封じ込めてしまうことはできないと思った。いや、離れればいっそうのこと、想いはつのるかもしれない。
この想いは消えることなく、自分の胸の内にとどまるのだろう。
「では、姫君・・・今宵、また」
「ええ、友雅さま・・・」
友雅は、山に隠れようとする月を見上げた。
いつか彼女が言うように、自分の胸に春の嵐を巻き起こすような女人に出会うことがあるのだろうか・・・?
この満たされぬ渇きは、いつか癒されることがあるのだろうか・・・?
――そんな夜は、いまだ訪れない。
あとがき
web拍手用に、とむかーしむかし書きかけだったものをひっぱりだしてきました。
・・・が、予想以上に長文になってしまったので、こちらにアップ。
一応、八葉となる前のお話です。ちと暗い?(汗)コミックのショートショート(?)の
イメージで書いてみたのですが。
せっかく名前変換ナシで書いてたのに・・・ぶつぶつ。でも、友雅さんを書いても
読んでくださる方は少ないかもしれませんねぇ(笑)
最後まで読んでくださってありがとうございました。
2004年6月27日