子供じみた遊び
「あら、嫌ですわ。恥ずかしい」
「おや、どうしてかな?何かおかしいことを言ったかな?」
「まぁ・・・」
女性達の華やかな笑い声が聞こえてくる。その中に混じる男性の声は友雅のものだった。
「――さま、どうなさいました?」
お供につれてきた女童に声をかけられて、はハッと我に返った。いつの間にか足を止めてしまっていたらしい。
「いえ、なんでもないのよ。さ、参りましょう」
「はい」
は藤壺中宮にお仕えする女房のひとりである。彼女は由緒正しき宮家の血を引く姫君でありながら、生活のために宮中へ出仕しているという変り種である。そういう経緯と元来の性格のためか、熱心にお仕えしているので、藤壺中宮にも気に入られ、常にお傍近くに控えていることが多い。
そんなが今日弘徽殿へとやってきたのは、藤壺中宮が弘徽殿にお忘れになった桧扇を取りに来たためである。昨夜、皇后主催で観月の宴が開かれ、藤壺中宮も招かれたのだった。
誰かに取次ぎを頼もうかと思っているところに聞こえてきたのが、友雅と女性達の華やかな笑い声だったのだ。
「あら、あなたは確か・・・藤壺の・・・」
「はい、藤壺中宮様にお仕えしておりますと申します。
中宮様がこちらに桧扇をお忘れになっていると思うのですが」
「あら、それならお預かりしておりますわ。さ、どうぞ、こちらへ」
「ありがとうございます」
たまたま通りかかった弘徽殿の女房が声をかけてくれたので、は室内へと招きいれられた。そこに居たのは予想通り・・・。
「殿・・・?どうされたのかな、お一人のようだが?」
「・・・藤壺中宮様の桧扇を受け取りに参りましたの」
にこやかに微笑んでいる友雅に対して、は少々複雑そうな笑みを浮かべて答えた。
それというのも、友雅の両脇には美しい女房達が陣取り、全員が全員、値踏みするかのようにの方を見つめていたのである。
さすがに皇后のお傍近くお仕えする女房たちらしく、いずれも華やかに美しい。このような場所には慣れているはずのだが、なんだか居心地の悪さを感じてしまう。
「ああ、そういえば・・・。昨夜はこちらで観月の宴に参られたのだったね」
「はい」
は藤壺中宮の、友雅は帝のお供で、共に弘徽殿へと参上していたのだった。その宴で、帝の命で琵琶を奏した友雅は女房達の注目の的であった。
「少将殿の琵琶の音は素晴らしいですわね」
「ああ、そうだね。並みの楽人より、友雅の琵琶の方が優れているかもしれないね」
「・・・・・・」
帝と皇后が口々に友雅の楽を誉めそやすなか、藤壺中宮はむっつりと黙ったままだった。その様子に気づいた皇后が、藤壺中宮に声をかけた。
「どうなさいましたの、中宮様?」
「・・・・・・」
皇后が心配そうに声をかけても、藤壺中宮は黙ったままだった。その様子をご覧になった帝は面白そうに口元に笑みを浮かべられた。
「中宮は、友雅が気に入らないのだよ」
「え?」
「主上・・・!」
体調でも悪いのかと思ったのだが、そうではなかったらしい。よく見てみると、藤壺中宮は頬をぷっと膨らませ、拗ねているように見えた。
「どうしてですの?」
「友雅の右隣に女房がいるだろう?あれは藤壺の女房でね、中宮のお気に入りなのだ」
ご機嫌ななめの藤壺中宮とは反対に、帝は楽しげな様子だった。
「そして、友雅の想い人なのだよ」
「まぁ・・・」
その女房なら皇后もよく知っていた。藤壺中宮が弘徽殿にやってくるときは必ずといっていいほど連れてきていたからだ。優しげな面立ちだが、凛としたまなざしが印象的な娘だ。
「自分の大事な女房を友雅が攫っていこうとするのが気に入らないのだよ、中宮は」
「ですが、主上・・・!の相手が真面目な公達でしたら、わたくしも何も申しませんわ。
でも、友雅殿では・・・が不幸になるのが目に見えていますもの」
皇后も、女房達が友雅の噂をしているのを耳にしたことがある。あれほどの男っぷりだ、女人の方がほうっておかないだろう。
「ねえ、皇后様からもお願いしてくださいませ。
主上は何かというと、友雅殿の肩をお持ちになるのです」
「中宮様・・・」
藤壺中宮の頼みに皇后は困ったような顔をし、救いを求めるように帝をご覧になった。帝はクスクスとお笑いになる。
「中宮、色恋沙汰ばかりは周囲の者が何を言っても無駄だろう。
それに、が不幸になるとは限らないではないか」
「それはそうですけれど・・・」
わがままなところのある藤壺中宮だが、女房ののことは真剣に案じているのだろう。皇后は微笑ましく思われた。
以前とは違って、このところ女房達を近づけようとしなかった友雅が、今日は見事なまでに女房達に囲まれている。昨夜、帝は友雅の想い人がだとおっしゃっていたのに、聞き間違いだったのだろうかと皇后は首をかしげられた。
藤壺中宮のお供で弘徽殿を何度も訪れているは顔見知りの女房と話しこんでいる。一方の友雅はというと、美しい女房達と楽しげに談笑しているが、時折の様子を伺っているようだ。
友雅と話している女房達の甲高い笑い声には瞬間眉をしかめたが、すぐに表情を取り繕う。それに気づいた友雅はふっとくちびるの端に笑みを浮かべた。
あらまぁ・・・。
御簾越しにその様子をご覧になっていた皇后はクスリと小さな笑い声を立てられた。友雅はに嫉妬させようとして、あのような態度を取ったのだろうとお考えになったのだ。当代一流の風流人として名高い友雅なのに、その振舞いが子供っぽく思われ、皇后は思わず笑い声を立てられたのだ。
「皇后様、わたくしはそろそろ失礼いたします」
「あら、そう・・・?それでは中宮様に、また遊びにおいでくださいと
伝言をお願いできる?」
「はい、確かに。中宮様にお伝えいたします」
は皇后に丁寧に挨拶をすると、弘徽殿を退出した。すると、友雅もすぐに辞去の挨拶をし、のあとを追うように弘徽殿を後にした。
「私は殿のご機嫌を損ねてしまったのかな?」
友雅が後ろからついてきていることに気づきながら、はスタスタと藤壺に向かって歩いていた。スタスタといっても、今日は皇后にお目通りするので正式な十二単を身に着けており、いつもより歩みは遅い。
そんなの背中を見やりつつ、気づかれないように友雅は小さく笑った。
藤壺中宮のもとへ行くのと同様に、友雅は弘徽殿の皇后のところへもご機嫌伺いに行く。そして、たまたまが弘徽殿を尋ねてくるというのを耳にしたのだ。
――そして、思いついたのはちょっとした悪戯。
いつまでも友人という立場に甘んじているわけにはいかなかった。友雅としては、さりげなくに想いを伝えているつもりなのだが、当のはまったくそれに気づいていないようなのだ。本当に気づいていないのか、もしかしたら気づかないフリをされているのだろうかと、余計なことまで勘繰ってしまいそうになる。
「なんのことでしょうか?わたくし、急ぎますので」
いつもにこやかななのに、その表情はどこか拗ねたように友雅には映る。
おや、これは・・・。少々、効きすぎたというところかな?
自分でも子供っぽいことをと呆れてしまうが、美しい女房達に囲まれている自分を見て、がどんな反応をするか見てみてかったのだ。
友雅は、がお供に連れてきていた女童に話かけた。
「すまないが、殿に話があってね。
君は藤壺に先に戻っていてくれないかな?」
友雅がにっこりと微笑んでみせると、女童は頬をぽっと赤く染めて小さく頷いた。たたっと軽快な足取りで、ひとり先に駆けていってしまった。
その様子を見ていたは呆れて物も言えない。子供とはいえ、女は女ということか。
「わたくしには、何もお話することはございませんから」
はにっこりと微笑みながら言ったが、その目は笑っていなかった。
友雅の魅惑的な微笑みに逆らいがたい気持ちはにもよくわかる。ましてやそれが妙齢の女性だとしたら・・・。
さきほどの弘徽殿で、友雅が美しい女房達に囲まれていた姿を思い出す。その光景を思い出すと、なんだかモヤモヤとしたもので胸がいっぱいになるような気がした。
いったいどうしてしまったのかしら、わたくし・・・?
そういえば、とは思う。友雅は藤壺をよく訪れていたけれど、最近では女房達に囲まれている姿を見たことがなかったことに気づく。
一瞬考え込んでしまっていたせいだろうか、の進む速度がほんの少しゆっくりになった。
「・・・っ!?」
声をあげる暇もなく、は物陰へと引き込まれた。
「お、お離しください・・・っ!」
の焦った声とは裏腹に、を慌てさせている原因の男はどこか楽しげな声音で答えた。
「君がいけないのだろう?私の質問にちゃんと答えてくれないのだから」
友雅は楽しげにクスクスと笑いながら、を腕の中へと閉じ込めている。
「だ、誰かに見られたらどうなさるんです・・・!?」
友雅に抱きしめられたことは何度かあったが、たいていそれはの私室だった。けれど今、ふたりがいるのは、いつ誰が通るかわからない場所だ。
「私は別に構わないよ」
さきほどの弘徽殿での有能そうな女房から一転して、腕の中にいるの恥らう様子はまるで少女のようだ。きりりとした大人の顔をしたと、頬を染めている少女のような――どちらが本当のなのだろうか、と友雅は思う。
「で、でも、誤解されてしまいますわ・・・!」
「誤解?」
抱きしめられていることが恥ずかしくてたまらないのだろう、モジモジしているが可愛らしくて、友雅は簡単に離してやる気持ちにならない。
「・・・わたくしが、友雅さまの恋人のひとりだと思われてしまいますわ」
恋人の『ひとり』ね・・・。
ためらいがちに答えたの言葉に、友雅は苦笑を浮かべた。
確かに今までの自分ならの言葉の通りだっただろう。けれど、今の友雅には『恋人』と呼べるような女性はひとりもいなかった。『恋人』と呼びたい女性ならいるのだが。
一方のは、自分で言った言葉に思わぬショックを受けていた。
『恋人のひとり』・・・。そう、友雅さまには大勢の恋人がいる。それも、わたくしなど足元にも及ばないような美しく才気に溢れた方ばかり・・・。
の脳裏に、さきほどの弘徽殿の様子が浮かぶ。瞬間、胸がジリジリと焦げるような気がした。
わたくしは『恋人のひとり』では嫌。そう、ただひとりの・・・ただひとりの恋人になりたい。
「・・・え?」
「ん?」
さきほどまで何とか友雅の腕の中から逃れようとしていたの動きがぴたっと止まった。そして、サーッと青ざめたかと思うと、今度はカーッと耳まで真っ赤になった。
「殿?」
友雅が怪訝そうな顔をしているのがわかったが、恥ずかしくて何もしゃべることができない。
「ふふ・・・まるで桜の花びらのようだね」
友雅の細い指先が、の薄桃色に染まった耳に触れた。は思わず悲鳴をあげてしまいそうになったが、グッとそれを堪えた。
「友雅さま・・・」
「ん・・・?なんだい?」
「どうかもう・・・」
そっと友雅の胸を押して抱擁を解いてもらおうとするのだが、友雅がその檻をゆるめる気配はなかった。
「殿が私の質問に答えてくれないからだよ」
「ですから、わたくしは・・・」
「私の何があなたのご機嫌を損ねてしまったのか知りたいだけなのだよ。
あなたが答えてくれないと、気になって夜も眠れそうにないからね」
恥ずかしくて答えることなどできない、とは思った。もっとも、いまのこの体勢も恥ずかしくてたまらないのだが。
遅ればせながら自分の気持ちに気づいてしまった今、は友雅に対してどのような顔をして見せればいいのかわからなくなっていた。うう、と真っ赤になって口をつぐんでしまったを友雅はクスリと笑った。
「素直に答えなければ、いつまでもこのままだよ?
もっとも、私はこのままでも構わないけれど、ね」
「・・・・・・」
友雅の誘うような魅惑的な微笑みに、は早鐘を打つ心臓がさらに一拍早くなったような気がした。
「・・・嫌だったのです」
死ぬほど恥ずかしかったけれど、嘘はつきたくなかった。蚊の鳴くような小さな声ではようやく答えた。
「友雅さまがあのようにお美しい方々に囲まれているところを
見たくなかったのです・・・」
決死の覚悟で答えたのに、友雅の反応はなくて。恐る恐る顔を上げてみると、そこにははにかんだ笑顔を浮かべた友雅が居た。
「・・・っ?!」
ほんの少し照れくさそうに、少年のようにはにかんだ友雅の笑顔――は自分の心臓がどうにかなってしまうのではないかと心配になった。
「あ、あの・・・もう・・・」
「あなたの答えを聞いて離し難くなってしまったけれど、約束してしまったからね」
友雅は名残惜しそうにその腕を緩めた。けれど、その指先は薄桃色に染まったの頬に触れたままだ。
「わたくし、そろそろ戻らないと・・・」
「ああ、わかっているよ」
そう答えながらも、友雅の指先はの頬をなぞり、一向に離れる気配がない。は困ったと思いつつも、魅惑的な友雅の微笑から目をそらせない。
「・・・っ」
頬をなぞっていた指先が、一瞬、のくちびるに触れた。
「――別の意味で眠れなくなりそうだね。
君が責任を取ってくれるかい・・・?」
「わ、わたくし、失礼いたします・・・っ!!」
これ以上、魅惑的な友雅の微笑を見ていたら、自分はどうにかなってしまうに違いない。失礼な態度かもしれないと思いながらも、は逃げるようにその場を去った。
いつになく焦った様子のの後姿に、友雅はクスクスと笑い声を立てた。
「・・・本当に眠れなくなりそうだね」
しっとりと柔らかなのくちびるに触れた指先を、友雅はそっと自分のくちびるに押し当てた。
の気持ちを垣間見ることができたらと、子供っぽいことをしていると自覚しながらとった行動は、あながち無駄ではなかったらしい。
次に君はどんな顔を見せてくれる・・・?
親しい友人の顔?それとも・・・恋をしている女の顔かい?
【あとがき】
ネオロマ企画投稿作品。
長いー!!(汗)
ひたすら甘くしようと努力した創作です(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2007年6月16日