恋文




「お呼びでしょうか、友雅様」
俺の名は帯刀(たてわき)、橘 友雅様にお仕えしている。
まあ、アレだ。例えるなら『源氏物語』にでてくる惟光のようなものだ。もちろん、光源氏は友雅様だぜ。
「ああ、帯刀か。文を届けてほしいのだが・・・もうしばらく待っておくれ」
「はい」
友雅様はまだ文を書いている途中だったらしく、俺は少し離れたところで控えて書き終わるのを待つ。
いつになく真剣なお顔だなぁ・・・。
友雅様は筆を手に、真剣な面持ちで文を書いておられた。女房たちがこの横顔を見たら、きっと悲鳴にあげるに違いない。お傍近くでお仕えしている俺――しかも、俺は男だ――でさえ、見とれてしまいそうな男っぷりなのだから。
「・・・どうした、帯刀?」
自分でも気づかぬうちに、俺は友雅様をずいぶん見つめていたらしい。
「申し訳ございませぬ。その・・・いつになく熱心なご様子でしたので」
俺がそう答えると、友雅様はふっと軽く微笑まれた。
「ああ・・・。この文の送り先の御方はたいそう趣味のよい方でね。
 こちらもそれなりの気構えが必要なのだよ」
おそらく相手は女性なのだろうが、友雅様があんな御顔をされて文を書く様子は初めて見た気がする。
「それで格別に美しい薄様をお使いなのですね」
「ああ、そうだよ」
薄様というのは、薄く漉(す)いた雁皮(がんぴ)紙のことだ。友雅様がいま書かれている紙は、格別に美しいもののように見受けられた。
俺からすると、高貴な方は面倒だな、と思う。
筆跡はもちろんだが、使っている紙や墨にまで気配りをしなければならないそうだ。正直、俺なんかは肩が凝って仕方がないが。
けれど、友雅様がこんなに丁寧に文を書かれる相手はどのような女人なのだろう?
もしかしたら、文を届けに行ったときに逢えるかもしれないな。友雅様のお相手は美女が多い、と俺は思う。ま、友雅様ご自身がかなりの美男だから当然なのかもしれないが。
「この方の父君は優れた学者殿なのだよ。
 学問の手ほどきを父君から受けておられて、
 かなり教養高い御方だ」
うえ・・・。俺なら寝物語に漢詩を説くような女は御免だなぁ・・・。
ついつい考えていたことが顔に出ていたのだろう、友雅様はクスッと小さな笑い声をたてられた。
「お前が想像しているような御方ではないけれどね」
「はぁ・・・」
艶めいた文ではなく、単に時候のあいさつの文なのだろうか。
・・・つまらん。
このところ、友雅様の夜歩きはめっきり減って、夜がヒマでヒマで仕方がないのだ。友雅様のお供で出掛ければ、女主人の恋人の家来ということで、俺達ももてなしてもらえるのだ。下働きの女たちをからかってみたり、酒を飲んでみたりと結構楽しいのだが、その機会がめっきり減っていた。
「・・・さて、これで良し、と。
 帯刀、この文を藤壺の殿まで届けておくれ」
「お返事はいかがいたしましょう?」
「返事はあとでかまわないよ」
「承知いたしました」


藤壺の殿か・・・初めて聞く名だな。
父親が学者だとか言ってたっけ?俺はあんまり賢い女は苦手だなぁ。
「もし・・・こちらに女房の殿はいらっしゃいますか?」
俺はたまたま通りかかった女房に声をかけてみた。藤壺に来るのは初めてだから、顔見知りが居ないのだ。
「はい・・・?」
「俺は橘友雅様にお仕えしている帯刀と申す者です。
 藤壺の殿に主人から文を預かってきたのですが」
俺の問いかけに足を止めてくれたのは、まだ若い女房だった。訝しげな表情だった彼女の顔が、友雅様の名を聞いた瞬間にパァッとほころんだ。
うわ・・・なんか可愛いなぁ・・・!
最初に彼女の顔を見たときにはきりりとした雰囲気のなかなかの美人だなと思ったのだが、微笑むとそのキツさがなくなって、とても柔らかい雰囲気に変わったのだ。
「わたくしがでございます」
「えっ!?」
確かになかなか美しい女人だと思うが、俺がこれまでに見てきた友雅様の恋人たちとはすこし雰囲気が違うような気がする。う〜ん、やっぱりこの文は単なる時候の挨拶なのか?
「わざわざ、ありがとうございます」
「あ・・・はいっ」
俺が文を手渡すと、彼女はにっこりと微笑んでくれた。
「お返事は後ほどでもかまいませんか?」
「はい、友雅様もそうおっしゃっていましたから」
「では、お返事は後ほどとお伝えくださいませ」
「はい」
俺はぺこりと頭を下げて、その場を離れた。
そして、何気なく――本当に何気なく――振り返ったのだ。
「っ?!」
彼女はまだそこに居て、俺を見送ってくれていたのだ。殿は小さく会釈をしてくれ、慌てて俺も頭を下げた。
――あんな人、初めてだ。
藤壺の女房ということは、殿は中宮様にお仕えしているのだろう。宮仕えの女房というのは、たいてい気位が高いものだ。それなのに、あの人は俺なんかにも丁寧で・・・。
俺はさっき感じた『雰囲気』の違いがわかったような気がした。
これまでの友雅様の恋人たちは、どこかしら『傲慢さ』があった。それは、気位の高さと言ってもいいのかもしれない。
うまく言えないけれど、例えば友雅様が別れを切りだしたとしたら、『わたくしもそう思っていたところですの』と答えるような女人ばかりだったのだ。
殿は友雅様の恋人ではないのだろう。というより、友雅様が選びそうにない女人だと俺は思った。
なんとなく俺は楽しい気持ちになって、足取りも軽くお邸へと戻った。


「ご苦労だったね、帯刀」
「御文は殿にお渡ししてまいりました。
 お返事はのちほど、とおっしゃっていましたよ」
「そうか」
友雅様はまた文を書いておられた。先ほどと違って、なんだか面倒くさそうに見えるのは俺の気のせいだろうか。
「どうした、帯刀?なにやら楽しそうに見えるが」
「えっ?!」
思わぬことを言われたので、俺が焦っていると、友雅様はクスクスと笑い声を立てられた。
「内裏で心惹かれるような女人に出逢ったのかな?」
「・・・っ」
友雅様の鋭さに、俺は冷や汗が出そうだった。
「ふふっ、お前はわかりやすいね」
「と、友雅様・・・っ!」
俺は一番近くでお仕えしているから、友雅様の恋愛事情もすべて知っているのは当然として、どうして俺の恋愛は友雅様に全部ばれてるんだ!?
「お前は考えていることがすぐ顔に出てしまうからね。
 ま、私としては、わかりやすくてよいけれど」
なんだか悔しい・・・。


それからしばらくして、俺はまた友雅様から文使いを命じられた。そう、あの藤壺の殿へである。
もう一度彼女に逢えるかもしれないというささやかな希望を抱きながら、俺は藤壺を訪れた。
「あら、帯刀さん」
「こ、こんにちは・・・っ」
いきなり本人が登場した!
この前とは違って、殿は最初からにこやかな笑顔だった。俺は、顔を覚えていてくれたことがひどく嬉しかった。
「こんにちは。友雅様の文使いでいらしたのですか?」
春らしい紅梅の襲(かさね)は殿によく似合う、と俺は思った。艶々とした癖のないまっすぐな黒髪が美しい。
「あ、はいっ!そうです」
「中宮様への御文かしら?
 もしそうでしたら、わたくしがお預かりいたしますけれど」
「あ、いえ。中宮様へではなく、殿へと」
「そうでしたの。ありがとうございます」
俺は友雅様の文を殿へ渡し、返事が欲しいと言った。
「あら・・・それでしたら、しばらくお待ちいただけますか?
 すぐにお返事を書いてまいりますから」
「はい。あ、あの・・・」
「はい?」
「あまりお急ぎになられずとも・・・俺ならここでお待ちしていますから」
ありがとうございますと殿は微笑まれて、返事を書くためだろう、部屋の奥へと戻られた。
なんていうか・・・気さくで可愛いひとだよな、うん。
ああいう人が恋人だったら、ホッとできていいだろうな。友雅様は全然口うるさい主人ではないけれど、それでもやっぱりいろいろ辛いことはある。殿みたいな女人だったら、俺が落ち込んでいたらさりげなく励ましてくれそうだ。
――アイツだったら、余計に尻を叩きそうだけどな。
アイツとゆうのは・・・まぁ、なんだ。同じお邸で働いてる女房の衛門、一応俺の恋人のような、恋人でないような微妙な存在だ。俺が言うのもなんだが、衛門はちょっと気の強そうな美人だ。殿とは正反対だな。
「ハァ・・・なんでうまくいかないのかねぇ」
衛門とはちょっとしたことが原因で口げんかをし、いまも絶交状態だったりする。このまま自然消滅しちまうのかなぁ・・・。まぁそれも仕方がないのかもな。
俺がそんなことをぼんやり考えていると、殿が戻ってきた。
「ごめんなさい、お待たせして」
「いいえ、とんでもありません」
文を受け取って帰ろうとすると、殿に呼び止められた。
「よろしければ、これを・・・」
殿が俺に差し出したのは小さな紙包みだった。
「なんでしょうか?」
「唐菓子ですわ。中宮様からたくさんいただいたので、
 よかったら召し上がってください」
「ありがとうございます・・・!」
日々の食事に事欠くことはないが、菓子を口にする機会などめったにないから嬉しかった。
「あの、でも、よろしいのですか?俺なんかに・・・」
「帯刀さんは文を届けにきてくださるではありませんか。
 少しですけれど、そのお礼ですわ」
にこやかに微笑む殿はとても可愛らしく見えて。やっぱり、この人、いいなぁ・・・。
珍しい菓子をわけてくれるなんて、ちょっとは俺のことを気に入ってくれているんだろうか?
ついつい頬がゆるんで、ニヤついた顔になってしまいそうだ。
「衛門さんにも分けてあげてくださいね」
「――え?!」
俺の聞き間違いだろうか?殿が『衛門さん』と言ったような気がしたが。
「恋人の衛門さんとケンカしてるって聞きましたわ。
 時間が経つと仲直りしづらくなりますわよ」
俺のびっくりした顔が面白かったのか、殿はクスッと笑った。
「な、なんで、衛門のことを・・・」
「あら、友雅様が教えてくださいましたわ。
 帯刀さんには美人の恋人がいるって」
――なぜだか俺はガックリとうなだれて、藤壺を後にしたのだった。


「・・・お返事をお預かりしてまいりました」
「ありがとう、帯刀」
殿からの返事を友雅様にお渡しすれば俺の仕事は終わりなのだが、なんとなく立ち去りがたくて、俺は無言でその場に控えていた。
「どうした、帯刀?」
殿からの文をはらりと開きながら、友雅様がおっしゃる。
「別にどうもしません」
「ふふっ、お前は本当にわかりやすいね」
友雅様はクスクス笑いながら、こちらを振り向かれた。
「何か気に入らないことでもあったのかな?」
「・・・なんで、衛門のことを殿がご存知なのですか?」
ついついムッとした口調になってしまうのは仕方がないだろう。だってさ、『ちょっといいかな』って思ってた相手に、恋人がいるなんて知らされたら、誰だってムッとするだろう?それにさ、恋人といっても、いまは絶交状態で半分終わってるようなものなんだぜ。
「ああ、そのことか。
 殿がなにか言っていたのかい?」
「衛門と仲直りしろ、と唐菓子を分けてくださいました」
彼女らしいねとおっしゃると、友雅様は柔らかな笑みを浮かべられた。こんな風に穏やかな笑みを浮かべる友雅様を、これまであまり見たことがなかったと俺は思った。
殿は、何人も恋人がいるような男はお嫌いだそうだよ」
「っ?!じゃ、なんで俺に恋人が居るなんておっしゃったのですか?」
俺の剣幕に一瞬驚いたような御顔をなさったけれど、友雅様はすぐにいたずらっ子のような笑みを浮かべて、こう言われたのだ。
「恋敵はひとりでも少ないほうがよいだろう・・・?」
ハ・・・?なんですと?
「それに、実ることのない恋なら、小さな芽のうちに摘んでおくほうがいいと思わないかい?」
「・・・大人気ない」
思わずポツリとつぶやいた言葉はしっかり聞かれてしまっていたようで。
「何か言ったかい、帯刀?」
「いーえ!何にも言っておりませんっ」


ま・・・俺が友雅様に敵うわけないけどさ。友雅様も普通の男なんだな、と思ったよ、俺は。
ここ最近、友雅様がバッタリ夜歩きをお止めになった理由がわかった気がした。
けど、殿の様子じゃ・・・友雅様のお気持ちには全然気づいていないんじゃないか?

はてさて、恋の手練れと名高い友雅様がどうやって殿を射止めるのか、俺は高みの見物といくか。




【あとがき】
ネオロマ企画投稿作品。
余裕たっぷりな大人の友雅さんもよいのですが、ちょっと子供っぽい友雅さんを書いてみたくなりまして(^^;)
しかし、平安時代の生活がよくわからず・・・かなり想像で書いてますのでご了承くださいませ。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
 2007年6月16日