二人だけの秘密





「何をなさっているのだい?」
「あら、友雅様。神子様方はおやすみになられましたの?」
友雅が訪れたのは、左大臣邸にあるの私室だった。夜も更けて、辺りはひっそりと静まり返っていた。
「藤姫となにやら楽しげに話されていたから、まだ眠ってはいないだろうね」
クスリと笑った友雅に、も微笑を浮かべた。藤姫と神子の仲の良さをよく知っているからだ。
「あら・・・では、明日の朝は寝坊なさらないように起こしてさしあげないといけませんわね」
楽しげにそう答えながらも、の手元はなにやら忙しそうに止まることなく動き続けていた。
「それは・・・あなたの装束かい?」
は、愛らしい桃色の袿を一生懸命縫っていたのだ。友雅と話しつつも、その手は止まることがない。
「いえ、これは神子様の装束ですわ。今度、内裏に出仕されるそうではありませんか」
「ああ、そうだったね」
内々にではあるが、帝が龍神の神子に会いたいとおっしゃられたため、あかねが内裏へと赴くこととなったのだ。
「あのように可愛らしいお方ですのに、いつも男の子のような格好をされて・・・。
 せっかく出仕されるのですから美しく装っていただきたくて、藤姫様にお願いして、
 わたくしも神子様の袿を仕立てさせていただくことにしたのです」
にとっては藤姫も神子も可愛らしい妹のような存在で、何かしてあげたくなるのだろう。それは友雅とて同感なのだが。
「あなたはすっかり神子殿に夢中のようだね。
 私としたことが、神子殿に嫉妬してしまいそうだよ」
「っ?!」
針仕事に夢中になっているの関心を引こうとしたのか、友雅はを後ろから抱きしめた。
「と、友雅様?!」
袿の上に友雅が座っていて身体をずらすこともできないし、何よりも友雅の腕が腰に回されていて、は身動きすることができなかった。
「ああ、あなたは針仕事を続けてくれてかまわないよ。ね?」
ね、と言われても、友雅が耳元で甘い声で囁くものだから、はドキドキしてしまって手元が覚束なくなってしまう。
「今日は物忌みでね。神子殿の世界の話を聞いて過ごしていたのだよ」
「そ、そうなのですか・・・」
友雅が耳元で囁くものだから、は恥ずかしくてたまらずに頬が赤くなっていた。の肩先にあごをのせるようにしてその手元を覗き込んでいた友雅だが、の頬がほんのりと上気していることに気づいて満足していた。
紆余曲折を経て、こうして想いをかわしたふたりであったが、いまだ夜をともに過ごしたことは一度もなかった。
友雅には公人として、また八葉としての役目があり、一方のは藤壺中宮と藤姫の両方にお仕えしているので、内裏と左大臣邸を行ったり来たりの忙しい生活を送っていた。その結果、こうしてふたりきりになるのも半月ぶりのことであった。
抱きしめた柔らかな身体からは焚き染められた上品な香と自身の甘い香りが漂って、友雅の欲望を刺激する。
「あ、あの・・・友雅様・・・?」
「ん?なんだい?」
友雅がなにか言うたびに耳元に熱い吐息がかかり、はビクリと身体を震わせた。
「少し・・・離れていただけませんか」
「どうしてだい?私に触れられるのは嫌・・・?」
「そうではありませんけれど」
どこか哀しげな口調でそう言われてしまうと、はそれ以上強く言うことはできなかった。無論、友雅に触れられるのは嫌なことではない。ただ恥ずかしくてたまらないのだ。
「久しぶりの逢瀬に、愛しいひとに触れていたいという私の気持ちも汲んでいただきたいね」
「っ?!」
白くて柔らかな首筋に誘われるように、友雅はくちびるを近づけた。ちゅっと軽い音がする。
「と、友雅様?!」
慌てふためいたの声に友雅は悪戯っぽい笑みを浮かべ、さらにくちびるを寄せた。背後からしっかりと抱きしめられているため、は友雅の腕の檻から逃れることができない。
「どうしたんだい?手が止まっているようだけれど」
からかうような友雅の声音に、はちょっとムッとしたのかくちびるを尖らせた。恥ずかしがる自分を面白がっていると思ったのである。
「あら、そんなことはございませんわ」
恥ずかしくてたまらなかったが、なんでもないことのように答えると、はせっせと針を動かし始めた。
頬どころか耳まで赤くなっているのに意地を張っているが可愛らしくてたまらず、友雅はクスリと笑みを浮かべた。
「ふぅん・・・。なら、私のことは構わずに仕事を続けてくれたまえ」
「ええ、もちろんですわ」
友雅はこの悪戯をとうてい止める気にはならなくて、柔らかそうな頬にくちびるを寄せた。
「んっ・・・」
一生懸命こらえようとしているのだろうが、ついつい零れる甘い吐息に友雅は酔いしれる。
よりももっと美しく、官能的な女人と夜を過ごしたこともある。けれど、彼女達の誰よりも、この腕の中の女人が友雅の欲望をかきたてるのだ。恥ずかしがりながらも、自分のくちづけを受けいれてくれるが愛しくてたまらなかった。
桜色の柔らかな耳朶を甘噛みしながら友雅は言った。
「そういえば、神子殿のいらした世界では生まれた日を祝うのだそうだよ」
「生まれた日、でございますか」
平静を装っているが、声の震えまでは隠せない。気がつくと針目がジグザクになっていて、とうてい見られたものではなかった。これでは糸をほどいてやりなおさなければならないが、自分の動揺が友雅に気づかれるのは悔しくて、はそのまま針を動かし続けた。
「ああ、そうだよ。親しい友人や恋人には、誕生日に贈り物をするそうだ。
 何を贈れば相手が喜んでくれるのか考えるのも楽しいと、神子殿はおっしゃっていたよ」
「そのお気持ちはわかるような気がしますわね。喜んでくださるお顔を見たいですもの」
「――では、あなたなら、私の誕生日には何を贈ってくださるのかな?」
「え・・・?」
いきなりの質問に思わず振り返ると、悪戯っぽい瞳で笑う友雅がいた。簡単にくちびるが触れてしまいそうなほど顔が近くて、は真っ赤になった。
「偶然だけれど、今日は私の誕生日なのだよ」
友雅の言葉に、は大きく眼を見開いた。友雅はクスリと笑う。
「私の欲しいものが何かわかるかい・・・?」
「友雅様の欲しいもの・・・ですか?」
「ああ、そうだよ」
目の前で艶然と微笑むこの男の欲しいもの――には見当がつかなかった。
見目麗しく、さりとて優男というわけでもなく腕に覚えもあり、帝の覚えもめでたい。政治の表舞台に立っているとは言い難いが、彼の言動は一目置かれている。世の人々の望むものを、橘友雅という男はすべて持っているような気がした。
真剣に考え込んでしまった様子のを見て、友雅は苦笑を浮かべた。
「おやおや、そんなに考え込まなくてはわからないのかな?」
「だって・・・友雅様はなんでもお持ちのような気がしてしまうのですわ」
「ふふ・・・それはどうだろうね・・・」
はもう縫い物の手を止めてしまっていた。友雅の欲しいものが何なのか、興味を引かれたのだ。
「確かに以前の私には、なにも望むものなどなかったけれど」
「・・・」
この世に生まれて、なにも望むものがないなどということがあるのだろうか。大なり小なり、ひとには望むもの願うものがあるはずだ。それがないというのは、本当に満たされていたというのか。
「なにも望まず、なにも願わず・・・ただ日々が過ぎていくだけだった」
「そんな・・・」
そんな人生は寂しすぎる。そんな風に思ったのが顔に出てしまっていたのだろう。の表情が曇ったのを見て、友雅は苦笑を浮かべた。
「ふふ・・・私は日々に倦んでいたのだよ。人も物も私の心を動かすことなく通り過ぎていく。
 そして、それが死を迎えるその日まで続いてゆくと思っていたのだよ。けれど――」
「え・・・っ?!」
後ろから抱きしめられていたのが、くるりと身体を反転させられた。友雅の胸元に倒れこむような状態になったは恥ずかしくて顔をあげられない。
「春風のようなあなたが現れて、私の心の澱みを吹き飛ばしてしまった・・・」
友雅はの額に愛しげにくちづける。は恥ずかしくてたまらないのだが、友雅の腕にしっかりと抱きしめられているため逃げ出すこともできない。
いつもの友雅なら、そろそろを解放していただろう。けれど、今夜はどうしても手離す気にはなれなかった。

固い蕾がゆっくりとほころんで、美しい華を咲かせるのを気長に待とうと思っていたのだけれど・・・。

久しぶりの逢瀬に、自分がどれだけに餓えていたのか友雅は思い知らされていた。抱きしめた身体はふわふわと柔らかく、甘い香りを放っている。一度触れてしまうと、二度と離したくないと思ってしまう。
「ふふ・・・あなたといると、自分がどれだけ欲深いのか思い知らされてしまうね」
「それは・・・?」
友雅の言葉の意味がわからず、は顔を上げた。
「こうしてあなたを抱きしめているだけで幸せだと思う自分と、
 もっともっとあなたが欲しいと思ってしまう貪欲な私がいるのだよ」
友雅の熱を帯びた瞳に見つめられ、は自分の体温が上がったような気がした。
頬にまぶたに、そして、くちびるに優しいくちづけが降ってくる。は目を閉じて、まるで羽毛が肌をかすめていくような感覚を味わっていた。
「私の欲しいものがわかったかい・・・?」
優しく囁きかけられて、はハッと我に返った。しかし、なんと答えていいものかわからない。
「・・・」
――熱っぽい眼差しの友雅に、は小さく頷いた。




東の空が白んできたようだ。

友雅は、傍らで穏やかな寝息をたてているの顔を見つめ、柔らかな笑みを浮かべた。その寝顔は昼間の彼女よりもいくぶん子どもっぽくて可愛らしいと、友雅は思った。
かつて、何人もの恋人たちとこうして朝を迎えたことがあった。けれど、今日ほど朝がこなければいいと思ったことはなかった。
「いつまでも夜が明けなければいいと思うなど・・・」
苦笑まじりに友雅は呟く。そんな恋を知ったばかりの若者のような想いに囚われた自分がおかしくもあったが、嫌な気分ではなかった。
の寝乱れた額髪を整えてやり、その額に友雅はそっとくちづける。

「いつまでもその愛らしい寝顔を見つめていたいけれど、
 そろそろ目覚めておくれ、愛しいひと・・・」




【あとがき】
お誕生日おめでとうございます〜って、出遅れてしまいましたが(笑)
連載終了1ヶ月にして『恋風』(番外編)の登場です・・・。
やっぱりこの設定が書きやすいんですよね(笑)

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2008年6月16日