片恋




「あ、あの、わたし・・・そろそろ帰らないと」
「ええ〜っ!?二次会、行こうよ〜」
年末の繁華街ではよく見られる光景だった。気が進まなかったのだが、断ることもできなかった会社の忘年会に綾川は出席していた。
にぎやかなのは嫌いではないが、どちらかというと人見知りするタイプであるは、同じ部署の人間とはいえあまり親しくない人たちとの忘年会はすこし苦痛だった。
「えっと・・・わたし、すごい音痴でカラオケって苦手で・・・」
「大丈夫、大丈夫!下手でもヘーキだって!」
をしつこく二次会に誘っているのは最近営業部に転勤してきた男だった。は大手メーカーに勤めており、営業事務をしている。同じ営業部に所属しているといっても、事務方よりも営業の方が断然人数が多く、しかも営業は社外に出ていることが多いので、があまりしゃべったことのない人間が多い。
「でも・・・」
はなんとかして断る口実を考えているのだが、相手も酔っているせいかしつこく迫ってくる。
「なんか、先輩困ってるみたいですけど、ほっといていいんですか?」
「んー?なに、あの男、まだしつこく誘ってんの!?」
すこし離れたところからふたりを見ていたのは、同じ営業事務の女性社員だったひとりはと同期で、もうひとりは最近入社した後輩だ。
「忘年会のときからなんかずっと先輩にべったりじゃ
 ありませんでした?」
たちは本社勤務で、支店で採用された社員が本社に異動するということは、その時点で出世コースが期待される人物ということだ。本社営業部に異動してきたというだけで注目される存在だったし、見た目もなかなか良い男だったので、本社勤務の女性たちの関心の的だったのだ。
そんな事情もあって、彼がにばかり話しかけているのを不満そうにくちびるを尖らせて見ている女性社員が少なくなかった。
「まあ、は飲み会とかにも全然出席しないしね。
 珍しがってるだけじゃないの?」
「それはそうなんですけど・・・」
実際、の隣には入れ替わり立ち替わり営業たちがビール瓶を持ってやってきたのだ。営業事務というのは裏方の仕事だが、見積書を作ったり契約書を作ったりと、なくてはならない役割なのだ。ミスの許されない仕事であるし、内容の正確さが要求される。営業事務は何名かいるのだが、その中での仕事ぶりは群を抜いて正確だった。
期限ギリギリに事務処理を依頼してくる営業がほとんどなのだが、はきちんと期限を守っていたし、その内容も営業のミスをさりげなく修正してくれていたりと、その仕事ぶりはかなり高評価を得ていた。
そんなふうにテキパキと仕事をさばいていくだが、話してみるとおっとりとしたしゃべり方で、とても仕事のできる女性といった感じではないのだ。めったに飲み会にも顔を出さないので、営業マンたちは皆、興味津々だったらしい。もちろん、仕事の労をねぎらうことも忘れてはいなかったが。
「あ!腕つかんだ!」
「んもぅ〜、酔っぱらってるからってセクハラだっての!
 あたし、ちょっと助けに・・・」
行ってくる、と言い終わる前に、すらりと背の高い人影がスッと追い越して行った。
「――申し訳ありませんが、その手を離していただけますか」
「え?アンタ、だれ?」
「つ、司?!なんでこんなトコにいるのよ?」
「あなたと同じ、忘年会帰りですよ」
に司と呼ばれた青年は、営業の手を何か汚いモノのように払いのけ、の手を取ると自分の方へグイと引き寄せた。
「せ、先輩っ!あのイケメン、だれなんですか!?」
「あ〜、アレねぇ・・・」
後輩のテンションが上がるのも当然だろう。突然現れた青年はすらりと長身で、顔立ちは整っており、その口元は柔らかな微笑を浮かべている。
「アレはの『弟』」
「えっ、そうなんですか?!・・・でも、全然似てない」
「それはそうよ、だって義理の弟だから」
「ふ〜ん・・・先輩にお願いしたら、紹介してもらえないですかね?!」
最近彼氏と別れたばかりで合コンばかりしている後輩の目が期待に満ちているのがわかったが、下手に期待を持たせるのもよくないだろう。
「頼めば紹介してくれるかもしれないけど、カレ、好きなひとが
 いるみたいよ」
「ざんね〜ん!久しぶりにあんなカッコいいひと見たのに!」
っていうか、あんな瞳で『姉』を見つめる『弟』がいるかっていうのよ・・・。
そのあたりの鈍感さが彼氏と長持ちしない原因じゃないのだろうかと思うが、それを率直に口に出すのはいろいろと問題があるだろう。
「前にんちへ遊びに行ったときに、あの弟クンもいたのよ。
 その時、一緒に飲んで、ちょっと話したときに聞いたの」
「でも、あれくらいカッコよかったら好きなひとがいても構わないかも」
「・・・」
ちらりと目をやると、ふたりが睨みあうように立っていた。もう一人のはオロオロとして、どうしていいかわからないらしい。
あーあ、もう何やってんのよ・・・。
ここで下手に割り込んで営業の機嫌を損ねるのも面倒な話だが、それよりも司に睨まれるほうが怖いかもしれない。とは高校以来の長い付き合いで、それと同じだけ司のことも知っているのだ。
まったく世話の焼ける友人だと思いつつ、営業と司の間に割って入った。
「も〜、みんな次のお店に移動しちゃいましたよー?
 さっさと行かないと、置いて行かれちゃいますよ!」
「お、おい!ちょっと待てよ!オレは綾川さんに・・・」
強引に腕を組み、その場を離れるように次の店に引っ張っていく。それを目ざとく見つけた後輩が駆け寄ってきた。
「先輩、ズルイです〜!あたしも腕組んじゃおうっと!」
「ちょ・・・っ?!」
酔っているせいか、それほどの抵抗もなく女性ふたりにズルズルと引きずられていく。
すれ違いざまに小声で『貸しひとつだからね』と囁くと、司はにっこりとほほ笑んで、
「今度、奢りますよ」
と答えた。
「ハイハイ・・・っていうか、その愛想笑い、やめてよね」
顔をしかめてみせると、司は肩をすくめた。
「じゃ、司くん、のことお願いね!
 おやすみ、。また来週ね」
「あ、うん。ありがと」
ヒラヒラと手を振る同僚を見送って、は恐る恐る側に立つ司を見た。
「酔ってるんですか?」
「そ、そんなことも・・・」
ない、と言いたかったのだが、司にじろりと睨まれて言葉が続かない。
「え、えっとね、いろんな営業さんがお酒を注ぎにきてくれてね・・・」
「断ればいいでしょう」
「う・・・」
いつもは人当たりの良さそうな微笑みを浮かべている司だが、こういうときは口元は笑っていても目が笑っていない。
「さ、帰りますよ」
そう言われて初めて手をつないだままだったことには気づいた。

――こんなふうに手をつなぐのは何年ぶりだろうか?

の母と、司と竜士の父が再婚したのは、が小学生のころだった。自身は新しい父と弟達ができるのが嬉しかったが、一方の司は、突然現れた新しい母親と姉に複雑な心境だったらしい。なかなか仲良くなることができなくて困った記憶がある。
それでも小中学校時代は普通の姉弟のように過ごしてきたが、司が高校生になる頃にはなぜか避けれられるようになり、さらに司は次第に家族とも距離をとるようになってしまった。大学は実家から離れたところに通っていたし、そのまま就職してしまって、今年になって実家近くの高校に赴任するまで家を離れたままだった。竜士の通う高校に赴任が決まったときも一人暮らしをしようと思っていたらしいが、両親に説得されて実家に戻ってきたのだ。その両親が転勤してしまったのは予想外だったけれど。そんなわけで、はいま、血のつながらない弟ふたりと暮らしているのだ。
「冷えてきましたね。早く帰りましょう」
つながれた手はそのままに、司は駅へ向かってどんどん歩いて行く。待ってとは言いたかったのだが、久しぶりにまともに話す弟に緊張してしまって、うまく口が動かない。
「あっ」
急に動いたせいで、一気に酔いがまわったのかもしれない。がくんっと足から力が抜けて転びそうになる。
「・・・ったく。何もないところでどうして転ぶんです?」
「ごめん・・・」
司が腕をつかんでくれたおかげで、なんとか転ばずに済んだ。体勢を整えただったが、司は腕をつかんだままだ。どうかしたのかと思って、は司の顔を見上げた。
「司?どうかした・・・?」
に呼びかけられ、司はハッと我に返り、その腕を離した。
「・・・なんでもありません。
 電車に乗り遅れてしまったようですね。タクシーで帰りましょうか」
運よくふたりは空車のタクシーを見つけて乗り込んだ。


タクシーの中はほどよく暖房がきいていて、ラジオから流れる控えめの音量のジャズが心地よかった。
はもともと酒の強いほうではない。ビール一杯で顔が真っ赤になってしまうのだ。いつもはあまり飲まないようにしているのだが、今夜は断ることもできずにグラスを重ねていた。
「・・・眠いんですか?」
「ううん、大丈夫」
は答えたものの、その瞳はとろんとしていて、いまにも閉じてしまいそうだ。司は小さくため息をつき、その腕を伸ばすと、の頭を自分の肩にもたせかけた。
「着いたら起こしてあげますから」
「あ・・・ありがと」
は驚いたようにパチパチと何度か瞬きをしたが、おとなしく司のされるままになっていた。は司の肩に頭をもたせかけ、ゆっくりと瞳を閉じた。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。

――どうして、と思っているのでしょうね。

もう何年も自分のことを無視していた『弟』が、急に話しかけてきたり、酔っている自分の面倒をみようとするのか、はいぶかしく思っているに違いない。それでも今は睡魔には勝てなかったようだけれど。
子供っぽい無防備なその寝顔に、少なくとも『弟』である自分は信用されているのだと司は苦笑を浮かべた。

『あなたを姉だなんて思ったことはありません』

そう言ったら、はどんな顔をするだろう・・・。きっと言葉の意味を誤解して、悲しげな表情を浮かべそうな気がする。
司はそっと手をのばして、乱れたの髪を直してやった。一瞬呼吸が乱れ、起こしてしまったかと思ったが、再び穏やかな寝息が聞こえてきた。柔らかな髪に触れた指先が熱を持っているような気がした。
――綾川司は恋をしていた。
忘れられる、もう忘れてしまった、と思っていた。少なくとも大学の4年間、社会人になってからの数年、とはまったく顔をあわせていなかった。その間、司には恋人がいたこともある。だから、両親の居ない実家で暮らすことになっても平気だと思っていのだ。
けれど、と再会した瞬間、忘れてしまっていたはずの恋の熱量は一瞬にして戻ってきてしまった・・・。
肩先にかかる重みに愛しさがこみあげてくる。
今にして思えば、子供のころのはずいぶん無理をしていたに違いない。成長するにつれ、人見知りする性格はずいぶんマシになったようだが、新しい家族になる司と竜士に自分から仲良くなろうと一生懸命話しかけてくれた。幼かった竜士はわりとすぐにに懐いたが、司はなかなか新しい母と姉に素直に接することができなかった。けれど、は根気よく司に優しい手を差し伸べてくれた。
そして、いつしか『姉として』手を差し伸べてくれるだけでは物足りない自分に気づいた。
子供の頃の自分は純粋で、自分の気持ちをに知られるのがこわかった。「弟」である自分のこの思いがにどう受け止められるのか、それが怖くて知りたくなかった。
本当に子供だったと司は苦笑するしかない。いまの自分なら、もっと他のやり方があっただろうに。
「お客さん?」
が眠っていることに気を使ったのか、運転手から控え目な声で話しかけられ、司は一瞬それに気付かなかった。
「お客さん、このまま大通りに行くと混んでそうなんですけど、
 脇道に入ります?」
「そうですね・・・」
この先の大通りは普段でも混んでいるのだが、年末のせいか、この時間帯でも混んでいる。司は、隣で眠るにちらりと眼をやって、答えた。
「いえ、このまま大通りの方へ行ってください。
 もう少し、眠らせてあげたいので」
バックミラー越しに目のあった運転手は小さく頷いて、タクシーは次第に混み始めた道路にゆっくりとスピードを落とし始めた。窓の外の冬の街並みもゆっくりと流れていく。
が起きてしまうかもしれないと思いながら、司は膝の上に置かれたの手を取った。その手は小さくて柔らかくて、強く握ったら壊れてしまいそうだ。
――もう、この気持ちを抑えることなんてできない。
大人になったぶん、自分はずるくなっている。の視界にうつる自分が『弟』ならば、それを変えてみせようではないか。
「覚悟しておいてくださいね」
小さくそう呟くと、司は白い手の甲にそっとくちづけを落とした。


これは戦争
迎撃用意――戦況ハ未ダ不利ナノデス




【あとがき】
この綾川司というのはウェブカレのキャラクターのひとりです。
高校の国語教師で、とても優しく女子生徒に人気…という設定ですが、
実は結構ブラックな感じのひと…?(笑)
そして、BGMはコチラ。この歌のイメージで書かせていただきました。
久しぶりに書いたので、こんなので良いのかよくわからず(汗)
リハビリだと思ってくださいませ・・・。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2009年1月12日