桜花
慰霊碑の前には見知らぬ女が立っていた。
その女は俺に気づいていないみたいだった。だが、ここまで来て引き返すのも面倒だと思った俺はわざと足音をたてて近づいていった。
「・・・あ」
俺に気づいたのか、女がパッと顔をあげ、こちらを振り向いた。
女は泣いていた。
その頬を新たな雫が伝い、慌ててそれを手でぬぐおうとしている。
「ほらよ」
俺は忍服のポケットを探って、しわくちゃのハンカチを差し出した。彼女は一瞬ためらったようだったが、
「ポケットに入れっぱなしでしわくちゃだけど、ちゃんと洗ってあるぜ」
と俺が言うと、彼女はちょっと表情を緩めて、ありがとうと言って受け取った。
涙をふいている彼女の隣に立ち、俺は慰霊碑を見つめた。
「恋人か?」
「・・・恋人・・・だったひと」
そう答えた彼女の左手には指輪が輝いていた。おそらく、それは婚約指輪・・・。
「あなたは・・・忍者なのね?」
「ああ、まぁな」
「任務に行くのは・・・怖くない?もしかしたら、任務のために命を落としてしまうかもしれないのに・・・?」
「そりゃ、怖くないわけねぇだろ。だからといって、任務放棄するわけにもいかねぇけどな」
「ご、ごめんなさい、変なコト聞いちゃって」
「構わねぇよ。アンタの恋人は任務中に死んだのか?」
「ええ、そう・・・」
ストレートに言い過ぎて泣かせてしまったかと思ったが、彼女は微かにうつむいただけだった。
「あの人が死んだとき・・・わたし自身も死んでしまったような気がしたわ。
あの人がいないのに、夜が明けて朝がくるのが不思議でしかたなかった・・・」
そう言って、彼女は自嘲的な笑みを浮かべた。
「人間てイヤね。どんなに哀しくたって、おなかは空くし、眠くはなるし・・・」
「そりゃ仕方ねぇだろ」
「そして、どんどん哀しくなくなっていくの」
「・・・」
「いつのまにか彼のことを思い出す時間が少しずつ減っていって、忘れていってしまう・・・」
彼女は再び慰霊碑を見つめた。
「あんなに愛していたのに、その気持ちはどこへいってしまうのかしらね・・・」
彼女の言葉は、俺に問い掛けているのではなくて、自分自身に問い掛けているように聞こえた。
「――忘却は神々の恩寵」
「え?」
「苦しかったこと、辛かったこと、人間はどんどん忘れていく。そうじゃなきゃ、生きていけねぇ」
俺だって伊達に長くは生きていない。いっそ死んでしまった方が楽だ、と思ったこともある。
けれど、今の俺にとって、それは単に過去に起きた出来事でしかない。
「忘れることで、人間ってのは生きていける。そう思わねぇか?」
「・・・そうね。そうかもしれないわ。だけど・・・」
「だけど?」
「忘れ去られるほうは哀しくないのかしら・・・?」
おそらく、彼女は新しく愛するひとを見つけたのだろう。そして、そのことに罪悪感を感じている。
「さぁ、どうだろうな。でも、男ってヤツは、好きな女には笑っていてほしいと思うもんだぜ」
ニヤリと笑った俺を、彼女はポカンとした顔で見ていたが、やがて微かに笑みを浮かべた。
「あなたは、大切なひとがいるの?」
「ああ、まぁな」
俺の脳裏に浮かぶのはただひとりの女――生意気で負けず嫌いな面倒なヤツ。
だが、誰より愛しい女・・・。
「もし、俺が死んだら、アイツもきっと泣くと思う。泣いて泣いて、そしていつか泣き止んで、
きっと笑える日がくる。
俺は、アイツが笑っていられるなら、俺のことを忘れちまっても構わねぇ」
俺は、慰霊碑のそばの桜を見上げた。
強い風が吹いて、柔らかなはなびらを舞い上げる。青い空に舞う桜色のはなびらは、とても綺麗だった。
「時々、思い出してくれるだけでいい。満開の桜を見て、俺と一緒に見たな、とかさ・・・。
楽しかったことだけ、思い出してくれたらいい」
「・・・そう」
彼女も、舞い散る桜吹雪を見ていた。今はもう居ない恋人と見た光景を思い出しているのだろうか。
「・・・ありがとう」
最初に見た泣き顔がウソのように、柔らかな微笑みだった。
「礼を言われるようなことは何もしてねぇよ」
彼女はゆっくりと首を横に振り、そして、そろそろ帰る、と言った。
「あ、ハンカチ・・・」
「いいよ、記念に持っといてくれ」
「ありがとう」
名前も知らない彼女は、桜吹雪の中を消えていった。
「ちょっとカッコつけすぎだったか?」
俺が慰霊碑に向かって言うと、まるで『そうだ』とでも言うように強い風が吹いた。
「でも、アンタだってそう思うだろ」
愛した女には幸せでいてほしい――たとえ、俺がそばにいなくても。
正直、アイツが他の男のモンになっちまうなんて、考えただけではらわたが煮えくりかえりそうだ。
けど、毎日毎日俺のことを思って泣き暮らしてほしいとも思わない。
「・・・まだまだ他のヤツに渡すわけにはいかねぇけどな」
約束の時間に30分ほど遅れちまった。きっとまた、プリプリ怒ってやがるんだろうな。
ご機嫌取りに、桜餅でも買ってくとするか・・・。
「じゃあな、また来るぜ」
風に舞う桜吹雪に見送られながら、俺はアイツの元へと急いだ。
【あとがき】
ちなみにゲンマさんです・・・。
2005年4月7日