切ない思い
「ごめんね、せっかくのお休みなのに」
「いいえ、俺の方こそ、ご馳走になっちゃって」
「いいのよ、お昼ゴハンくらい。だって、あたし一人じゃ、どれがいいか全然わからないんだもん」
譲は今日、につきあって隣町のショッピングモールへ来ていた。友人への結婚祝いにオーブンを贈るということで、機械オンチなに頼まれて、譲は一緒に電気店へやってきたのだった。
は望美の年上の従姉妹だ。幼いころから春日家へちょくちょく遊びに来ていたため、とも幼馴染といっても過言ではなかった。
「大丈夫ですか?」
「うん・・・譲くんこそ大丈夫?」
「俺は平気です」
「なんかすごく混んでるね。車より電車の方が空いてると思ったんだけど・・・」
「道路の方も混んでそうですよ」
電車の窓の外には車の渋滞の列が見えた。も振り向こうとしたが、身体の向きを変えるほどの余地もなかった。
ショッピングモールで買い物を済ませたあと、今夜は有川家でみなで夕食をとろうということになっていたのだ。お酒も飲むだろうし、ということで今日は電車移動にしたのだが、休日だというのに車内は混んでいた。
「もう少しで着きますから」
「うん、ごめんね、譲くん」
ガタン、と列車が揺れる。ギュウと背中を押されるが、譲はのスペースを確保するためにぐっと堪えた。それでもと譲の距離は縮まっていく。
「すみません、さん」
「あたしは大丈夫」
グイと押されて、譲はを抱きしめるような体勢になってしまう。
「なんか譲くん、背伸びた?」
「え?そうですか?」
「うん・・・なんだか大人っぽくなったような気がする」
はクスリと笑って、もう譲ちゃんなんて呼べないね、と言った。
「譲ちゃん・・・はやめて下さいよ」
「だって、あんなに小さくって可愛かったのに。いつの間にか身長も追い越されちゃって」
自分を見上げて、にこにこと笑うに譲は思う。
いつまでも俺のことを子供だと思っているあなた――もし今、あなたを抱きしめたら、あなたはどんな顔をするのだろう?
あなたを抱きしめて、くちづけて、好きだと言ったら、あなたはどうする・・・?
「・・・くん?どうかしたの、譲くん・・・?」
「え?・・・ああ、すみません」
自分のことを弟としか思っていないに、そんなことを言える訳がないのに・・・。
譲はゆっくりと頭を振って、ふいに湧き上がってきた衝動を抑えた。
「大丈夫?」
「ええ。あ、もうすぐ着きますよ」
心配げなに、譲は笑みを浮かべてみせた。
満員電車からようやく解放されて、夕暮れの街をふたりして歩く。
「なんか子供の頃を思いだしちゃうね〜」
オレンジ色の夕陽のまぶしさに目を細めながら、が楽しげに言う。
「そうですね。向こうに空き地があって、望美先輩と兄さんとよく一緒に遊んだ記憶があります」
「それを迎えにいくのがあたしの役目だったなぁ」
望美や将臣よりも年嵩のは、母親たちに頼まれて、時間を忘れて遊んでいる三人をよく迎えにきたものだ。
「よく手をつないで帰りましたね」
「そうそう!よく覚えてるね」
譲はよく覚えていた。
が迎えにやってくると、真っ先に抱きついていくのは望美だった。ふたりは従姉妹だったけれど、望美は実の姉のようにを慕っていた。それは今も変わっていない。
『みんな、帰るよ〜?』
『ハーイ!』
右手を望美とつないで、左手は譲とつないで、家路を辿る。照れくさいのか、将臣はと手をつなごうとしたことはなかった。
「将臣くんと手をつないだことはなかった気がするなぁ」
「兄さんはああ見えて、結構照れ屋ですから」
「そうなんだ?なんだか意外〜!
そういえば最近会ってないなぁ。ときどき電話はかかってくるけど」
「・・・兄さんが?」
「うん、そうよ。別に用事はない、って言いながらかかってくるんだよね〜」
「そう、ですか」
ジリ、と嫉妬の炎が胸を焦がす。
子供の頃は良かった――嫉妬という感情など知らなかったから。
譲と将臣の両親は『お兄ちゃんなんだから』とか『弟なんだから』などと言うひとではなかった。譲と将臣の年が近いせいもあったけれど、何事においても平等に扱ってくれた。当然のことながら、ふたりの少年にとってもそれは当たり前のこととなり、何でも平等に分かち合ってきたのだ。
けれど・・・いつしか分かち合うことのできないものがあることに気づく――いや、それだけならよかったのだ。ふたりが同じものを欲しいと願わなければ。気づかなければ良かったのだ、ふたりの望むものがたったひとつしかないことに。
「いろいろバイトかけもちして忙しそうだよね。望美ちゃんが『遊んでくれない』って寂しがってたわよ」
「ああ見えて、いろいろ考えてるみたいですから、兄さんは」
「ふぅ〜ん。望美ちゃんはまだまだ幼いところがあるような気がするけど、
将臣くんはなんだか急にオトナっぽくなっちゃった気がするわ。
昔はなんでも話してくれたのに、最近はなんだか変な感じなのよね。
ヨソヨソしい、って感じでもないんだけど・・・」
あなたの口から他の男――特に兄さん――の名前は聞きたくない・・・。
譲は手を伸ばして、の手を取った。こうして手をつなぐのは何年ぶりだろうか。
「譲くん?」
「早く帰りましょう。でないと、兄さんに夕飯を全部食べられちゃいますよ」
突然手を握られて驚いているに、譲は笑って言った。
「あ、それダメ!」
握り締めた手は小さくて柔らかくて。すこし力をこめれば壊れてしまいそうだ。
幼い頃はこうして手をつなぐのが当たり前だった。当たり前のように差し出された手を取ることができた。
でも、今は違う。
この手を取るのは自分だけでいい。誰にも渡したくない。兄さんにも誰にも・・・。
そんな想いを、目の前にいる彼女は全然気づいていないのだろう。
「譲くん、手大きいね!」
「そうかな?普通だと思いますけど」
「だって、小さい時はもみじのような手だったのに!」
譲の手の中にの手はすっぽりと包まれてしまう。子供のような柔らかな手ではなくて、ゴツゴツした男の手だ。
「・・・大人になっちゃうんだね」
ぽつりとが言った。
「え?」
「幼馴染のおねーさんとしては、弟がいなくなるみたいでちょっと寂しいかな〜なんてね」
ちょっと寂しげな笑みを浮かべたに、譲は言った。
「弟、ですか」
「うん。だって、いつまでも幼馴染のお姉さんとは遊んでくれないでしょ?」
「さんが遊んで欲しければ、いつでも遊んであげますよ」
「ありがと、譲くん!でもね、そんなコト言いながら彼女ができちゃうとね」
「俺にはそんな人いませんから」
「え?そうなの?譲くん、優しいからモテそうなのに」
「そんなことありませんよ」
「じゃ、好きなコとかいないの?」
興味津々といった表情のに、譲はちょっと困ったような顔をした。
「ねぇ、ねぇ?」
譲の困っている様子から、譲には好きな子がいるとわかったのだろう。は聞き出そうとますます熱心になる。
「・・・います」
「えーっ!?どんなコ?学校のコ?」
女性というのはどうしてこういう話題が好きなのだろうか。譲は小さくため息をついた。
「・・・年上のひとです」
「っ!?」
譲の答えがよほど意外だったらしい。は驚いているようだった。
「どこで知り合ったの?どんなひと?」
譲は覚悟を決めたかのように深く息を吸い込んだ。
「・・・そのひとは、俺のことなんて弟ぐらいにしか思っていないんです」
でも、俺はあきらめません」
「・・・え?」
譲は、の手を握る手に力を籠めた。
「譲くん・・・?」
「誰にも渡したくないから」
自分を見つめる譲の瞳がとても真剣に思えて、はなぜかドキリとした自分に驚いていた。
自分の後ろをくっついて歩いてきた子供はもういない。今自分の目の前にいるのは少年ですらなく、ひとりの男だった。
驚いたように大きく目を見開いて自分を見つめているに、譲は曖昧な笑みで応えた。
「さ、帰りましょう。本当に兄さんに夕飯を食べられちゃいますよ」
「え・・・あ?もうこんな時間!みんな待ってるかも。早く帰ろう!」
駆け出そうとするに手をグイと引っ張られ、譲は笑い声を上げた。
あなたの手を取るのは俺だけでいい――そう思うのは俺の我侭ですか?
【あとがき】
ネオロマ企画投稿作品。
書き始めてから約1年くらい完成しなかった創作です(笑)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
2007年6月16日